第1回「TECTURE AWARD」(特設サイト:https://award.tecture.jp/)で大賞に輝いたのは〈エバーフィールド木材加工場〉。設計を手がけたのは、小川次郎氏(アトリエ・シムサ)、小林 靖氏(kittan studio)、池田聖太氏(3916)らからなる共同チームで、今回はチームの代表として小川氏にインタビューを行いました。
後編では、「さあ、一番好きな建築を決めよう。」と掲げた本アワードの評価軸に焦点をあて、開かれたアワードが建築観にもたらす変化について、小川氏の率直な言葉を通して探っていきます。建築の専門性と社会性、その微妙な境界について語る小川氏の視点からは、従来にない建築賞を目指した本アワードの理念と深く呼応する姿勢が見えてきました。
Photo (page top): YASHIRO PHOTO OFFICE

小川次郎氏。Photo: TECTURE MAG編集部(以下、特記なき撮影含む)
自由な変形と、建築の恣意性
── 今回の作品は、小川さんにとってどのような立ち位置にある建築でしょうか?
小川次郎 氏(以下、小川):先ほど、「ものづくりには自己実現の側面がある」とお話ししましたが、今回はそうした建築の設計における恣意性のようなものと、ある程度距離を取ることができたと感じています。また、木造には「和小屋」「洋小屋」と呼ばれるように架構の原型があることから、これまではそれらにどこまで則り、どこから逸脱するかという枠の中で設計していたように思います。けれど今回は、そもそもの架構システムを考案したことで、これまでとはまったく異なる、とても自由なアプローチになりました。
本作は、さまざまな条件と構造とをすり合わせていく中で、最終的なかたちはある部分は必然的に、ある部分は偶然導き出されていったように思います。そのかたちの良し悪しの判断はとても難しく、僕たちの美学と、ほとんど自動的に立ち上がってくるかたちとの間を揺れ動きながら出来上がっていったという感覚です。

平面図。約1,350mm角の変形グリッドにより建物全体の平面ができている。Image provided by: Jiro Ogawa+Yasushi Kobayashi+Shota Ikeda

軸組み3Dモデル。小さな構造の単位が場所ごとの条件に応じて変化する「松かさ」のような建築。Image provided by: Jiro Ogawa+Yasushi Kobayashi+Shota Ikeda
小川:また、この架構システムは「冗長性に富む構造」と表現することができるかもしれません。ほかよりも部材が多くなっている箇所があります。これは応力が集中するため、例えば部材を追加して梁成を上げているんですね。こうした補助的な構成要素はいくつもありますが、おそらく説明がなければ気付かないでしょう。全体としては単一のシステムで成立しているように見えるけれど、ある程度の差異を許容できる、とてもおおらかで柔軟性のある架構形式なのです。

天井部の近景。Photo: YASHIRO PHOTO OFFICE
地域とともに育つ建築
── 「くまもとアートポリス」の取り組みは、設計にも大きな影響を与えたのではないでしょうか?
小川:間違いなく影響されていると思います。まず、審査員への信頼感がありました。彼らは「ぎりぎりの審査」をしているというか、無難にまとまりそうな案はまず選ばない。今回のプロジェクトについても「もっともリスキーな案」という評価がありました。言い回しにはちょっと驚きましたけど(笑)。
2つの作品で関わってみて感じたのは、審査員が選んで終わりではないということ。審査員はプロジェクトが始まってからも継続的に関わり、時には役所やクライアントとの折衝にも同席し「この建築はここが大事だから、役所やクライアントも理解してほしい」と言ってくれたりします。一方で、「クライアントはこれを大切にしているから、設計者は尊重すべきだ」という指摘もくれます。
今の時代、「社会に対して説明可能かどうか」は審査員にも求められています。そんな中でも、新しい風景を切り開く覚悟をもって案を選んでいることが伝わってきます。その姿勢には感服しますし、だからこそこの取り組みが長く続いているのだと、改めて実感しました。

くまもとアートポリス建築展2024「持続する志」のチラシ。
── 今回の受賞には、作品そのものの評価に加えて、「くまもとアートポリス」という土台が寄与した面も少なからずあったかもしれませんね。
小川:実際、それは確かにあると思います。熊本県庁には、建築課アートポリス・UD班という専門部署があって、プロモーションにも力を入れてくれるんです。今回のTECTURE AWARDでも、SNSなどで情報を積極的に発信してくれましたし、これまでに開催されたシンポジウムや見学会の企画・運営もすべて担ってくれました。

くまもとートポリス主催の施工現場見学会の様子。Photo: くまもとアートポリス事務局
小川:こうした機会を通じて、これまで知らなかった地域の設計事務所を知ることができますし、業種を超え、地元で活躍する人たちと交流する場にもなります。今回、そういった方々の投票も少なからずあったのでしょう。
さらに印象的だったのは、熊本の人たちが建築に対してとてもおおらかだということです。それがアートポリスの影響かどうかは分かりませんが、提案を頭ごなしに否定されることはありませんでした。まずは受け入れてみようという姿勢が心強くもありました。

天井高さ約6〜12mの緩やかなアーチ形状の屋根。Photo: YASHIRO PHOTO OFFICE
「好き」が広がっていく
── TECTURE AWARDのテーマは「さあ、一番好きな建築を決めよう。」でした。ほんの少しでも関わりがあると、その建築を「好きになる」きっかけになりますよね。
小川:そうですね。「くまもとアートポリス」だけでなく、僕が所属している日本工業大学でも、今回の試みを積極的に紹介してくれました。それをきっかけに、知人や卒業生から連絡をもらうこともありました。
施主のエバーフィールドさんも本当に協力的でした。SNSを通じて何度も発信してくださって、作品の存在がより多くの人に届いたと思います。エバーフィールドさん自身が面白い企業で、年に一度、これまで手がけた住宅の施主を招き、感謝祭を開いているんです。偶然にも今回、その感謝祭と本作の落成式が重なったことで参加させてもらい、普段はあまり縁のない人たちともお話できました。こうしたリアルな世界でのつながりも、結果的にアワードへの投票に繋がったのではないでしょうか。

2024年のクリスマスに開催された感謝祭の様子。Photo: エバーフィールド
小川:その時にも感じたのですが、建築はただ完成するだけで人を嬉しくさせる「祝祭性」を帯びているんですよね。
今回の建築賞を巡るプロセスでも、まさにそうした祝祭のような盛り上がりを感じていて。小さな接点から建築への関心が広がっていき、いろんなところで建築と社会の関わりを見ることができて、開かれたアワードならではの面白い経験になりました。
建築の評価軸を巡って
── 「好き」という、ともすれば漠然とした基準が、今後建築の評価を変えていく可能性はあるとお考えでしょうか?
小川:「好き」というのは、言い変えれば「私はここを評価する」という、人それぞれの認識の問題でもありますよね。つまり、このアワードは言ってみれば無差別級の戦い、サッカーで言えば天皇杯のような、完全にオープン化されたシステムによる「建築の評価」を巡る戦いであるとも言えると思います。そこに面白さがあるし、僕自身には「自分や、自分のつくったモノがそういう状況に巻き込まれ、曝されたらどんな気分になるのだろうか?」という、やや下世話な関心もありました。
小川:これは極端な例かもしれませんが、(キース・ヘリングにせよバンクシーにせよ)無名の作者による、見方によっては落書きのような絵画が、必ずしも専門家とは言えない人々の「好き」という反応を得て、ひとかどの「作品」として社会に認知・登録されるに至った事実が、少なくとも現代アートの世界ではあるわけです。
建築でもそういうことは起こり得るのか?起きたとしたらそれはどういうことなのか、これまでの評価基準による位置付けになるのか、あるいは異なるのか、その結果は僕たちの建築観を変えることになるのか?という興味もあります。つまり、人々の「好き」というカジュアルな感覚も、現代建築の質を測る指標の1つとなり得るのか、と。
「何をもって建築の質を測るか?」という問題は、これまでハイカルチャーに属するものとして、有識者と呼ばれる人々にほぼ限定されてきたと思います。繰り返しになりますが、専門性のレベルを高く維持しようとするプロフェッショナルの努力は素晴らしいものですし、もちろん社会的にとても重要でもあり、ネガティブに語るつもりはまったくありません。また、ある部分、自分自身もその一部になっているのかもしれない。
ただ、これはもう皆さんが気付いていることでしょうが、現代における表現行為には、こうした伝統的な評価システムだけでは掬いきれないものがたくさん出てきているし、むしろそこに可能性を見出すことすらできると思うのです。建築という、どうしても保守的にならざるを得ない分野においてもこうした議論は可能か、しかも単なるポピュリズムに陥ることなしに…。
小川:このアワードがこうした状況に一石を投じ、考えるきっかけとなることを期待しています。その際、WEBやSNSというメディアがどういう役割を果たすのかも見過ごせない問題だと思います。
このアワードが2回、3回と回を重ねるごとに、選出された作品を通してそれぞれ異なる風景が見えてくることと思います。その度に、「現代において建築を評価するとはどういうことなのか?」という僕たちの知見が塗り替えられることになれば、そしてまだ言葉にならない、「面白さ」や「美しさ」に関する新しい感覚を少しでも位置付けることができたら、それはとても興味深いことなのではないでしょうか。
Interview & text: Suzuki Naomichi