FEATURE
[Special Report & Interview] Understanding the redesign that revitalized "HOTEL IL PALAZZO"
アルド・ロッシの名建築を内田デザイン研究所がリ・デザイン、改修総工費約18億円の〈ホテル イル・パラッツォ〉再生プロジェクトはどのように進められたのか?
FEATURE2024.01.18

〈ホテル イル・パラッツォ〉再生ストーリー[現地レポート&インタビュー]

アルド・ロッシの名建築を内田デザイン研究所がリ・デザイン、総工費約18億円の改修プロジェクト

福岡を代表する現代建築〈ホテル イル・パラッツォ〉が、約1年8カ月の改修工事期間を経て、2023年10月1日に新たなスタートを切った。総工費約18億円をかけたホテルの改修におけるリ・デザイン(Re-Design)を、1989年のホテル開業に大きく関与した内田デザイン研究所[*1]が手掛けている。

〈ホテル イル・パラッツォ〉外観

Photo: Satoshi Asakawa

「ホテル イル・パラッツォ リ・デザインプロジェクト」概要

事業主:いちご地所
総合監修・インテリアデザイン:内田デザイン研究所
設計協力:マツムラアーキテクツ
設備設計・構造・許認可協議:山下設計 九州支社
照明プランニング:モデュレックス
水景:ベルックス
施工:イチケン九州支店
FFE(Furniture / Fixture / Equipment)製作:霞工房
ユニフォームデザイン:小野塚秋良
竣工写真撮影:淺川 敏
PRサポート:山本真澄

敷地面積:2,517.31m²
建築面積:1,429.66m²
延床面積:5,788.39m²
規模:地上8階+地下1階
構造:SRC+RC造
竣工年:1989年(リニューアル竣工:2023年)

 

『TECTURE MAG』では、開業直前の9月に行われたメディア向け内覧会を取材、現地にて関係者によるレクチャーを受けたほか、後日に東京・広尾にある内田デザイン研究所を訪ね、今回の「Re-Design」プロジェクトのメンバーに追加取材を行った。

日本を代表するデザイナーのひとり、亡き内田 繁氏(1943-2016)[*2]がこのホテルのデザインに込めたものとは何だったのか? リ・デザインでそれらはどのように蘇ったのか?
当時の図面は残されていたものの、決して平坦ではなかった道のりが、2回の取材から浮かび上がった。本稿では、質の高いデザインと竣工当時の熱量をまとっての”リ・デザイン”のポイントとその裏側を伝える。

特記なき写真はTEAM TECTURE MAG撮影

「ホテル イル・パラッツォ リ・デザインプロジェクト」メンバー:左から、奥野ゆかり(デザイナー)、長谷部 匡(内田デザイン研究所 代表)、稲垣留美(取締役、チーフデザイナー)、成川秀一(霞工房[*3] 代表)の4氏

プロフィール

長谷部 匡 / Kiyoshi Hasebe
内田デザイン研究所 代表、デザイン・ディレクター。
1980年代より内田 繁をサポートしながら、展覧会、出版、地域振興、教育などの企画立案や建築、インテリア、プロダクトなど多数のマネジメントやディレクションを手掛ける。2016年以降は内田デザイン研究所の代表を務め、時代の価値観とデザインと社会と文化をつなぐ複合的視点からデザインの可能性を提案している。

稲垣留美 / Rumi Inagaki
内田デザイン研究所 チーフデザイナー。
桑沢デザイン研究所スペースデザイン科卒業。2002年よりスタジオ80、2004年より内田デザイン研究所。ホテルや住宅や商業施設等の建築、インテリアからインスタレーション、家具デザインまで、多くのプロジェクトを手がける。担当物件は、IFデザイン賞、グッドデザイン賞などを受賞している。

奥野ゆかり / Yukari Okuno
内田デザイン研究所 デザイナー。
桑沢デザイン研究所スペースデザイン科卒業。2013年より内田デザイン研究所に在籍し、ホテル、商業空間、住宅、家具など多数プロジェクトを手がける。主なプロジェクトに、リラインス ショールーム、玉川温泉、ENSO ANGO、MUNI KYOTOなどがある。現在、桑沢デザイン研究所非常勤講師を務める。

成川秀一 / Shuichi Narikawa
霞工房 代表取締役。
一級建築士。1999年金沢工業大学建築科修士課程修了。内田 繁のもと、ホテル、商業施設などの家具デザインと製作に携わり、現在も内田がデザインしたプロダクトの製作を担う。主なプロジェクトに、オリエンタルホテル広島、ザ・ゲートホテル雷門、ENSO ANGOなどがある。


[1] 内田デザイン研究所 / UCHIDA DESIGN INC.:インテリアデザイナーの内田 繁(1943〜2016年)が創設したスタジオ。インテリアデザインのみならず、建築、家具、プロダクトなどのデザイン、地域・文化・産業振興などに関わるデザインコンサルティングやディレクション、ギャラリーやアート企画のプロデュースまで、ジャンルにこだわらず幅広くデザインの可能性を追求している。
https://www.uchida-design.jp/

[2] 内田 繁:日本を代表するデザイナーとして商・住空間のデザインをはじめ、家具、工業デザインから地域開発に至る幅広い活動を国内外で展開した。プロフィール詳細は後述。
[3] 霞工房:「もの」と「デザイン」をつなぐ新しい生活文化を築くことを目指して2005年に開設。インテリアデザイナーの内田 繁がデザインした家具やプロダクトの企画・制作販売を担当するほか、商業空間から個人のクライアントまで生活文化を支える家具や調度品を中心に、企画から製作までを行っている。
https://www.kasumikobo.jp/

プレス内覧会で配布された、今回のリ・デザインプロジェクトの概略をまとめたリーフレットと、竣工当時に発行された貴重な書籍(開かれたページの内観は、アルド・ロッシがデザインしたバー「エル・ドラド」)

INDEX

序文
・〈ホテル イル・パラッツォ〉開業の経緯
・「小さなデザインのホテル」への回帰を目指す
インタビュー&プレス内覧会取材
・「デザインの力」を信じたインテリアデザイナー・内田 繁
・ホテルの顔となるアルド・ロッシのファサード
・図面さえあればデザインは復元できる
・インテリアとアートが一体となって1つの世界観をつくる
・心がけたのは師の残像が感じられるようなデザイン
・オペレーション提案もデザインの1つ
・「インテリアを文化に」
・1つの実験として「第3の道」を切り開く

2023年10月開業ニュース

アルド・ロッシの名建築〈ホテル イル・パラッツォ〉がリニューアル、10/1グランドオープン!

〈ホテル イル・パラッツォ〉開業の経緯

日本経済の絶頂期にあたる1989年の12月、〈ホテル イル・パラッツォ〉は福岡市の中心部に開業した。所在地は福岡市中央区春吉3丁目、目の前の一級河川の那珂川が流れ、対岸には有名な中洲の屋台エリアがある。地元の人間なら誰でも知っているが、春吉一帯は昔からあまりイメージの良いところではなく、誰もが気楽に足を運べるエリアとは言い難かった。

このマイナスイメージを払拭するプロジェクトの第一弾として、従前にないホテルの建設計画が1980年代に立ち上がった。当時の事業主のジャスマックから、インテリアデザイナーの内田 繁のもとに参画の打診があり、内田の声がけで、イタリア人建築家のアルド・ロッシ[*4]が建物の基本設計を担当することになる。
そのほか、内田とともに館内のインテリアデザインを三橋いく代[*5]が担当。別棟にしつらえた4つのバー(Bar)を、ロッシのほか、エットーレ・ソットサス[*6]、ガエターノ・ペッシェ[*7]、倉俣史朗[*8]がそれぞれデザインした。ロゴデザインをはじめメニューリストなどさまざまなグラフィックデザインをの田中一光[*9]が手掛けるという豪華な布陣。いわゆる「デザイナーズホテル」の先駆け的な存在である。

[4] アルド・ロッシ(1931〜1997年|Aldo Rossi)
[5] 三橋いく代(1944〜2017年):インテリアデザイナー。内田 繁の公私におけるパートナーでもあった。
[6] エットーレ・ソットサス(1917〜2007年|Ettore Sottsass):オーストリア=ハンガリー帝国(当時)出身、イタリアで活躍した建築家でありデザイナー。20世紀を代表するデザイン運動「メンフィス」の中心メンバーとして知られる
[7] ガエターノ・ペッシェ(1939年〜|Gaetano Pesce):イタリアを代表する建築家でデザイナーのひとり
[8] 倉俣史朗(1934〜1991年):国際的な評価も高い日本を代表するデザイナー。現在、世田谷美術館で大規模回顧展が開催されている
[9] 田中一光(1930〜2002年):日本を代表するグラフィックデザイナー。無印良品のトータルデザインをはじめ、企業ロゴのデザインも数多く手がけた。

開業は大きな話題となり、その後も福岡の文化発信拠点、サロンとして一時代を築いた〈ホテル イル・パラッツォ〉だったが、バブル経済の終焉とともに集客が振るわなくなる。唯一無二のバーも次々とクローズ。ホテルの所有者も替わり、2009年の大幅な改装によって竣工当時の空間はほぼ失われている(以上、人物名は敬称略)。

以下にスライド表示する内外観の画像13点は、1989年当時のものである(撮影:ナカサ&パートナーズ)。

「小さなデザインのホテル」への回帰を目指す

いまいちど竣工時の精神に回帰しようという機運が高まったのは、2016年にいちご[*10]が建物を取得して以降のこと。2019年にホテルの「Re-Design」プロジェクトが立ち上がり、内田デザイン研究所の参画が決まる。コロナ禍で進行が一時中断したものの、2022年1月に改装のためホテルをクローズ、2023年10月にワンファイブホテルズ[*11]運営のもと、リニューアルオープンを果たした。

[10] いちご 会社概要:https://www.ichigo.gr.jp/company/about.html
[11]ワンファイブホテルズ 会社概要:2019年設立、2023年5月に博多ホテルズより改称。いちごグループ会社の1つで、ホテル運営事業、飲食店運営事業、コンサルティング事業、業務受託事業、プロパティマネジメント業務、アセットマネジメント業務を主な事業とする(本社所在地:福岡県福岡市中央区春吉3-13-1|代表取締役社長:北﨑堂献)

開業直前の2023年9月に行われたプレス内覧会の様子。地階に誕生した新生「EL DORADO」に参加者を集め、事業主のいちご地所、リ・デザインを担当した内田デザイン研究所ら関係者が登壇し、プレゼンテーションを行った。

「デザインの力」を信じたインテリアデザイナー・内田 繁

『TECTURE MAG』編集部(以下、編集部)
——昨年9月のプレス内覧会で、長谷部さんは「内田は最初にデザインから入ったわけではない」と語っていました。これはどういう意味なのでしょうか。

長谷部 匡(以下、長谷部)
内田がつくろうとしたのは、時代とともに生き続けられる、その地域に根付いて社会資産となるようなホテルでした。「もしもデザインにある種の力があるなら、それを証明したい」と語っていて、デザインの力を借り、あるいはデザインの力を信じて、春吉というエリアが良くなるものをつくる。それも大きな規模ではなく、100室以下の「小さなホテル」でやろうとしたのです。
当時の時代背景として、ニューヨークではイアン・シュレーガー[*12]たちが従前とは異なる全く新しい価値観のホテルをつくろうとしました。その動きを踏まえ、小さなブティックホテルでも街を変えられる可能性があると内田は考えていた。

彼がよく言っていたのが、工業化が進んだ今の時代、誰がつくっているのかわからないデザインが溢れ、売る相手も不特定多数になっている。そんなマス・プロダクションの時代こそ、デザイナーは顔が見える仕事をしないといけないんだよと。春吉のプロジェクトでは、小さなホテルにあわせたオペレーション、デザインをどうするか、そしてインパクトのある建築を誰に設計してもらうのがいいか、そういったことから構築していく必要がありました。今で言うブランディングですね。

[*12] イアン・シュレーガー(Ian Schrager):1946年生まれ。アメリカの起業家、ホテル経営者、不動産開発業者。「ブティック ホテル」や「デザイナーズホテル」の提唱者のひとり。1970年代にニューヨークに開いたナイトクラブ「スタジオ54(STUDIO54)」は伝説的存在となっている。2020年に東京・虎ノ門に開業したマリオット・インターナショナル傘下のラグジュアリーライフスタイルホテルブランド「EDITION」の日本国内1号店〈東京エディション虎ノ門〉などを手がけている

内田氏亡きあと、内田デザイン研究所の代表(所長)を務める長谷部 匡氏。今回のプロジェクトではデザイン全体を統括するディレクターを務めた

ホテルの顔となるアルド・ロッシのファサード

編集部
——建物の基本設計を担当したアルド・ロッシは、これが日本初となる建築でした。

長谷部
ロッシと内田は実は面識がなくて、共通の知り合いを通してオファーしました。当時はメールなんてないから、手紙を書いて、郵送して、イタリアのロッシの事務所に国際電話をかけたのがクリスマスの晩。ロッシは「サンタクロースからのジョークかと思った」なんて言ってましたけど(笑)、快諾してくれて、すぐに福岡にも来てくれました。中洲で内田と酒を酌み交わして、意気投合して、春吉のまちも歩いたあとで、最初のプレゼンテーションであの特徴的なファサードのデザインを出してきました。二度目のプレゼンで出てきたのもファサードだけの模型でした。

編集部
——「イル・パラッツォ」といえばあのファサードを思い出す、ホテルの顔となるデザインでした。

長谷部
おもしろいのは、このファサードには窓がないんです。眼前の那珂川を眺めるという俗っぽさを排除したのでしょう。ロッシは「どうだ、日本っぽいファサードができただろう」と誇らしげに言ってましたけど、どこが日本ぽいのか誰もわからなかった(笑)。案内した京都では西本願寺をかなり気に入ったようで、長いことお堂を眺めていたそうです。当時はポストモダンの時代だったから、もしかしたら西洋と日本の古典からの「本歌取り」だったのかもしれません。

ファサードのデザインは、初期のドローイングからほとんど変わっていません。唯一、階数を1つ減らすことになって、ロッシに伝えたら、手元にあったドローイングの紙に鋏を入れて短くしちゃった(笑)。インタビューを受けているこの部屋に掛かっているドローイングは、ロッシが切り貼りしたその現物です。

ロッシが自ら切り貼りした〈ホテル イル・パラッツォ〉ファサードのドローイング。「ロッシは日本の判子が気に入り、これにも捺印してます」(長谷部氏談)

図面さえあればデザインは復元できる

かつての〈ホテル イル・パラッツォ〉の本館には、地下にディスコがあり(後年、バンケットホールに改装)、レセプションは2階に置かれていた。2009年の大改装で空間のオリジナル性が失われたのは序文で触れたとおり(竣工後の改装には内田デザイン研究所は関与していない)。今回の「Re-Design」プロジェクトに際し、数年振りにホテルを訪れ、閉館中の内部に足を踏み入れた稲垣氏らは、あまりの変わりように言葉を失ったという。

稲垣留美
話には聞いていたのですが、本当に跡形もなくて、倉俣史朗さんがデザインしたバーはブライダルゾーンになっていました。内田とロッシがつくった軸線もない。ショックでしたが、逆に捉えれば、インテリアデザインがもっている力、影響力というのはやはり大きいのだと、強く印象づけられた体験でもありました。
今回のリ・デザインでは、ロッシが「太陽の道」や「ガレリアの道」と名付けて、路地空間を意識してつくったであろう南北の軸線を復活させています。

編集部
——どのようなプロセスで「原点回帰」は進行したのでしょうか。

稲垣
まずは柱と床だけのスケルトン模型をつくることから始めました。参照したのは当時の図面と竣工写真です。ウチの事務所は過去のプロジェクトの大事な図面はほぼ残してあります。
図面はことあるごとに参照しました。だから図面さえ残っていれば、何年経ってもデザインの再生はある程度は可能だと思います。

本プロジェクトでチーフデザイナーを務めた稲垣留美氏(内田デザイン研究所 取締役)

長谷部
竣工時の写真が残っていたのは、内田と親交があった倉俣さんに「竣工したら必ず撮っとけ!」と口を酸っぱくして言われていたおかげです。昔も今も商業店舗の寿命はとても短いから、撮っておかないとすぐなくなっちゃう。内田と倉俣さんは生前、会うたびに「今年は何軒なくなった?」と挨拶代わりに確認しあってました。

編集部
——竣工当時を知るスタッフは今、内田デザイン研究所に在籍しているのですか。

長谷部
僕ひとりだけです。内田が立ち上げた当時のスタジオ80(はちじゅう)[*13]に入社したてで、ホテルのロゴデザインを担当した田中一光デザイン室とやりとりしていました。だから、空間デザインに関しては実はあまり覚えていません。
ちなみに田中さんのロゴは今回、変えませんでした。再生されたホテルのシンボルになると考えたからです。ただ困ったのが、あの頃はデジタルで入稿データをつくってないんです。田中一光デザイン室に在籍していた福田秀之さんに色やフォントなどをいろいろ教わって、Illustratorのデータをおこしました。福田さんは今回のプロジェクトの影の功労者です。

[*13]スタジオ80(はちじゅう):内田 繁、三橋いく代,、西岡 徹の3人の個人作家が1981年に結成したスタジオ

インテリアとアートが一体となってひとつの世界観をつくる

編集部
——内部空間のリ・デザインでは、どういったことに重きがおかれていたのでしょうか。

長谷部
リ・デザインを日本語に置き換えると「本歌取り」。古典とか元々あるものに対して、今の時代の人間が何らかの答えを返すという趣旨だと解釈しています。となると、1989年竣工時の〈ホテル イル・パラッツォ〉とは何だったのか、内田やロッシ、倉俣さんたちは何を考えてデザインしたのか、そこらへんを我々がきちんと理解していないと、何をどうしていいかもわからない。イル・パラッツォらしさとは何か? クライアントと共にそこから考えることから始めました。

ロッシは建築で小さな都市をつくろうとしていた。であれば、内部は、外部のイメージを取り込んで、建築と一体となるような空間にしようと内田と三橋は考えた。ファサードの柱や側面の窓の並びの規則性を内部にも生かし、赤・青・緑といったロッシの色彩をインテリアに取り込む。そうして内と外のイメージが同一になるようにしました。
ただし、客室だけは、プライベートな空間として、日本人が寛げることを前提に内田と三橋がつくっていたので、今回もそこは踏襲しています。

奥野ゆかり
意識したのは、イル・パラッツォの世界観です。竣工時のホテルは、中に入ると、日本ではない、別世界に入り込んだような感覚があったと思うのです。建物の奥へと人々を誘い込み、路地のような空間があって、外部の雑踏を忘れさせてくれる。そんな世界観の迷宮への入り口は今回、「青」を基調にアプローチをつくっています。

内外の連続性を意識した内田と三橋へのオマージュとして、内装で使われた、カリンの赤、テラゾーの緑、スチールの青、この3色を基本に、要所で展開しました。当時の素材をそのままもってくるのではなく、使われていた素材の色を抽出しました。赤・緑・青、ほかの色も入れて、バランスよく織り混ぜながら、新しいイル・パラッツォの世界観を表現しました。ほかのプロジェクトでは例がないくらい、色をふんだんに使っていますが、ビビッドではなく、あえて抑えた色調にしています。

デザイナーの奥野ゆかり氏
内田氏によるドローイング(1989年)。建築との融和を意識し、柱や窓の規則性、赤・緑・青の3色をインテリアに活かす考えであったことがうかがえる
「内田がビビッドな色を使うようになったのは、イル・パラッツォ以降です。ロッシたちに刺激されたのだと思いますね。」(長谷部氏談)

長谷部
インテリアとアートが一体となってひとつの世界観をつくる、これが今回のテーマでした。となると、俗世界との接点となるエントランスの印象が重要になってくる。最終的に「青」の空間となりましたが、ここはかなり議論を重ねてデザインしたところです。

稲垣
改装前は、入口から地下のディスコへと真っ直ぐ降りていく階段がありました。このアプローチは良かったのですが、バリアフリーに対応するため、短いアプローチをつくり、エレベーターで地下との間をつないでいます。
青い空間を通り、地下に降りたら、目に入るもの全てが象徴的となるような空間をデザインしました。宿泊者が朝食をとったり、ダイニングやバーにもなる空間の中央には、内田が晩年に手がけたインスタレーション作品〈DANCING WATER〉を配置しました。人々が集う中庭空間というイメージです。その奥まったところ、エレベーター前から真っ直ぐに抜けていく空間の先に据えたのが、かつてロッシがデザインしたファサードを模したバーの棚です。奇跡的に残っていたものを仕立て直しました。

長谷部
前の空間にみられたかたち、格子や列柱、ストライプなども要所で踏襲しています。そういった引用やオマージュがリ・デザインの楽しみとしてあるでしょうが、当時のものをそのまま持ってくることにも価値があると僕は考えています。多少は汚れていても、直して、本物を移築することに意味がある。

いろいろリサーチして、議論を重ねた結果、イル・パラッツォらしさとは、既成概念にとらわれない自由さをもった、ある種の自由な人格を持ったホテルだったのではないかと考えています。これからも、自由な使い方をしてもらって、その自由を拡げていってほしい。そしていつでも帰ってくこられる、そういう場所であってほしいと願っています。

竣工当時はインバウンド利用がなく、日本人が寛げる空間として和室タイプの客室も用意されていたが、今回のリ・デザインで全室ベッド仕様に切り替わっている。
ベッドはクライアントの指定を受けて寝台面までの高さのあるもの、スランバーランド社の最上級クラスのダブルクッション仕様を採用。「都内のホテルも含めて、ベッドの高さは年々高くなっている」とは、長谷部氏の実感に基づく談である。

心がけたのは師の残像が感じられるようなデザイン

編集部
——空間だけでなく家具などのプロダクトでも多数のリ・デザインがありました。つくったのは何点になりますか。

成川秀一
家具と照明をあわせると全部で26点になります。ラウンジや客室、共有スペースなどに配置しています。
でも、リ・デザインを見送った家具もあります。当時の加工業者が廃業していたり、元の素材が手に入らなかったり、今の時代に即していない箇所があるなどの理由からです。

家具デザインを担当した成川秀一氏(霞工房 代表)

成川
特に難しかったのが照明です。今と昔では光の質が全く違う。例えば当時はハロゲンランプを使っていましたが、今はLEDにしないといけない。光源の配光特性といって光の広がり具合が本当に全く違うので難儀しました。客室の廊下に取り付ける照明器具では、光をあてるアーチ天井のモックアップをつくって何度も確認しました。

編集部
——今は亡き内田さんがデザインしたプロダクトをリ・デザインするのは、プレッシャーだったのではありませんか。

成川
了解がとれませんからね(笑)。でも、僕たちは長いこと内田と一緒に仕事をしてきて、彼のエッセンスが身体の中に入っている。今回も、壁にぶちあたると、内田だったらどうするかなと考え、周りのスタッフとも共有して方向性を確認しながら、少しずつデザインを組み立てていきました。
もちろん、スタッフそれぞれに解釈は異なります。でもそれは、その数だけ選択肢があるということ。内田はやったことがないことだけど、きっと喜ぶんじゃないかとか、そういった対話のようものを繰り返し、選び取った道筋の末に、ようやく1つのかたちに辿り着く。そんな作業の連続でした。これは、他のプロジェクトでも僕たちがやっていることです。

長谷部
内田がデザインした家具などの復刻の依頼は、ほかのプロジェクトでもよくあります。そこでは全くのゼロからつくるというよりも、内田の残像を帯びたようなプロダクトをいかにリ・デザインするかという思考でつくっています。

奥野氏(左)と成川氏(右)

オペレーション提案もデザインの1つ

稲垣
プロジェクトの初期はクライアントとの間でもいろいろな議論がありました。客室を1階にもつくるとか。ある程度つくりこんだ幻のプランも存在します。ただやはりホテルというのは、デザインして終わりではなくて、開業してからどのように運営されていくかがとても重要になるんです。単に客室数を増やせば収益が上がるわけではない。アルド・ロッシの建築と再生された空間に見合ったオペレーションのあり方について、クライアントと最後の最後まで検討しました。

長谷部
オペレーションはデザインに大きく影響します。今回のプロジェクトでは、クライアントと議論して、レセプションのための機能を思い切って集約して、「多目的ラウンジ」としています。

編集部
——開業後のことや、オペレーションも、デザイナーが考えることができる領域なのですね。

稲垣
内田の時代からやってきたことです。内田はお客さんと膝をつき合わせるようにして「いちばん困っているのは何か?」を聞き出し、同じ目線になって考えて、その解答をデザインで用意していました。そんな彼の姿をそばで見てきた私たちは、状況に応じたデザインを得意とする事務所になったのかもしれません。今回の福岡やそのほかの現場でも、依頼者の困りごとをちょっとした差配で変えていく。デザインの力でこんなにも変わるんですよということを伝えられる事務所でありたい。

長谷部
そういった積み重ねが、内田が目指した「相手の顔が見えるデザイン」「生きたデザイン」に昇華するのではないでしょうか。デザイン事務所としては、人々の意識を変えるようなデザインを世に送り出すことも必要かもしれないけど、今回のようなリ・デザインやソリューションの提案もデザインの手法としてあって、それぞれにかたちと方向性がある。最終的には、困っているクライアントの役にたつものができていればいい。
〈ホテル イル・パラッツォ〉もリニューアルオープンはしたけれども、まだまだ途上ですね。時間があればカトラリーのデザインもやりたかったし、これからもやりたいことはいろいろとあります。

以前はホテルの玄関口だった2階の「広場」は今後の使い方を検討中の箇所の1つ。「例えばマルシェなどのイベントを開催するといった意見を出しています」と長谷部氏談 Photo: Satoshi Asakawa

「インテリアを文化に」

編集部
——昨秋の開業前に行われたプレス内覧会の場で、長谷部さんが「真剣にデザインの話をしたい」と訴えていたのが強く印象に残っています。あれはどういった思いから出た言葉だったのでしょうか。

長谷部
建築の世界には議論があるけど、インテリアデザインにはほとんどありません。そういう場がないし、もっとやるべきだと僕は思っています。
商業デザインはサイクルが短いこともあり、コマーシャルスペースをつくればいいと考えがちです。面積に対して席数はいくつないと収益と合わないとか、雰囲気はイタリア風か和風かみたいな。それはデザインの一部です。

先駆者たる内田や倉俣さんは、はたしてデザイナーになりたかったのかと考えることがあります。あの人たちは実は空間をインスタレーションするアーティストになりたかったのではないか。仕事がないからインテリアデザインという業務を引き受けていたんじゃないか。そう思えるほど、二人の指向性はアートそのものでした。『美術手帖』などのアート雑誌を山ほど読んで、ミニマルやコンテンポラリーといった旬のアートを勉強して、常に刺激を受けてました。
これはクライアントにも当てはまることで、例えば内田が「ジャッド[*14]のような空間をつくる」といった当時の現代アートから着想した提案ができたのも、前衛的なデザインに理解があるオーナーがいてくれたからです。イッセイミヤケやヨージ・ヤマモトのブティックのデザインでも、ある種、実験的なデザイナーの試みをクライアントが相互に許容してくれていた。そんなフロンティア精神も、バブル崩壊後は忘れられてしまい、今日ではインテリアデザイナー=商業空間をつくるノウハウをもった人だと思われている。それではデザインの議論も起きようがないんです。

[*14] ドナルド・ジャッド(1928-1994):米国出身。1960年代にアートの世界で起こったムーブメント「ミニマル・アート」の先駆的な作家であり美術評論家

インテリアデザイン業界全体の問題点について語る長谷部氏(背後の壁側に置かれているのは〈ホテル イル・パラッツォ〉の客室で復刻したソファ)

長谷部
内田は常々「インテリアを文化にしたい」と語っていました。インテリアデザインが社会やいろんなものに対して貢献できるようなことをつくりたいんだと。でも今は、新たにつくろうとしている空間は人々に向けて何を提供しようとしているのか? といった議論もない。それで本当にいいの? という問いかけを、昨年9月の内覧会では、地元のデザイナーの方やプレスの皆さんに投げかけたのです。
一方で、もはや作家性の時代ではないという意見も耳にします。デザインの裾野が広がっていて、建材や商品についてはクライアントのほうが詳しいこともあるし、ソロバン勘定も長けている。でもそこにはどうしても、デザイナーでないと拾いきれないこと、見落としがある。そして「ジャッドみたいな空間」で食事をしたいというクライアントも絶対数で存在するのです。我々が考えるに、内田の時代も今も、この絶対数はほぼ変わっていない。願わくば、この「ジャッドみたいな空間」を欲する人たちと一緒にこれからも仕事をしたいですね。

1つの実験として「第3の道」を切り開く

長谷部
数千年の歴史がある建築に比べ、今で言う「インテリアデザイナー」という職能の出現は日本では早くて戦後、ごく最近です。優れたデザイナーが1人出ても一代限りで終わってしまう。ウチのように、ファウンダー亡きあとも存続できている事務所はおそらく少ないのではないか。なんとかやれているのは、内田の性質や考え方にも依ったのだろうと思っています。インテリアを文化にする、そのために、彼は教育、執筆、講演、展覧会の企画もこなしていました。いかに自分は真面目にデザイン取り組んできたかという話を我々によくしてくれていた。我々はデザイナーとして内田 繁の直系ではあるけれど、後継者とは思っていません。ただ、内田が掲げていた灯火を消したくはない。彼の志を新たなかたちにしていくという、これまでにない第3の道を歩むための1つの実験になるだろうと予想しています。

今回のイル・パラッツォのプロジェクトもその歩みの途上にあるものです。リ・デザインに舵を切ってくれたクライアントの判断が第一にありますが、その決意を促すようなデザインないし建築であったことが大きい。古典や名作と呼ばれるものには普遍的な価値があります。そこに現代の私たちが新しい価値観を継ぎ足していくことで、より良いものへと進化することができる。ゼロから発想してつくり出すだけでなく、先人たちの知恵を借りながら、記憶をつなげていく。そのような道もデザインにはあるのではないかと我々は考えています。

[了]
2023年11月 東京・広尾にて収録

Interview by TEAM TECTURE MAG
Photograph by Jun Kato & Naoko Endo
text by Naoko Endo

〈ホテル イル・パラッツォ〉夜間外観 Photo: Satoshi Asakawa

ホテル イル・パラッツォ 店舗概要

英語表記:HOTEL IL PALAZZO
所在地:福岡県福岡市中央区春吉3-13-1(Google Map
客室数:77室(27〜34m²)
付帯施設:多目的ラウンジ「EL DORADO」(130席)、ピアッツァ、駐車場(13台)
リニューアルオープン:2023年10月1日

ホテル イル・パラッツォ 公式ウェブサイト
https://ilpalazzo.jp/

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〈ホテル イル・パラッツォ〉開業ニュース

CULTURE2023.08.24

福岡〈ホテル イル・パラッツォ〉10/1グランドオープン

アルド・ロッシの名建築がリニューアル、内田デザイン研究所がディレクションとデザインを担当

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「内田繁 森の中の建築と家具」展 山中湖村にて12/17-12/20開催

三橋いく代と設計した1978年竣工の未発表別荘建築を特別公開
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「これからの『祈りのかたち』を求めて」

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COMPETITION & EVENT2023.11.15

世田谷美術館「倉俣史朗のデザイン―記憶のなかの小宇宙」11/18より開催

没後30年の今こそ辿る、倉俣史朗の仕事と思想、その源流[読者プレゼントあり]

インテリアデザイナー系譜図&読み解きガイドライン(TECTURE MAG編集部作成)

FEATURE2023.10.19

インテリアデザイナー系譜図&読み解きガイドライン

インテリアデザインの潮流もまるわかり TECTURE MAG 2023年版
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