近年、日本でも注目が集まっている「Hygge ヒュッゲ(ヒュゲ)」。
スローライフを連想するライフスタイルの側面から話題に上がっている印象が強いが、
建築のプロジェクトでも、ヒュッゲを志向しネーミングに用いるような事例がみられている。
北欧が発祥とされるこの語は、何を意味するのか。
また住まいや建築、街や都市まで、ヒュッゲはどのように関わりがあり、実現できるのか。
デンマークに長く居住し、現地の設計事務所 Schmidt Hammer Lassen Architects(シュミット・ハマー・ラッセン・アーキテクツ)のアソシエイトパートナーを務め、そして日本での仕事も進めているという勝目雅裕氏に、「ヒュッゲと空間設計」について伺った。
(jk)
勝目雅裕 / Masahiro Katsume
シュミット・ハマー・ラッセンに19年間在籍し、ヨーロッパや中国で住宅、オフィス、複合施設などの国際的なプロジェクトを数多く手がけてきた。
シュミット・ハマー・ラッセン以前は、日本の著名な建築事務所で20年間指導的な役割を果たす。ペンを使ったスケッチに長けている。
■ デンマークの建築設計事務所は国外に活動の場を求める
── デンマークの建築設計事務所に長く在籍して活躍される勝目さんですが、勝目さんはなぜデンマークで働くことになったのでしょうか?
勝目:大学を卒業して、最初に山下設計に就職しました。〈NTT新宿本社ビル〉という建物をシーザー・ペリの事務所と一緒に設計したり、六本木の再開発で〈六本木ヒルズけやき坂コンプレックス〉をKPF(Kohn Pedersen Fox Associates / コーン・ペダーセン・フォックス)と協働したり。そのころから、海外の建築家たちと設計を共にすることはずっとありました。
一方で、ネパールやパキスタン、インドネシアといったアジアの国々でODA(政府開発援助)による援助案件を手掛けたり、インターナショナルな仕事をあまり抵抗なくできるようになったという具合です。
デンマークに来たのは、端的に言えば、妻がデンマーク人だからです。彼女も建築家で、デンマークで自分も仕事をしてみようかなということで。
2001年にシュミット・ハマー・ラッセン・アーキテクツに入って、もう19年経ちます。
デンマークの建築事務所に勤めるスタッフは、3年から5年くらい勤めると、他の事務所に勤め先を変えることが多いですね。それは主に自分のキャリアップのためで、数年在籍して身につけたスキルを持って別の事務所に移り、さらに高いポジションに就こうということです。
同じ事務所に留まるより、新しい刺激を絶えず得られるし、いい職種に早くつけるという利点もあるでしょう。また、進行している仕事の量に合わせて、所員数を減らしたり増やしたり調整するという事務所側の事情もあり、事務所間の人の移動は珍しいことではありません。
そんな中で、僕にはこの事務所の居心地が非常によいので、デンマ-クに来て仕事を始めてからずっといます(笑)。まあプロジェクトを回せる能力は日本で身についていたので、あとは自分のデザインがどこまでできるかという話で、それだったらこの事務所でやっていこうと。
シュミット・ハマー・ラッセン・アーキテクツ、2019年の研修旅行での集合写真 Provided by Masahiro Katsume
── シュミット・ハマー・ラッセン・アーキテクツはさまざまな国で、多様なプロジェクトを手がけられているようですね。
勝目:そうですね。設計しているプロジェクトの70%近くが自国以外の案件です。
北欧のノルウェー、スウェーデンをはじめ、ヨーロッパではドイツ、オランダ、ベルギー、イギリス。最近はハンガリーやチェコ、スロバキアとか、東欧にもプロジェクトを展開しています。
一方で、アメリカやオーストラリアなどの英語圏やカナダもあります。あとは、大きいマーケットとして、もちろん中国もあります。
そうした国々では、北欧のデザインが注目されているというか、求められている側面があると思います。
シュミット・ハマー・ラッセン・アーキテクツだけではなくて、BIGとか、ヘニング・ラーセンとか、そうしたデンマークの事務所もこれらのマーケットに進出しています。北欧デザインが、かなりインターナショナルになっている印象です。
── 活動のフィールドを国外に広げていくのは、北欧の一般的なスタイルなのでしょうか?
勝目:スタイルというより、必然かもしれません。デンマーク人はみんな英語を話せるし、言語的なバリアが日本人に比べて少ない。また、国内のマーケットが小さい。必然的にみんな外を向いているということだと思います。
「外」という意識も、ないかもしれません。求められるようにして、ためらわず自然に出ていくような感覚です。日本、ドイツ、フランスのような大国は自国の建築需要が大きいので、マインドは異なるでしょうね。
シュミット・ハマー・ラッセンは、もともと文化系の施設を得意としています。事務所が注目されるようになったのは、コペンハーゲンの〈ロイヤル・ライブラリー〉(デンマーク王立図書館)を手掛けたことが大きな契機となりました。
“The Royal Library” Provided by Schmidt Hammer Lassen Architects
〈ロイヤル・ライブラリー〉にしても、規模的にはそれほど大きなものではありませんが、公立の図書館はデンマークの中にいくつもつくれるものではありません。
もともとのフィールドが限られているので、自然と国外に出ていくのが道筋だった、ということでしょう。
図書館はすでに10カ国以上で手掛けています。美術館などの実績も増え、さらにオフィスや商業施設、複合施設の案件や、街のマスタープランに関わるようになってきました。
活動のフィールドを国外に広げていく理由として、このような国内的な事情の一方で、北欧的な価値観、民主的で個人と社会の両方を大切にするというような考え方が今、国外からも求められているというのも大きな背景ではないでしょうか。
例えば、アメリカのデトロイトで市の中心地で現在、大規模再開発のプロジェクトを進めています。これは、自動車産業が衰退して車による生活が中心だった市街地が寂れて危険な場所になっている状況を、再生しようというプロジェクトです。
ではどういう街づくりが都市再生の鍵になるかというときに、参照されたのが北欧の街並です。特に我々は、人が中心となる空間を絶えず提案してきていたので、その考え方が街づくりの中心にあります。そうした考え方を我々は「デモクラティック・アーキテクチャー」と呼んでいます。
カナダのトロントでも都市開発の計画を進めています。トロントは移民による人口増加が急激で、この場合は街をどうつくっていくかとなると、多様な人々が街の中を歩いていて楽しくいられるような場所が必要ですよね。
そうしたとき、我々が「デモクラティック・アーキテクチャー」と呼んでいるようなアプローチは、とても良いのではないかと思います。
「多様な文化を受け入れるにはどういうスタイルがいいですか?」とクライアントから聞かれるときには、アイコニックなビルをつくるというよりは、1人1人が「ああ、いい場所だな」「気持ちいいね」「コミュニケーションが生まれる」という人間行動が中心となる場所が求められていると解釈しています。
■ ヒュッゲではなく「ヒュゲ」!? 心のありようを示す言葉
── 今回メインで伺いたい「ヒュッゲ」にも通じる話ですね。ヒュッゲは、日本ではほんわりとしたイメージしか伝わっていないように感じます。私たちが肌感覚で理解していないことが大きいと思うのですが、建築と絡めてお話を伺えればと思います。
勝目:日本では時々「ヒュッゲ」と記されているのを目にしますが、ヒュッゲじゃなくて、「ヒュゲ」が原語に近い発音。小さな「ッ」がない感じ。「H・Y・G・G・E」というデンマーク語のスペルがいったん英語圏に行くと「G・G」が詰まるので、英語経由で「ヒュッゲ」という発音になってしまったと思うんだけど(笑)。
それはそれとして、北欧の古い言葉なんです、ヒュゲ(ヒュッゲ)というのは。簡単には翻訳できない、ちょっと難しい言葉なんだけど、大まかには精神とか心とか、意識とかいう言葉に還元できる言葉です。
英語の「Hug(ハグ)」も、ヒュゲから来ています。相手との距離を快適にして、距離を縮めるという意味で。コミュニケーションをうまくできるようにということを、ヒュゲと表すというか。
本来的には、建築とは関係なく、人間同士の対話の中での場の雰囲気、というようなことなのですね。
それが少し大きく解釈されてきて、例えば「コミュニティとしてのヒュゲ」というように、場の形成みたいな話になってきました。
それは、建築的に話をするときに、コミュニティのありように還元できるだろう、ということです。
形態として「これがヒュゲです」とは、なかなか言えません。漠然とした心のありよう、相手の心のありようみたいな、そういう話なんです。
“The Royal Library”の前で。「ヒュッゲ(Hygge・ヒュゲ)」は心のありようを示す Provided by Schmidt Hammer Lassen Architects
── 日本では「ろうそくを灯して過ごそう」のように、妙に分かりやすいかたちで紹介されているように思います。
勝目:確かにそういう場はヒュゲにはなるんだけど、ろうそくを灯すこと自体がヒュゲではないんですよね。
例えば日本人が居酒屋に行って、みんなでワイワイガヤガヤしゃべっているのも、ヒュゲと言えます。もうちょっとしんみりとしたバーで、それこそ、ろうそくを前に2人で話をするのもヒュゲ。
そのときに、心がなにか、全部日常のことをバサーッと落として、自分の心が開くような場を誰かと共有していることがヒュゲなんです。
でもね、本当は1人でもヒュゲになれるんですよ。ソファに座ってゆっくりお茶でも飲みながら、本でも読む場を夜につくったとします。それは自分でヒュゲした、と言えるでしょうね。
── 居酒屋でもヒュゲになるというのは面白いですね。1人でもできるし、ヒュゲというのはとても精神的な世界なんですね。
勝目:そうですね。ちょっと日常の雑然としたところから、バサッと日常の空間を切って向こう側に行ったというか、内側に入り込んだというか。解釈はどちらでもいいんですが、本来の自分の心のありように戻っている。そういう状態での、近い人とのコミュニケーションがヒュゲなんです。
ヒュゲのお膳立てとしてキャンドルとかはあるかもしれない。でもそういったツールはあくまでも外的な話で。本来は内面的な、精神というか、心というか、意識のありようなんですよね。
■「とてもヒュクリだったね」を大切にする風習
── すごく納得できました。「ヒュッゲ(Hygge・ヒュゲ)」について書かれた本を読んでも、イメージがバラバラになってよく分からなかったんです。デンマークではみなさん、なじみがあるというか、得心している感じなんでしょうか?
勝目:たしかにイメージはバラバラになると思いますよ。「これがヒュゲねって言ったらそうかもしれない」というふうに。そこに通底しているというか、流れているものというか、自分の心のありようだと考えたら、人それぞれだと思うんですよ。
デンマークの人たちは、「ヒュゲをつくろう」とは言いません。デンマークには「ヒュクリ」という、ヒュゲの形容詞があるんですが、例えば「昨日のパーティーはとってもヒュクリだったね」「そうだそうだ、昨日は楽しかったね」という言い方をします。
そういう場のことを後から振り返ってヒュゲと形容することはあっても、わざわざ「ヒュゲをつくりましょう」とは言いません。「あのときはヒュクリだった」みたいな言い方ですね。
デンマークの人たちは小さいときから家族で集まって、夕食の後に2時間も3時間も話をするんです。そういうステップを踏んでいるから、ビール1本飲むだけで2時間でも3時間もずっと話していられるんでしょうね。
日本人では、ありえないですよね。日本だったら「ちょっと酔っ払ったぁ、カラオケ行こ~」ってなるじゃない(笑)。そういうアクションを起こさずに、ただテーブルの前に座って、顔を突き合わせて話をするのが、すごく好きなんです。
夜半になりほとんど真っ暗になっても平気で。それこそキャンドルライトが1つあるだけで話していられるんですよ。その様子を傍から見ると、「ああ、なんだかバイキングの時代から同じことを繰り返しているんだな」って気がしてきます(笑)。
人がテレビもなく、ラジオもなく、ただただ直接のコミュニケーションだけでその時間を楽しんでいる。時間がなくなった場所とでもいうのかな。もちろん200年前とか300年前とは服装も建物も現在とは違うけど、テーブルを囲んで会話を楽しむという生活を綿々と繰り返してきた歴史が感じられます。
会話を楽しみ時間を忘れるような経験を大切にする Provided by Masahiro Katsume
── 日本人のせわしなさとか、なにかしないと盛り上がらないんじゃないかという、日本の飲み会にありがちな不安などとは全然違う世界なのですね。
勝目:デンマーク人も日常がバタバタしているから、そういう時間が精神的に必要だっていうのもあるとは思うんです。「日本人はあれほどせわしない生活していて、よく心が保てているな」って、デンマークの人たちは思っているでしょうね。
── 確かに最近は病んでいる方が多いという印象があります。労働と休息といった日常のバランス悪いんでしょうか。そういうこともあってか、「丁寧な暮らし」という言葉もよく聞かれます。これも言葉だけ先走っていますけど、現代の日本人が求めていることのような気がします。
勝目:ヒュゲから話が反れますが、その「病んでいる」っていうのも、日本人とデンマーク人とでは病み方が違うように思われます。
日本では、例えば対人関係で、「私は嫌われているかもしれない」「頼まれた仕事を期日までにこなさないと、能力がないと思われているかもしれない」「期待にこたえなくては」というように、他者にどう思われるかということが病の中心にあるのではないかと。
一方で、ヒュゲがあるからデンマーク人が病んでないかというと、やっぱり病んでいる人は病んでいるでしょう。ただ日本とは病み方が違っていると映ります。こちらの人たちはキリスト教が生活の規範にあるので、規律・戒律というか、たぶん自分の中に「自分はこうあるべきだ」という理想像があり、それと現実の自分との乖離に折り合いが付けられないことで、病む。
日本人よりもデンマーク人のほうが、自己の理想像がはっきりしているのか、達成できないときのあきらめが悪いのか、それによる「病み」であると感じています。
ヒュゲの話に戻すと、パーティーを開いて夜の12時前に終わっちゃうと、そのパーティーは失敗だったと思われるくらいにみんなずっと話をしているんですよ。
うちの事務所でも、クリスマスパーティーとかは翌朝までやってますね(笑)。事務所の中で、ただ話をして、酔っ払って、ときどきテーブルゲームみたいなのをやったり、音楽をかけて踊ったり。
コペンハーゲン郊外にある勝目氏の別邸にて Provided by Masahiro Katsume
こんなふうに、みんなで集まって、なんとなく心を開いて共有できる雰囲気をつくるっていうことがヒュゲということなんです。だから「じゃあ建築はどうしたらヒュゲに貢献できるか」というと、ちょっと難しい話になってしまいますよね。
Study Series
Interview with Masahiro Katsume / Schmidt Hammer Lassen Architects
勝目雅裕「ヒュゲ / ヒュッゲ(Hygge)と空間、そしてデモクラティックな建築へ」
#01 デンマークの建築設計事務所事情と「ヒュッゲ / ヒュゲ(Hygge)」
#02 デモクラティックな建築は「ヒュッゲ / ヒュゲ(Hygge)」につながる