TECTURE MAG では、若手の建築家の手掛けた事例を積極的に取り上げている。今回の連続記事では「次代の建築をつくる」と題し、これから本格的に活躍する建築家たちにインタビュー。これまで何を大事にして自らの基軸を見出してきたのか、これからどのように建築をつくろうとしているのかを浮き彫りにする。
「建築家」と一概にいっても、人々の暮らし方・働き方が多様化する現代においては建築活動の領域や方向性は多岐に渡る。この記事では、さまざまな視座からその活動が特徴的な建築家たちに注目していくことで、現代の建築界の全体像と、その次代を探ることを試みる。
第5回は神谷修平氏。前編では、各プロジェクトの設計主旨や背景、実践してきた試行を通じて、場所やスケールに囚われない普遍的な価値とは何か、その全体像を知ることができた。後編では、神谷氏がもつ設計における歴史観や、これまでの活動を経て得た事務所のこれからの展望について、詳しく伺った。

神谷修平氏。
INDEX
- はじまりは〈傀藝堂〉
- 歴史の価値を最大化する、創造的保存
- 美しい影を求めて
- 社会に対する建築家のバランス感
- KAMIYA ARCHITECTSらしさ
はじまりは〈傀藝堂〉
── 神谷さんが手掛けるプロジェクトは、その事業に歴史のあるクライアントのものが多い印象を受けます。
神谷:そうですね。私たちKA(KAMIYA ARCHITECTS)は、〈傀藝堂〉という100年以上の伝統を誇る人形師・中村人形のギャラリーのプロジェクトをきっかけに、2017年に設立されました。実際には〈傀藝堂〉の竣工は設計開始から6年経った2023年ですが、並行して〈葉山加地邸〉をはじめとした歴史文化財の保存改修や歴史のある企業からのお仕事に恵まれてきました。

〈傀藝堂〉外観。Photo: Takumi Ota

内壁の彫刻的な直線が人形のもつ曲線美を引き立たせる。Photo: Takumi Ota
神谷:関係ないかもしれませんが、私の実家も老舗の呉服屋でして。〈傀藝堂〉や〈ORIBA〉のクライアントからは「老舗呉服屋の息子なら」と信用いただいた経緯があります(笑)。
── 〈ORIBA〉は織元のプロジェクトでしたよね。詳しく教えてください。
神谷:〈ORIBA〉は、1587年創業の織元「西村織物」の工房の一角を改修し、ショールーム兼オープンファクトリーとするプロジェクトです。当初は、工房とは別棟を改修してショールームにするという要望でした。しかし現場を拝見したときに、全長45mに渡る工房と、織機を使って30人以上の職人が織物をつくる光景は、モノづくりの根幹を伝える大きな価値があると感じ、ショールームの場所を変更することを提案しました。

〈ORIBA〉エントランス。展示テーブルの脚には手織り機を転用した。Photo: yuki katsumura
神谷:ここでも、いくつかのプロダクトを製作しています。工場内が見えるエントランス中央に置かれているのは、かつて使用されていた手織り機を転用した展示テーブルです。このほか、西村織物独自のシルクファブリックを用いて、ソファ、ランプ、スツールなどの新たな家具プロダクトをデザインしました。特に「TANソファ」は、織物の共通単位である反物(たんもの)を約5倍に拡大した形状で、大きなシルクに触れることで博多織の質感の上質さを存分に感じられるものとなっています。

TANソファ。Photo: 本浪隆弘
神谷:日本全国の織元のファブリックを選べるというコンセプトで、東京の家具メーカーからプロダクトとして販売が開始されていて、日本のクラフトマンシップを盛り上げるという、これも普遍的な価値を目指したものです。
── 歴史のあるプロジェクトにおいて、特に気を付けていることはあるのでしょうか?
神谷:いかに歴史と対話するか、単なる保存にならないようにするかを気を付けています。古いことを逆手に取り、それをアイデンティティとした新しいデザインをつくり出すことが〈価値を建築する〉ことに繋がります。
どんなプロジェクトでもコストの壁は存在します。歴史的なプロジェクトでは、歴史を生かすことがクオリティを上げ、コストを下げることにも繋がるというところがポイントだと思って、創造的な視点で既存リソースのリサーチを行っています。

〈ORIBA〉ショールーム。Photo: yuki katsumura
歴史の価値を最大化する、創造的保存
── どういったところから着想を得ていますか。
神谷:現場で実際に見聞きし自らが行動して発見したことが、新しいアイデアに繋がってきたように感じます。例えば、〈ORIBA〉の展示テーブルのアイデアは、工房を訪れた際、長年放置されていた手織り機を見つけたことがきっかけでした。歴史ある手織り機だったので、本来の機能を無視して転用することに反対の声もありましたが、「転用して活用することで、クラフトマンシップがもっと強調される」と職人の方たちに伝えました。結果、展示テーブルはこのプロジェクトのアイコン的な存在となっていると思います。

手織り機を転用した展示テーブル。Photo: yuki katsumura
神谷:歴史性と現代性は表裏一体だと思うことが重要です。長い歴史をもつクライアントの誇りでもある「こうあるべき」という既成概念に対して、それらのこだわりを捨てた突飛ともいえるアイデアが、結果的にプロジェクトを象徴するアイコンとなり得る可能性を秘めています。こうしたアイデアは実は、歴史に新たな視点を与えて、設計・施工・クライアントのワクワク感に繋がり、その後のプロジェクト進行にドラマや活力を与えるという、チームビルディングとしての効果も実感することが多いです。保守的保存ではなく、創造的保存ですね。

1921年創立の国産耐熱ガラスメーカー、HARIO初のコンセプトショップ〈HARIO Satellites〉。Photo: Katsumasa Tanaka

仕上げ素材開発の一例。HARIOガラスの特徴的な原料である「ホワイトサンド」と、左官技術を組み合わせた内壁の仕上げ。Photo nanako ono
神谷:情報が溢れる現代では、これまでに見たことがないような意外な発想が常に期待されている一方で、新しさだけが極度に溢れ疲れているように感じます。時には、歴史の真ん中に何も知らないエイリアンとして飛び込むことが、クライアントやプロジェクトの歴史に支えられた新しい価値を見出す鍵になるのです。そのためには、気兼ねなく意見を言い合えるコミュニケーション環境を整えておくことが肝要です。
── アイデアはその後、どのようにして具体的に詰めていくのでしょうか。
神谷:発想したアイデアがもつ潜在的な価値を信じる一方、何度も疑います。実際のところ、オリジナルのデザインを比較論なしに生み出すのは難しいものです。先人が残したデザインを尊敬し学び、「これより良いものをつくってやる」という強い信念でアイデアを深化させていきます。
そういうときは、進化し続けるAIでの検証や、デザイン史に蓄積されたアイデアのようなビッグデータと共に検討を進めている感覚です。そして、私たちのアイデアもいずれビッグデータの中に放り込まれるわけで、人々をワクワクさせる存在として、魅力的に映ることも重要だと思っています。
美しい影を求めて
── スタディは何を用いて進めていきますか?
神谷:模型づくりも大好きですが、現代のスピードに沿うために、主にダイアグラム・スケッチをもとにした3Dモデリングを用いてチームでアイデアを開発することが多いですね。3Dモデリングによる空間の疑似体験が、ドライビングフォースになることが多いです。また、私たちは住居環境における光のあり方を大切にしているため、光のシミュレーションは欠かせないプロセスです。

〈OHAGI3〉3Dモデリングによる照明検討。Provided by KAMIYA ARCHITECTS

〈OHAGI3〉3Dモデリングによる照明検討。Provided by KAMIYA ARCHITECTS
神谷:一方、模型には重力が視覚的に確認できるという利点があるため、コアとなるアイデアや、プロダクトの設計などでは模型を使ってスタディを進めることも多いです。

事務所に置かれた模型の一部。
── 光を大切にしている、というのは、やはり北欧建築の影響があるのでしょうか。
神谷:そうですね。デンマークの照明器具を売る店を訪れた際、一緒にキャンドルが売られていることに驚いたんです。北欧では、炎が照明として捉えられていて、キャンドルの種類もさまざまで、その扱い方も多彩です。
光をデザインすることは、同時に影をデザインすることでもあります。改めて考えてみると、私が普遍性としてジオメトリーを取り入れるのは、私が、もっとも美しく影が掛かると感じる空間を目指しているからかもしれません。

デンマークの街並み。Photo: KAMIYA ARCHITECTS

川沿いにテーブルとベンチを出したカフェ。Photo: KAMIYA ARCHITECTS
神谷:こうした、個人的な経験や日常のふとした気づきから普遍性を導くプロセスを大切にしています。人が何かに感動する時、その何かが自分の経験や知識から遠く離れたものであればあるほど、感動の度合いも大きくなると思うのです。
「もっとも個人的なことが、もっともクリエイティブなことだ」。これは、映画『パラサイト 半地下の家族』のポン・ジュノ監督が、アカデミー賞のスピーチで紹介していた「偉大なマーティン・スコセッシの言葉」です。友人が教えてくれて以来、大事にしている言葉です。
社会に対する建築家のバランス感
── KAMIYA ARCHITECTSでは、プロジェクトごとに動画を作成していましたよね。

KAMIYA ARCHITECTSのホームページ。https://kamiya-architects.com/
神谷:デザインの価値を社会に認知してもらう手段の1つとして、動画を作成しています。クライアントと共に価値を見出し、その価値を社会に還元する。このサイクルを「VCD METHOD」と呼んでいて、すべてのプロジェクトでこのサイクルを大事にしています。

KAMIYA ARCHITECTSが掲げる「VCD METHOD」。Image provided by KAMIYA ARCHITECTS
神谷:完成したデザインをどう撮るかではなく、デザインする時点から頭の中には動画的な視点をもっており、それがインスピレーションになっています。〈THE CONE〉では、曲面の回廊を移動するシーンや俯瞰でのドローンアングルを意識してデザインを進めていました。
パートナーの動画製作のチームと、プロジェクト完成後は動画のアイディアを出し合ってきた経験が、この独自の設計手法にも繋がっています。完成を終わりとするのではなく、社会に向けて発信するまでを意識することがこれからのデザイナーに重要なのではないでしょうか。
誰もが情報をマスに発信しやすくなった現代では、自らのプロジェクトの発信のあり方もデザインしやすい。そういう意味で、私の師匠2人から学んだことは多かったです。
KAMIYA ARCHITECTSらしさ
── これまでの経験で現在に活かされていることがあれば教えてください。
神谷:もちろん日本の伝統的なものも大好きですが、私のデザインは、日本を飛び出して感じた、北欧での経験が大きく影響しています。BIGでの設計業務だけでなく、歩いた街並みやそこで出会う人々など、日常のすべてが糧となっています。今後、グローバルなデザイン展開ができるようになったフェーズでは、客観的な視点で日本を見た経験が、新たな日本的なものを表現する大きな財産になると確信しています。
また、独立1年目に〈葉山加地邸〉の改修計画に、僕個人として注力できたことも大きかったですね。文化財という歴史的に価値のある建築に携わることで、「価値を建築する」ことの意味を深く考える機会にもなりました。社会的にもそれなりの評価を得られ、その後の仕事にも繋がったと思います。

〈葉山加地邸〉外観。Photo: Takumi Ota

〈葉山加地邸〉内観。Photo: Takumi Ota
── KAMIYA ARCHITECTSの今後の展望を教えてください。
神谷:いろいろなクリエイティブ領域を横断するとは言いましたが、目標は世界で信頼される建築設計事務所になることです。例えるなら、ミシュランで言う三ツ星のレストランでしょう。そのための組織には、新しさや柔軟性だけでなく、堅牢さも欠かせません。現在、そうした目標を実現するための事務所の組織づくりや人材のあり方について、改めて見直しています。
建築をつくるのは結局は人間です。BIGに在籍していたころ、ビャルケが「建築設計事務所の唯一かつ最大の武器はヒューマンリソースだ」と言っていたのが印象に残っています。今は私が事務所を引っ張る立場ですが、もっと多くの人が個々に輝き、その中から最適なアイデアが生まれる環境が理想です。

KAMIYA ARCHITECTSの事務所の様子。Photo: KAMIYA ARCHITECTS
神谷:個々が輝くためには、事務所全体が1つの方向に向かうための軸が必要です。これまでのプロジェクトごとに追求してきた「PLACELESS」「普遍的な個別解」といったコンセプトが、事務所としての軸を太くしてきていると実感しています。
進行中のプロジェクトで、クライアントやスタッフから「KAらしい」という言い回しが増えてきました。その言語化と、新たな軸の開発を同時に進めていっているのが、KAの現在です。
Interview & text: Suzuki Naomichi