九州大学伊都キャンパスにて開催された日本建築学会大会2025に合わせて、現代の建築界を代表する世界的な建築家であり、福岡にも縁が深いレム・コールハース氏の講演会が開催されました。
ここでは、80歳を迎えた今も精力的な活動を続けるコールハース氏による講演の一部、また重松象平氏をはじめとする講演会参加者との質疑応答について紹介します。
Rem Koolhaas(レム・コールハース)
1944年オランダ・ロッテルダム生まれ。ジャーナリスト、シナリオライターとして活動した後に、ロンドンのAAスクールで建築を学ぶ。1975年建築・都市計画事務所OMA(Office for Metropolitan Architecture)を設立。OMAのシンクタンクであるAMOのパートナーも務める。
主な作品に福岡市の集合住宅〈ネクサスワールド レム棟・コールハース棟〉、〈プラダ財団美術館〉〈台北パフォーミングアーツセンター〉〈カントリーサイド展覧会〉など。
主な受賞に、日本建築学会賞(1992)、プリツカー賞(2000年)、高松宮殿下記念世界文化賞 建築部門(2003)、英国王立建築家協会ゴールド・メダル(2004)、第12回ヴェネツィア・ビエンナーレ建築展生涯功労金獅子賞(2010)など。主な著書に『Delirious New York(錯乱のニューヨーク)』『S,M,L,XL(S,M,L,XL+ 現代都市をめぐるエッセイ)』などがある。
私は今まで取り組んできたプロジェクト、日本との関わり合い、すべての時代を振り返りながら『アンダー・ザ・インフルエンス』(仮題)という本を書いている最中で、政治的、社会的変化が建築にどういう影響を与えたのかを考えています。
1990年代以前は世界は極めてシンプルでした。西側諸国は自由で、ソ連は自由ではなく共産主義でした。東欧諸国で民主化運動が高まるなか、1989年にベルリンの壁が崩壊し、一晩のうちにすべてが変わりました。当時は各国の政治的な差異がはるかに深まっていったころですが、私はさまざまな国々とプロジェクトを進めなければなりません。アラブ世界であろうと、ソ連であろうと、中国であろうと、その国の指導者たちとの関わり合いの中で取り組んでいけることはありがたいことでした。
建築家には政治的な意識というものが明確に必要です。外交というものが廃れ気味である昨今、建築家の役割にはさらに深みが出てきたと思います。では、私が取り組んだいくつかのプロジェクトについて紹介します。
1986年に私は磯崎 新氏と知り合い、88年に社会的な願いや希望が詰まった「ネクサスプロジェクト」に関わらないかと声をかけられました。88年は共産党が崩壊する前で、社会主義がまだある時代でした。日本に感銘を受けた私は、西洋的なデザインを日本へ押し付けるようなことはしたくなかったし、日本的なものをつくりたいと思いました。中庭や低層の建物をつくり、日本の書斎など日本の建築の技法などをいくつか取り込んだことは、私にとってとても面白く興味深いもので、石垣を模した外壁をコンクリートでつくったり、建物自体が日本のDNAを操作するよう取り組み、可能な限り日本らしくしようと試みました。

Image courtesy OMA photographed by Hiroyuki Kawano
そして、このネクサスプロジェクトで1992年に日本建築学会賞を受賞しました。日本で初めて外国人として受賞することができ、外国人でも日本のDNAやテーマを扱うことができる、それをうまく操作することができるという感覚を強くもちました。

Image courtesy OMA photographed by Hiroyuki Kawano

Photograph by Gili Merin, Courtesy of OMA
9.11で崩壊した世界貿易センタービル再建のためのプロジェクトと同時期に、中国中央電視台本部ビル(CCTV)のプロジェクトからも声をかけられました。私はアメリカのヘゲモニーに対して、アメリカの価値が普遍的になるという感覚を懐疑的に見ていましたし、そのほかさまざまな理由からCCTVのコンペに参加することを選びました。ベルリンの壁が崩壊し、社会主義が死んだものとされ、市場経済、資本主義が新たな価値観となる時代においても、社会主義思考へのリサーチは続くと思いました。

OMA/Jim Gourley
中国では、江沢民や胡錦涛ら、国家との関わり合いのなかで進めるという興味深い手法で、これから中国がどういう国になり、どのような方向へ進化していくのかに希望がありました。CCTVは、今では近代的なメディアカンパニーということだけでなく、限られた状況ではありますがBBCとも比較しうるところまで来ていると思います。そして、すべてのものに対して対称性を重んじる国家において、左右バラバラで、すべての角度から違ったものに見える、立場を変えれば違うものに見える建物を設計できたことを誇りに思っています。

Photograph by Iwan Baan, Courtesy of OMA
ロシアでは1960年代に建てられた美術館の改装を行いました。非常に美しい公園の中にある、何万人もの人が訪れることができる施設でしたが、20年も廃墟のように放置されていました。
建築において汎用性や自由を認め、寛容性を示していたこの建物が完全に壊されないためにどうしたらいいのか、維持して歴史を残しつつ新しい機能をもたせるにはどうすべきかを考えました。建物全体をポリカーボネートで囲み、壁画もそのまま残して維持され、非常に洗練された建物になりました。ソビエト時代の建物を吸収し、新しい方向性へもっていく改修というかたちで残したのです。

Photograph by Iwan Baan, Courtesy of OMA
1970年代、世界が石油を武器に裕福になったとき、西側諸国と関わったアジアの国々、新たに独立を勝ち取った国々にとって、ある意味で新しい時代の始まりでもありました。日本でのメタボリズムは下火になるなか、日本以外のアジアや中東ではすさまじいチャンスを見出すことができた時代でした。自由になり始めたアフリカ、中東などはヨーロッパの建築家を嫌う反西洋主義があり、丹下健三氏ら、日本人建築家はとても人気がありました。
日本では中銀カプセルタワービルなど、メタボリズムのモニュメント的な建物がなくなりつつあります。保存していくということは、振り返ってみるだけでなく、未来のことを考えることにもなります。それが保存されるべきものなのか、すぐに壊されていいものか。近代社会において保存というのはとても重要で、過去に振り返って反応するだけでなく、今を考えることになるのです。(レム・コールハース氏講演会スピーチより、一部抜粋)

Photo: YASHIRO PHOTO OFFICE
重松象平氏(以下、重松):今日の会場であるBeCATでは、新しい社会実装、インプリメンテーション、それを目的として環境シミュレーションだったり、教員と学生が同じ方向を向いてリサーチ、観察に取り組む手法はOMAから学んだと思っています。今の大学の役割、大学が世の中に対してできることに対して、どう思われていますか?
レム・コールハース氏(以下、コールハース):私は1995年にハーバード大学で教鞭をとらないかと声をかけていただき、デザインを一切やらなくていいならとお受けしました。そして毎年12名の学生とリサーチすることができ、自分自身の可能性がすさまじく広がりました。これは金儲けや何かの組織のためではなく純粋な調査でした。
さてハーバードでの仕事については、トランプ政権のもとでそれなりの困難もありました。市場経済の枠のなかで活動していきながらもユートピア的な次元だとか、懐かしき思い出の世界というのを求めるのではなく、今の現実の状況に対して直接的に取り組むようにしています。
重松:日本では木を使うことへの勢い、「木造でもっと木を使え」ということが一種のランゲージになっていると思います。これは同時にグローバルなことではないかと思うのですが。
コールハース:悪いことではないですが、明らかにトレンドだなと思ってます。
今、活動しているどんな建築家であれ、すさまじいプレッシャーのもとでやっていると思います。非常に明確な要求が突き付けられて、以前よりももっと厳格なルール、要望に自分を合わせていかなければならないことが時代によって求められているからです。
もっと緑を使おうとか、もっと木を使おうとか、ジェスチャーで語ろうとしているのが今の状況への警告だと思います。みんな、木を使えばいいのだろうと思っているが、そうではない。本当に才能のある建築家が、実現可能性やサステナビリティの観点から突き詰めていったらどのような提案が出てくるか楽しみです。その結果が失望させるような結論でも私は驚きません。
重松:非常にエキサイティングな建築を手掛けてこられたと同時に、リサーチをやってこられています。設計とリサーチの両方をやるのは実際どうですか? 両立させることは珍しいし、すごいことですよね。
コールハース:私ではなく時代が異例なんです。ソ連の消滅、社会主義、市場経済の台頭、それらに飛び込んでいった様子を話すことは意味があると思っています。
建築は無から美しきものをただつくることができるだけではなく、必ずリサーチのよって得られた情報が注入され、そういうなかで生み出され、補填されていく、これが現実です。私はかつてジャーナリストとして建築についてはある程度馴染みがありましたし、調査は経験によって身に付けました。調査は私たちが知性をもって、オペレーションできるような状況をつくっていくことにつながります。
質問者:長い期間、多様なプロジェクトに参画されていると思いますが、レムさんは何を初めに考えてプロジェクトに向き合っていますか?
コールハース:いい質問ですね。あるプロジェクトを始めるときに、「よし、新しいプロジェクトだ」と思うことはまずありません。基本的にどんなプロジェクトであったとしても、それは出会いであり、遭遇です。
大英博物館改修のためのコンペに参加したときのことを話しましょう。ともかく収蔵品がぎっちりと溢れすぎていて、換気も最低。収蔵品の半分以上は略奪された元の国に返すべきだと思いました。初めて館長、理事長に会ったとき、彼らは「問題はない」と答えていました。すべてがパーフェクトで理想的だったならば、建築コンペをやる必要はありません。これがカウンターパートになっていく人と出会った最初の瞬間でした。
住宅を手掛けるとしたならば、第一印象や初めてのやり取りが肝心です。それからものすごく長い時間を一緒に過ごす人の感覚やエネルギーを獲得していくことに関わります。ですからどんな建築プロジェクトであったとしても、まずどのような社会的パートナーと一緒にやるのか、ということを明らかにしていかなければならないと思います。
質問者:いろいろな議論が起こっている大阪・関西万博ですが、万博についてどう思われますか?
コールハース:本来、万博というのは政府がやるものです。ドバイ万博にも行きましたが、初めて行ったのは1958年のブリュッセル万博で、非常にインパクトがありました。非常に楽観主義的な時代でもあったし、とても興味深いタイポロジーがあり、また悲観的なタイポロジーも万博にはあると思います。万博ではグローバル化の熱意が非常に高まったり、アグレッシブになったり、また衰退したりということがあります。そしてまた、楽観的なかたちでツーリズムをしたり、タイポロジーの区別化、差別化というようなことがされています。
万博はその時代にいったい何が起こっているかを示す、非常にインプレッシブなことでもあると思います。しかし同時に、「その時代は何もなかった」ということを発見してしまう、非常にショッキングなことになる場合もあります。(質疑応答より一部抜粋)
レム・コールハース講演会 概要(終了しています)
日時:9月10日(水)16:00~18:00(記念シンポジウムと連続開催)
会場:アクロス福岡 イベントホール
登壇者:Rem Koolhaas(建築家、OMA / AMO)
主催:レム・コールハース講演会実行委員会
共催:日本建築学会九州支部、九州大学BeCAT、学生デザインレビュー
後援:日本建築家協会九州支部、福岡県建築士会、福岡県建築士事務所協会
トップ・サムネイル写真:YASHIRO PHOTO OFFICE