FEATURE
Study Series: Hisashi Hojin
Micro development frees designers
FEATURE2022.02.16

寳神尚史インタビュー「デザインと経営を自由にする事業企画」

#01 個人を支えて街に開くという“コト事業”の魅力

寳神尚史インタビュー「デザインと経営を自由にする事業企画」

FEATURE2022.02.16

寳神尚史インタビュー「デザインと経営を自由にする事業企画」

#01 個人を支えて街に開くという“コト事業”の魅力
FEATURE2022.02.18

寳神尚史インタビュー「デザインと経営を自由にする事業企画」

#02 自分の建物を愛でながら街の品格を上げる

ホウジンさん、開発を自分ですれば設計が自由になるって本当ですか!?

日吉坂事務所を主宰する寳神尚史(ほうじん・ひさし)氏。

彼の住居とオフィスが入る複合施設〈terrace H〉については、以前にルームツアーとして紹介した(【ルームツアー動画】寳神尚史が語る自邸「モノとコトをコントロールした建築」)。

▲〈terrace H〉上階にある寳神氏の自邸(特記以外の写真:toha)

全体の骨格からディテールまで至るまで考え抜かれた建築は、いわゆるアトリエ系の建築事務所ならではの姿勢がよく現れている。
一方で寳神氏は「私たちはハードとしてモノを設計するだけではなくて、実はコトづくりも同時にやっていかなければなりません」と強調していた。

〈terrace H〉を含めて現在では、設計者としての立場から事業者側にも回り「小さな不動産開発」を行う寳神氏。こうすることでモノ・コトの両面で建築を考えるようになり、設計の自由度も高まっているという。

こうした考えに至った経緯は何か。設計者としてどのように活動を広げていくことができるのか。
「不動産事業をさらに加速させたい」と語る寳神氏の発想と設計の姿勢、具体的な手法に迫ります。

寳神流・設計事務所の不動産事業

気づき①:設計事務所の仕事はマグロ漁のよう!?
気づき②:設計請負から1つ上流に遡ってみる
気づき③:コトづくりはモノづくりにつながっている
メリット①:「適度な経済性」で建物とずっと付き合える
メリット②:ポイントを自分で判断して設計に注力できる
実践の心構え:「いい借金!?」メンタルブロックを取り払い一歩ずつ進む

 

寳神尚史 | Hisashi Hojin
1975年神奈川県生まれ。1999年明治大学大学院理工学部修了後、青木淳建築計画事務所勤務を経て、2005年日吉坂事務所設立。現在、京都芸術大学、明星大学、日本女子大学、日本大学、工学院大学にて非常勤講師。
主な作品に、2012年〈house I〉、 2015年〈GINZA ITOYA〉リニューアルにおける1-2階、6-8階の内装設計など。
主な受賞:2009年〈JIN’S GLOBAL STANDARD Shinsuna〉でJCD Design Awards 銀賞、2014年 日本建築学会作品選集 新人賞、2018年〈KITAYON〉で東京建築士会住宅建築賞金賞 など。

設計事務所の仕事はマグロ漁のよう!?

── 寳神さんはずっとアトリエ系の事務所として設計活動をしてきました。自邸の入る〈terrace H〉(【ルームツアー動画】寳神尚史が語る自邸「モノとコトをコントロールした建築」)をつくるまでの経緯と気づきを聞けたらと思うのですが、まずは経歴からお願いできますか。

寳神:自分は高校から理系で、父親が自動車の設計をしていました。もともと作図思考というか、図面を描いて細かく組み上げていくことがすごく好きだったんですね。建築も、モノ好きの延長線上で捉えているなと思います。

大学で建築に入ったからには一所懸命やるぞと。僕はすごくラッキーなことに、大学1年のときから、同級生に中村拓志くん(註:NAP建築設計事務所)と、禿真哉くん(註:トラフ建築設計事務所)などがいて、建築を志して頑張り続ける人がそばにいました。そうしたメンバーで建築の方法論の研究会などを自主的にしていて、大学院まで進みました。

建築好きとしては、いいモノづくりをしている事務所に勤めてから独立するという思考回路になってきまして。僕は青木淳さんのところ(註:青木淳建築計画事務所、現称AS)で学生中にアルバイトすることができて、内部の状況が分かってきて、タイミングをつかみやすい状況になっていました。アトリエ事務所って、ご縁とタイミングなんですよね。

当時所員となっていた永山祐子さんが「寳神くん、空いてるよ」と言ってくれて、青木事務所に入ったと。僕もほかの募集枠が出たときに仲のいい人に声をかけたりして、すごく濃密な時間を過ごすことができました。

6年間青木事務所に勤めて、その間に〈青森県立美術館〉や〈ルイ・ヴィトン 松屋銀座店〉を担当させていただきました。公共的な環境と商空間、2つの側面を学ぶことができたのはすごく大きな収穫だなと思っています。

▲自邸にディスプレイされた家型のオブジェ「Light Village(ライトビレッジ)」は、寳神氏のデザインによるもの

── そしていよいよ独立されたと。

寳神:独立してから、15年ほど経ちます。独立してからすぐに気づいたのは、アトリエ系の建築設計者の仕事が不安定ということ。当たり前の事実ですが、勤めているときはまあまあ気づいていないものです(笑)。

アトリエ系の設計の仕事って、大間(おおま)のマグロ漁師さんに似ているなと思っていて。青森県でマグロを獲る漁師さんの話が、よく年末のテレビ特番であるんですね。マグロが釣れるか釣れないかで人生が変わる、マグロが獲れないと年収が落ち込んで大変なことになる。

ロマンがあってすごく好きなのですが、我々の設計者も同じだぞと。マグロ漁師を引き合いに出したのは、仕事が入るか入らないかで、経営が不安定だと言いたいだけなんですけど(笑)。

設計請負から1つ上流に遡ってみる

寳神:「設計事務所で好きな仕事をしながら、経営が安定するような方策があるはずだ」ということは、ずっと思っていました。我々の人生、もうちょっと安定させたいなと思って。

実現する手段はというと、設計という請負業から一歩踏み込んで、上流に上っていくことです。つまり、建物自体の事業者側に回ってしまうということが1つ大きなコツだな、と気づいたのです。


▲設計者自らが事業側の立場に回ってみる

独立して6年経ったくらいから、不動産について勉強し始めたんですね。つまり「自分たちの設計業の上流ってどうなっているんだろう?」ということです。

我々は、いつもお客様の仕事を請けて依頼に応える設計をしているのですが、「そもそも建てるためのお金はどう調達するんだろう?」と。そのためにはどうも借金をする必要がある。「でも借金って、どういう心構えでするものか全然分からないぞ」とか。

抵抗感がある壁が、いくつかあるんですね。でもそういう壁さえ超えれば、どうも日本の資本主義の構造や社会構造としては、不動産にずいぶん寛容な世界であるなということが分かってきまして。

どういうことかというと、頭金になるお金が2割くらいあって、あとは建物をつくるプランと事業計画をきちんと示すことができれば、日本の金融機関ってお金を貸してくれるんだということに気づきました。

事業計画といってもすごく単純なもので、例えば「この建物で、家賃が年間どれくらいになります」ということです。これは僕たちみたいな設計者でも、実はやれるんだと気づいたのが、すごく大きくて。

設計業を1つだけ上流に遡って、自分たち自身が事業主となる。建物を企画し、建てて、運営してみるという設計はアリなのではないかと思い至ったのです。

▲〈terrace H〉事業開始時に作成した資料(Provided by Hisashi Hojin)

コトづくりはモノづくりにつながっている

── そこから手がけられたのが、東京・西荻窪の〈KITAYON〉ですね。

寳神:はい、2015年に企画して着手し、2017年に竣工しました。

▲〈KITAYON〉外観の連続写真。Photo: Daici Ano

企画を思い立ってから数年間は集合住宅の中古物件を買って、運営してみました。そこでも、いろんなこと分かりまして。まずお金を借りる手続きがあり、借金をするためには建物自体が持っている事業性を確認することが必要になること。

また、運営の経験を積みたかったんです。買った物件に2週間おきに自分で掃除に行き、建物のメンテナンス性に思いを巡らせ、また同時に部屋の入居と退去を経験して、不動産会社とどう付き合うかということを勉強していました。

そうしているうちに「ただのワンルーム住宅や、それらの集合体であるだけでは面白くないんじゃないか」と思ったのですね。もっと我々がやるからには手が入れられること、提供できるものがあるんじゃないかと。

▲〈KITAYON〉外観。Photo: Daici Ano

我々のように個人でモノをつくる人たちって、いろんな場面でまだまだ大変だなと思ったり、ふさわしい場所がないなと思ったりすることが多い。それなら、僕たちと同じように個人の力で戦っている人たちを下支えする場所をつくっていくのが、真の意味で価値があると思い始めたんですね。

僕はもともとモノづくりが好きで、いいモノをつくるために仕事を始めています。でも上流に遡ってみると、コトづくりもすごく重要なことだし、可能性があることに気づいたのです。

── モノづくりがコトづくりにつながった、ということですね。

寳神:コトづくりというと、モノづくりとは離れているイメージを持っていましたが、本当はモノをより良くしていく能動的な存在であるということに気づいて。

「個人のクリエイターのための場所をつくる」というコトを決めると、クリエイターがきちんと店を構えて街とつながっていくようにしたい。そうすると、必然的に建物が街に開いていくのですね。「街開き」という魅力的なキーワードが、モノに自動的に実装されてくる。

▲〈KITAYON〉1階店舗から外の通りを見る。Photo: Daici Ano

これはすごく面白いなと。設計でモノづくりに燃えているときは、いいモノをつくって「はいどうぞ」と提供すればいいのですが、コトをつくるとなると、そのモノが街と絡み合っていないとそもそも機能しない。

建物を自分で事業としてやると、どう街にコミットしていくか、どんな住み手かを想定して、彼らのために建物をどう最適化するかと考えます。それが実は人の暮らしをつくっていく、という建築の奥深さに改めて気づくわけですね。

〈KITAYON〉を建てた西荻窪という街は、個人のクリエイターや個人で商いをしている方が多い街です。そうした街で、個人が活き活きとする店、アトリエ兼住宅を取り込んだ建物をつくりたいと。5つの区画が入る建物を、初めて自分が事業者となって建てたんですね。

(#02 に続く)


インタビュー動画はこちら

Movie: toha


KITAYON

寳神尚史インタビュー「デザインと経営を自由にする事業企画」

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自邸の入る〈terrace H〉ガイドツアー

FEATURE2021.10.25

[Movie] Interview with Hisashi Hojin about terrace H

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