遠藤新の名建築を再生するプロジェクト
20世紀を代表する建築家の1人、フランク・ロイド・ライト(1867-1959)の日本における高弟として知られる、遠藤新(1889-1951)。ライトがアメリカへ帰国した後も現場が続いていた、旧〈帝国ホテル〉や〈自由学園明日館〉の実質的な設計を手がけた遠藤が、建築家として単独で設計した住宅が、神奈川県葉山市に現存しています。三井物産の初代ロンドン支店長を務めた加地(かち)利夫の別邸として、昭和初期に建てられた〈加地邸〉です。
〈加地邸〉は、プレイリースタイルのプランや、内外観に見られる大谷石を使った意匠など、ライトから受けたと思われる影響が随所に見られ、その建築思想が表れた建築となっています。
“ライトらしさ”の理由の1つに、1928年(昭和3)に竣工して以降、一度も大きな修繕が行われていないことが挙げられます。竣工当時の姿がほぼ保たれている一方で、建物はインフラを含めた建物の老朽化が進んでいました。一時期は取り壊しの危機に晒されたものの、2019年に〈加地邸〉を取得した現在のオーナーが、修繕・保存のためのクラウドファンディング・プロジェクトを実施、建築本来の美しさを取り戻し、最新設備の快適性を兼ね備えたモダンな空間へと生まれ変わりました。2020年10月より、民泊施設としてリニューアルオープンしています。
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Photographs: toha(*印の1枚・上の案内板の写真を除く)
〈加地邸〉改修工事概要
<オリジナル>
所在地:神奈川県三浦郡葉山町一色1706(Google Map)
敷地面積:1,129.52m²
延床面積:364.38m²(地下1階 47.93m² / 1階 219.85m² / 2階 96.96m²)
構造:木造(一部RC造)地下1階+地上2階
設計:遠藤 新
竣工:1928年(昭和3)
<改修>
改修デザイン:神谷修平 / カミヤアーキテクツ
※クリエイティブディレクションおよびインテリアデザインを含む
改修施工:小川建設
家具製作:TIME&STYLE
外構改修:内山緑地建設
下の写真は、改修前の邸内の様子です(写真提供:カミヤアーキテクツ / 旧娯楽室、主寝室、ダイニングテラスの順)。
登録有形文化財ゆえの困難な工事
「〈加地邸〉は、2017年に登録有形文化財になっています(詳細)。インテリアも含めて、現代の技術で再現できないところは変更できないという大前提がありました。建物の歴史性は残しつつ、現代の設備やスタイルは加えたいという条件の振れ幅の中で、建物をさらに未来へと継承していくために、建築の手法で何ができるかを考えました。」(神谷修平氏談)
「まずは、空間を”PRESERVE”、”MIDWAY”、”RENEW”という3つの基準で区分けすることから始めました。それぞれ、歴史性を尊重して保存に徹するエリア、新たに造作する家具や照明により歴史と現代を融合させるエリア、さらには、現代的な考え方によって歴史性を再定義して再生するエリアを意味します。この基準に基づいて、設計を進めました。」(同上)
改修にあたり、もう1つの大きな基準となったのが、個人の別荘ではなく、1棟貸しの滞在型宿泊施設として活用されることが決まっていたこと。住宅として遠藤が設計したプランはもちろん、ライトの建築思想が色濃く表れたプレーリースタイルを維持したうえで、もてなしの空間としてしつらえ直す必要がありました。
神谷氏がどのようなデザインを行なったのか。宿泊者の目線で〈加地邸〉を訪れてみましょう。
先ずは、大谷石が敷かれたアプローチを進み、シュロの木と庭を横目に玄関から邸内に入ります。
個人邸から「もてなし」の宿へ
後述にて明らかになりますが、邸内は単なる「2階建て」ではなく、階段が多用されたスキップフロアで、重層的に構成されています。例えるなら、東京・池袋の〈自由学園明日館〉における、食堂に至る動線と空間に似た雰囲気を感じました。
玄関の目の前に見えるL字の階段を上がると、「プレイルーム」と名付けられた広間があります。チェックインを済ませた宿泊客が、最初に通され、移動の疲れをひとまずとってもらうための空間です。
ここはかつての娯楽室で、ビリヤード台が置かれていたとのこと。建物の北側に位置するため、改修前はとても暗く、ウェルカムルームにふさわしい照度に整える必要がありました。既存の照明のデザインを尊重して、間接照明を見えない位置に新設しています。
ライトへのオマージュを表現した家具のデザイン
テーブルと椅子は、新たにしつらえられたもの。遠藤の師であるライトの建築でよく見られるという三角形を基調とし、ライトへのオマージュであると同時に、組み合わせ次第でいろいろなパターンが可能な、拡張性をもたせたデザインとなっています。
既存の暖炉の対面の北側にローキャビネットを新たに設え、桟扉を開けた中に、新調した空調設備の機器類を収納。ワインセラーもこの中に用意されています。
キャビネットの天板には、表面にコーティング処理を施した大谷石の板をのせ、アルコールやグラスなどを上に置いてもガラスに傷がつかないようにデザインしました。
新旧のデザインを融合、調和させる
「プレイルーム」の暖炉の裏、庭に面して、〈加地邸〉で最も広い部屋「サロン」があります。歴史性を重視して保存に徹した空間で、改修は壁と天井を左官などで塗り直す程度にとどめています。
前述の「プレイルーム」と同様に、居住空間として足りない照度は間接照明でさりげなく補っています。目に触れる、特徴的な造作の照明器具は、すべて竣工当時のオリジナルです。同じようなデザインに見えても、それぞれ微妙に寸法が異なるとのこと。このあたりもライトの建築思想を遠藤が受け継いだ証左の1つと言えるでしょう。
「サロン」の奥には、玄関アプローチを歩いている時からその姿が見えていた「サンルーム」があります。
庭に対して突き出している壁の角度に合わせて、6角形のテーブルを新たにデザイン。元からあったオリジナルの家具をトリートメントして、6角形にカットしたガラスの天板を上から乗せ、椅子にはクッションをしつらえています。
宿泊施設としてのしつらえ
〈加地邸〉は、最大で6名まで泊まることができます(税込宿泊料金:2泊 / 429,000円より)。小ぶりの寝室が1階の東側に2つ、広い主寝室が2階の角に用意されています。
2階の南端には、スペシャルな1室が用意されています。1階玄関の上に位置する1室で、3方を向いた窓からの眺めは最高です。〈加地邸〉は葉山の高台にあり、相模湾に面した御用邸があることでも有名な、葉山の海を一望できます。
この空間にオーナーが置いたのは、あえて、コルビュジエの〈LC2〉が1脚のみ。1人掛けのソファに腰を下ろし、深々と身を沈めれば、この空間でしか味わえない「王様気分」を堪能できます。
「RENEW」の概念で大胆にデザインした浴場
旧個人邸を宿泊施設へと改修するにあたり、新たに用意しなければならないものがありました。広い浴場と、料理をするための厨房(キッチン)です。
浴場は、ボイラー室に隣接したかつての使用人部屋に、キッチンは、中2階の台所だったところを全面改修しています。
「〈加地邸〉でおもしろいのが、大谷石の外観とは違って構造が木造だということ。この後で案内するダイニングテラスのコーナーにある大きな柱も、大谷石で屋根をがっちりと支えているように見えて、実は中は木の柱で、外側を大谷石で囲っているのです。古い建物ではよくあることですが、床や壁を取り外してみないと、中がどうなっているかわからないことがある。それが良い方向に転じたのが、旧使用人部屋でした」と神谷氏。続いて、今回の工事で最も大胆な改修が行われた空間、浴場に案内してくれました。
「旧使用人部屋を浴場に改装するにあたり、頭上(2階の)床を抜いてみたところ、パーッと上から光が入ってきて、ドラマチックな感じがとても美しかった。そこで、上のフロアは完全に潰して、吹き抜けのある浴場にしました。新しくなった浴槽で湯に浸かり、ふと目線を上げると、竣工当時の構造体が見える。新旧の眺めを同時に楽しめる趣向です。」(神谷氏談)
葉山の夜を演出する炎
〈加地邸〉の宿泊料金には、食事代などは含まれません。葉山の街に繰り出して食べてもよし、キッチンで料理してもよし、ケータリングにするか、料理人を招いてつくってもらうのもいいでしょう。
ダイニングはキッチンに接して配置、6人掛けのテーブルを据えました。
食事を終えたら、南面のテラスでさらなるひと時を味わいましょう。
ダイニングテラスをぐるりと囲んだベンチの中心には、エタノール暖炉を設置したファイヤープレイスがデザインして用意されています。点火すると、ガラスのパーテーションの向こうに炎が揺らぐ、現代的・最新の暖炉です。
取材当日の夕刻、こちらで神谷氏のインタビューを収録しました。設計を依頼された経緯や、設計のコンセプトなどについて、改めて語っていただいています。
Movie: toha
使いながら建物を未来へと繋いでいく
〈加地邸〉では、国内に限らず、海外の建築好きな人々の宿泊利用も想定しています。そのほか、ドラマや映画などの撮影にも貸し出しています。
〈加地邸〉の公式ウェブサイトに履歴が出ていますが、最近では、NHK制作のドラマ「岸辺露伴は動かない」(原作:荒木飛呂彦、主演:高橋一生)にも登場、第1話放送時には、SNSで「露伴邸はどこの何という建物か?」と話題となりました。
ライトの建築思想を受け継ぐ遠藤の遺構として、世界的にも貴重な〈加地邸〉。確実に未来へと受け渡していくために収益は必要です。今回の改修工事でも、老朽化した箇所の全てをやりきったわけではありません。
元からの魅力に新たなを価値を加えて、締め切るのではなく地域はもちろん世界に対して建物を開き、有形文化財を宿泊施設として使いながら未来へと保存していくという、ビジネスモデルの今後に注目です。(en)