広重、ライト、岡倉天心。隈研吾が語る〈那珂川町馬頭広重美術館〉という原点と30年の歩み - TECTURE MAG(テクチャーマガジン) | 空間デザイン・建築メディア
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広重、ライト、岡倉天心。隈研吾が語る〈那珂川町馬頭広重美術館〉という原点と30年の歩み

〈那珂川町馬頭広重美術館〉の大規模改修を機に、2026年8月1日(土)、同館にて特別講演会「自然+職人+アート、そして馬頭広重美術館」が開催されました。あわせて、記念展「馬頭広重美術館への道」も開催され、設計者である隈 研吾氏(隈研吾建築都市設計事務所)が、自身の設計思想の原点とその後の歩みを振り返る機会となりました。

講演会では、改修をおこなった〈那珂川町馬頭広重美術館〉にとどまらず、歌川広重の浮世絵からフランク・ロイド・ライト、岡倉天心へとつながる思想の系譜、そして栃木という土地で素材や職人と出会いながら重ねてきた試行、また、美術館建築から国内外へ広がっていった自身の来歴について語られました。

世界各地で建築を手がける現在の隈氏にとって、なぜ栃木の小さな美術館が設計思想の原点であり続けているのでしょうか。講演と記念展で紹介されたエピソードから、その背景をたどります。

特別講演会「自然+職人+アート、そして馬頭広重美術館」にて 登壇する隈研吾氏

特別講演会「自然+職人+アート、そして馬頭広重美術館」にて 登壇する隈研吾氏

記念展・講演会という機会、「人生の振り返り」としての企画

記念展「馬頭広重美術館への道」は、美術館のリニューアルに合わせ、館長の要望により企画されました。これまで東京国立近代美術館などの大規模な展覧会で作品を紹介してきた隈氏ですが、今回は完成した建築を並べる作品展ではなく、〈那珂川町馬頭広重美術館〉をつくるまでの足跡をたどる「人生の振り返り」が主眼に置かれました。

展示では、隈氏の建築家としての転機の1つとして〈M2〉も取り上げられました。1990年代初頭に発表した〈M2〉は、当時、その強い造形性からバブル期の建築の象徴として批判を受けました。隈氏は講演の中で、「この経験によって東京での仕事が減り、地方を歩くようになったことが、その後の活動を変える契機になった」と振り返っています。地方で地域の人々や職人、素材に出会っていく過程が、やがて〈那珂川町馬頭広重美術館〉へとつながっていきました。

展覧会の会場は3章で構成され、中心となる第2章では、美術館の計画から今回のリニューアルまでを「絵巻物」のようにたどれる展示とし、縦長のタペストリーを用いるなど、美術館を特徴づける細いルーバーのラインと呼応する展示デザインも取り入れられました。展示の最後では、長年にわたり隈氏を追ったドキュメンタリー映画の一部も上映されました。隈氏自身が25年前に設計した空間の中で、その美術館へ至る自身の軌跡を振り返るという、今回ならではの展示となりました。

〈那珂川町馬頭広重美術館〉展覧会にて

〈那珂川町馬頭広重美術館〉展覧会にて

那珂川町馬頭広重美術館という原点、自然と人間が溶け合う建築観

講演で隈氏が自身の建築観の出発点として紹介したのが、歌川広重の浮世絵「名所江戸百景 大はしあたけの夕立」です。画面を斜めに横切る雨の線。隈氏は、西洋では自然を「野蛮」、人工物を「文明」として分けて捉えてきたのに対し、広重の絵では、雨という自然現象も、人や建物などと同じ「線」によって描かれていると説明しました。そこに、自然と人工物を明確に切り離さず、両者が同じ世界の中に溶け合う日本的な自然観を見出したとしています。

この考え方は、〈那珂川町馬頭広重美術館〉の構成にも反映されています。建物の中央には大きな「穴」となる通り抜けが設けられ、手前の町と背後の里山を視覚的、空間的につないでいます。隈氏は、日本の集落はかつて、里山の際に神社を置き、山と人々の暮らしをつなぐ関係がつくられており、〈那珂川町馬頭広重美術館〉は、その原型を現代の建築へ置き換えたものだと説明しました。

さらに、建物全体を覆う木のルーバーも、広重が描いた「雨の線」を建築的に翻訳したものとして語られました。自然と建築を対立させるのではなく、細かな線の集積によってその境界を曖昧にするという、広重の浮世絵から読み取った自然観が、〈那珂川町馬頭広重美術館〉の構成と意匠の双方に重ねられています。

〈那珂川町馬頭広重美術館〉© Masaki Hamada (kkpo)

〈那珂川町馬頭広重美術館〉© Masaki Hamada (kkpo)

広重からライト、岡倉天心へ

広重の浮世絵から影響を受けた人物として、隈氏が講演で取り上げたのがフランク・ロイド・ライトでした。浮世絵の収集家でもあったライトは、とりわけ広重を高く評価していました。隈氏は、ライトがそれまでの「箱」的な建築から、自然と建築が一体となる方向へ向かっていった背景に、広重から受けた影響を位置づけています。

さらにライトと日本をつなぐ存在として紹介されたのが、岡倉天心です。岡倉が1906年に英語で著した『茶の本(The Book of Tea)』※は、茶を通して自然、人間、芸術、暮らしの関係を西洋に伝えた一冊です。講演では、同書を読んだライトが大きな衝撃を受け、「2週間仕事が手につかなかった」というエピソードも紹介されました。2026年は『茶の本』の刊行から120年にあたります。隈氏自身も現在、新たな翻訳を進めており、年内の刊行を予定されているとのことです。

〈那珂川町馬頭広重美術館〉

〈那珂川町馬頭広重美術館〉

栃木という土地との歩み、素材を通じた30年の対話

栃木は、隈氏にとって1つの建築をつくっただけの土地ではありません。1990年代後半から現在まで、規模や用途の異なるプロジェクトを重ねながら、30年近くにわたって関係を築いてきました。地方へと活動を広げていった時期に手がけたのが、那須の〈石の美術館〉です。古い石蔵を生かしたこのプロジェクトでは、栃木を代表する素材の1つである芦野石をルーバー状に扱う手法が試みられました。

大谷石は、フランク・ロイド・ライトが旧帝国ホテルに用いたことでも知られています。講演では、ライトがその柔らかな質感に注目して大谷石を選んだというエピソードにも触れられました。〈石の美術館〉では、重量感のある石を塊として積むのではなく、光を通す細かな部材として扱っています。この石の使い方が評価され、イタリアの建築賞を受賞したことが、隈氏が海外へ仕事を広げるきっかけの1つになりました。

〈石の美術館〉

〈石の美術館〉

その後、宝積寺駅前(高根沢)では<ちょっ蔵広場>の改修を手がけました。大規模なプロジェクトではありませんでしたが、既存建物や地域の素材を生かして駅前の場所をつくり直す試みで、現在もライブミュージックの場などとして利用されています。そして2020〜22年に完成した宇都宮駅東口の再開発では、再び大谷石が大規模に用いられています。ここでは、経年劣化に弱いとされる大谷石に耐久性を高める加工を施し、自然素材の表情を残しながら長く使うための方法が検討されました。

那須、高根沢、宇都宮と、プロジェクトの条件はそれぞれ異なります。それでも、土地にある素材や技術と向き合い、それを現代の建築にどう生かせるかを考える姿勢には共通するものがあります。〈那珂川町馬頭広重美術館〉もまた、栃木という土地で積み重ねられてきたこうした試行の流れの中に位置づけられます。

馬頭広重美術館からの広がり、国内外への展開

〈那珂川町馬頭広重美術館〉で試みられた考え方は、その後の隈氏の国内外のプロジェクトにもつながっています。例えば新国立競技場では、高い耐候性が求められる部分に、木の表情を転写したアルミ材が先行して採用されました。今回の〈那珂川町馬頭広重美術館〉の改修でも、屋根の木製ルーバーをアルミ製に変更する際に同様の技術が取り入れられており、隈氏も講演の中で両者のつながりに触れました。

海外のプロジェクトでも、土地の素材や職人の技術を取り込みながら、建築と周囲の環境をつなぐ試みが重ねられています。ポルトガル・リスボンの美術館では、現地の職人と協働し、焼き物のタイルで大屋根をつくりました。フランス・アンジェでは、中世の壁画が発見された歴史的建造物への増築を手がけ、中国では竹を用いた住宅や川原の石を再利用した美術館などを設計しています。

素材や場所は異なっていても、「穴」を通して建物の内外をつなぎ、自然や町との関係をつくり直すという考え方には、〈那珂川町馬頭広重美術館〉との共通点を見ることができます。

直近では、ロンドンの〈ナショナル・ギャラリー〉新棟設計コンペティションで隈氏の案が選定されました。ロバート・ヴェンチューリが手がけた既存棟に隣接した〈セント・ヴィンセント・ハウス〉を解体し、その跡地に新館を建てる計画で、隈氏は講演の中で、繊細な縦の要素によって内と外をつなぐ考え方と〈那珂川町馬頭広重美術館〉とのつながりについても語っています。栃木の美術館で試みた自然と建築との関係が、素材やスケール、国を変えながら、その後のプロジェクトへ展開されていることがうかがえます。

UK National Gallery New Wing ©︎Kin Creatives

UK National Gallery New Wing ©︎Kin Creatives

原点に立ち返り、未来へ繋ぐ

講演の最後に、隈氏は「30年前、この場所で自然の価値を教わった」と振り返りました。広重の浮世絵に見いだした自然観。フランク・ロイド・ライトや岡倉天心へとつながる思想。そして、地方へ活動の場を広げる中で出会った栃木の素材や職人たち。そうした経験が重なり合う中で生まれたのが、〈那珂川町馬頭広重美術館〉でした。完成から25年を経て行われた今回の改修は、建物を更新するだけでなく、隈氏自身がその原点へと立ち返る機会にもなりました。

記念展と講演会を通じて見えてきたのは、〈那珂川町馬頭広重美術館〉が単なる初期作品の1つではなく、その後の隈氏の設計思想へとつながる重要な地点であり続けているということです。広重から始まり、栃木での実践を経て国内外へと広がった30年近くの歩みを、1つの建築を起点にたどる機会となりました。

〈那珂川町馬頭広重美術館〉

〈那珂川町馬頭広重美術館〉


〈那珂川町馬頭広重美術館〉特別企画 概要

特別講演会名:「自然+職人+アート、そして馬頭広重美術館」
開催日:2026年8月1日(土)
登壇者:隈 研吾(建築家)
同時開催記念展:「馬頭広重美術館への道」
会場:那珂川町馬頭広重美術館

取材協力:特別講演会「自然+職人+アート、そして馬頭広重美術館」・記念展「馬頭広重美術館への道」

※岡倉天心『茶の本(The Book of Tea)』フォックス・デュッフレ社、1906年

 

特記なき画像:TEAM TECTURE MAG

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