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「aq.(エーキュー)」で叶える"空間の純度が上がる"上質なバス時間

建築家・谷尻 誠が意識する「過ごす部屋」としてのバスルーム

PRODUCT2024.02.06

日本の精神性と美意識を継承するバスルームブランド「aq.(エーキュー)」では、建築家やデザイナーと共創しながらそれぞれがバス空間に思い描く夢をかたちにします。

従来のシステムバスとオーダーバスの垣根を超え、1台からのオーダーにも対応。そんな「aq.」をイメージしたバス空間を、広島と東京、2つの拠点をもち、建築家という肩書や枠にとらわれず、国内外で幅広い活動を続けている谷尻 誠氏に考えてもらいました。


谷尻 誠 | Makoto Tanijiri

suppose design office 代表取締役 / 建築家・起業家
1974年広島県生まれ。2000年建築設計事務所SUPPOSE DESIGN OFFICE設立。2014年より吉田愛と共同主宰。広島・東京の2カ所を拠点とし、インテリアから住宅、複合施設まで国内外で多数のプロジェクトを手がける。近年「絶景不動産」「tecture」「toha」「DAICHI」「yado」などを立ち上げ、事業と設計をブリッジさせて活動している。
『職業=谷尻誠』(エクスナレッジ)、『美しいノイズ』(主婦の友社)、『谷尻誠の建築的思考法』(日経アーキテクチュア)、『CHANGE-未来を変える、これからの働き方-』(エクスナレッジ)、『1000%の建築~僕は勘違いしながら生きてきた』(エクスナレッジ)、『談談妄想』(ハースト婦人画報社)など、著書も多数。

INDEX

  • バスルームの「ルーム」を拡張させる
  • 「aq. 」 ×「yado」が開く新たな扉
  • 情報を集約して空間の純度を上げる
  • 「ルーム」を自由に捉えて「過ごす」ということに意識を向ける
  • 今こそパラダイムの変換を
  • 機能優先から少し距離を置いて

バスルームの「ルーム」を拡張させる

コロナ以降、暮らし(=自宅)にホテルのような心地よさを求める人が増加する中で、宿やホテルのような住宅ブランド「yado」をスタートさせました。

「家」と「宿」。いずれも「食べる、入浴する、寝る」といった同様の行為をする場でありながら、「宿」という空間により豊かさを感じるのはなぜだろう…。ならば宿やホテル的な住宅というものがあってもいいのではないかという視点により、2020年に完成した自邸〈HOUSE T〉は、各種メディアに取り上げていただいた後、共感してくださった方々から設計依頼がありました。やはり多くの方が、質の高いリラックスを住まいに求めているということだと思います。

「宿やホテルのような住宅」とは、あまり生活感を感じさせず、それでいて高揚感があり、心地のよい空間であることを意味します。具体的な特徴の1つは収納です。もちろん宿というのは一時的なステイ空間なので、住宅ほどの収納量はいらない部分はありますが、設計としては宿と同じくファミリークロゼットにしています。

通常の家の場合、クロゼットは各部屋、各自に分かれているケースが多いので、洗濯物をたたみ、各部屋に仕分けしていく作業が発生する。そうした余計な作業を1つでもなくすことで、宿で過ごす時間と同質なものが得られる可能性にも着目しました。

もう1つは照明です。雰囲気のよいホテルは、比較的明るさを落としたエレガントな空間が多いですよね。一方、一般的な家はいまだに白く明るい壁に、煌々とした照明がデフォルトになっている。もう少し落ち着ける雰囲気をつくり出したいよね、ということで、照明も日常生活に支障をきたさないようにしつつ、できるだけしっとりとした照明にしました。

このほど僕と、「LIFE LABEL」や「Dolive」を主宰する林 哲平さんが考案した「yado」は、まさにそうしたコンセプトをもった規格住宅です。

これまで当社(SUPPOSE DESIGN OFFICE)は、オーダーメイドと呼ばれる、1つずつ丁寧に建てる建築設計を主に手掛けてきましたが、もともと僕が建売住宅や規格住宅を請け負う建築事務所にいた経緯もあり、いつかまたそういうものもやりたいと思っていたところから、僕自身の自宅をスライドさせたような今回の「yado」が誕生し、昨年リリースされました。

「泊まるように暮らす」という考え方のもと、極力、生活感やノイズを取り除いたデザインが特徴の住まいで、くつろぎ、高揚感、時間の流を設計し尽くした空間から、素材の使い方や設計手法、デザイン力など確かなロジックを分析し開発しました。豊かな時を過ごす空間づくりという点で、「aq.」と「yado」は高い親和性があると感じています。

「aq. 」 ×「yado」が開く新たな扉

「yado」は規格住宅でありながら、希望やバジェットに応じて、幾分のオプションプランの提供が可能です。「yado」に「aq.」のバスルームを取り入れたとしても矛盾なく噛み合うと思ったので、そのようなケースを想定しデザインしました。比較的コンパクトなスモールラグジュアリーなプランです。

バスルームというのは、カラートーンや照明、アメニティの置き方1つでユーザーの感じ方が変わるので、そのあたりは細かく調整する必要があります。一般的にユニットバスというと、どうしてもプラスチックや樹脂でできた、色気のない面構えになってしまうのが残念だと常々思っていますが、ユニットは気密性・断熱性に優れ、水漏れのリスクが低く、何よりコスト的にも安心とメリットが多い。そうした利点を保持しながらデザイン性に優れていれば申し分ないですよね。

素材で言うと、もし天然素材が使えないとしても、天井、壁、床に至るまでアースカラーを用いてワントーンにまとめるなど、既存の材料であっても塗装の風合いや仕上がりを統制していくことで、上質さは高まります。

照明は最低限でいいんです。もし明るさが足りなかったらキャンドルを置いてお風呂に入ってみてもいい。1日を終えて、心身を整えるために入るケースの多い空間なので少ししっとりさせる。他の部屋と同じように自分に合う照度をつくり出す、調光照明的な考え方のほうがむしろ適しているんじゃないかと思います。

夜になってバスルームへ入るとき、空間が明るすぎるのは時間軸に反しているような気がします。あとは「aq.」はユニットでありながら開口部をかなり自由につくれるというので、やはり窓を大きく開けて外の景色を取り込みたいですね。視覚的にも気持ちがいいし、換気もよくなる。そうすることで空間が拡張されるような感覚が生じます。

情報を集約して空間の純度を上げる

バスタブ自体は、たとえば置きバスでもいいと思います。シンプルで美しい空間に、美しいバスタブをそのままポンと置けば、その姿は際立つはずです。一般的なユニットバスというのは、案外頑張りすぎてデザインも凝りすぎているものが多い。早く乾くような素材にしていたり、そこに滑り止め機能があったり、もちろん便利ですが、そうした機能を求めることにより、どんどん情報が増えていく。ただでさえ小さな空間に情報が詰め込まれると、そのぶん美しさが減っていく気がします。小さい空間であればあるほど、情報をできるだけ1つに集約していく方が、空間の純度が上がるだろうという考え方です。

ホテルや旅館では、心地のよいお風呂に入るのもまた大きな楽しみの1つです。「aq.」が供するくつろぎのバスルームが「yado」に入れば、それがより実現可能になるわけです。

「ルーム」を自由に捉えて「過ごす」ということに意識を向ける

もし開口部の取れないマンションなどであれば、窓を1つ追加するように、好みの絵や写真を飾るという方法もあります。よく銭湯の壁に富士山が描かれていることとにも通底する表現かもしれませんが、「見立て」の風景をつくることによって開放感を創出する。それは部屋の中にアートを飾ることと同様で、あたかも窓が増えたような気分を演出します。

浴室に美しい壁があれば、そこに美しいアートを飾る。そんな発想の転換があってもいいと思います。もっとバスルームの「ルーム」という面を拡張させて、自由に捉えてもよいのではないでしょうか。

10畳くらいの巨大な浴室があってもいいし、十分な広さがあれば椅子や机などのインテリアを置いてもいい。さらに飛躍させれば、リビングにバスタブが置いてあってもいいわけです。それだって最高のバスルームに成り得ます。「バスルームとはこうあるべき」というような既成概念を一度取り払ってみてはどうでしょうか。

以前、依頼のあった千葉の別荘では、お風呂の外にベランダがあって、裸のままソファで外気浴できる設計にしました。外でゆっくりして、またお風呂に入るというサウナと同様の温冷交代浴が可能なバス時間をそこでは過ごすことができます。「バスルーム」という名前がついているわりには、「お風呂に入ったらすぐ出なさい!」みたいな空間は、やはり嫌だなと(笑)。それよりも「過ごす」ということに意識を向けたいですよね。

自宅も内と外に2つお風呂をつくりました。外風呂があるだけで、旅館に来たみたいな非日常的な気分になります。現に露天風呂のようなお風呂がほしいという施主の方は多いです。生活が建物の中で完結するのは基本なのかもしれませんが、屋外の空間も生活の一部になっていくのは、とても豊かなことだと思います。それがあるから、時として三ツ星レストランの食事より、キャンプのカレーのほうが美味しく感じるんですよね。シチュエーションがもたらす効果ですね。

究極、大自然の中で入る五右衛門風呂がお風呂の最上級かもしれないと思うこともあります。自分たちで薪を割って、湯を沸かす時間や体験も含めて、贅沢な風呂時間なのかもしれません。それを逆に室内に取り込もうと思うと、やはり自然と接する窓の大きさは重要です。空間が小さいほど、開口部が大きくなると、比率としては開放率が上がることになります。大きなリビングに1畳分の大きさの窓があるより、小さなリビングに同じ大きさの窓があるほうが、より外に放り出された感覚が強くなるはずです。だから空間自体が小さいからといって閉塞感があるとは限らない。むしろ小さい方がより外の感覚に近づく可能性もあるんです。

今こそパラダイムの変換を

建築家として公共施設、商業施設、集合住宅、個人のお宅などさまざまな依頼に応えてきましたが、自社の社屋となっている広島の〈猫屋町ビルヂング〉や東京のオフィス〈社食堂〉は、オフィスでありながら、一般の方々も食事ができ、本を閲覧し、買い物ができ、そのうえ、〈猫屋町ビルヂング〉ではサウナにも入れるという、言うなれば解放区です。

そうしたコミュニケーションと連続性のある場所づくりというのは、僕の中ではごく自然発生的なものでした。図書館なら図書館的なものができ、美術館なら美術館的なものができるわけですが、いざ本を置けば、そこは図書館になり、アートを飾れば美術館になります。そういう意味で、何らかの行為がその空間に対して名前をつけるのが本来なのに、空間から先に定義してつくるということに、昔から違和感がありましたね。いわゆるハコモノが生み出す弊害もそこにあるのかもしれません。

高度経済成長以前の日本で、多くの家庭では、ちゃぶ台を出したらそこがダイニングになり、お茶を飲んで寛いだらそこがリビングになり、布団を敷いたら寝室になりと、1つの空間が多機能でした。そのフレキシビリティって、実は豊かなことじゃないかと感じるんです。最初からリビングと決めて設計するのは、人間の行動を制限するようで発想としては豊かではない。便利になっているようで、あまりいい空間にはなりにくいなと。

だからオフィスをつくるのに、パターンの中でのオフィス空間から始めるというのは、自分のモノサシには合っていませんでした。昔を少し思い出しながら、現代ならではの答えを導き出し、混ぜるべきものは混ぜ、分けるべきものは分けるというのが基本姿勢です。

住宅だって昔は職住一体で、奥で子育てをしながら店先で商いをするということが多かった。「働く」と「暮らす」が近くにありましたよね。もっともコロナ以降、それと似た図式が戻ってきたので、それはライフスタイルの多様性を社会が認めたという点ではよかったと思います。1950年代後半~60年代前半の日本人が自信や誇りをもち、また周りと助け合いながら生きていた姿というのは、1つの指標としてあるべきなのかなというのが自分の中にはあります。

実際にはその後の日本は、効率化に舵を切ったわけです。効率を求める場合、機能を割り当てたほうが明確に時間的効率はよくなる。労働も作業分担したほうが効率的になる。しかし同時につまらなくなってしまったというのも事実です。大きなオフィスになるとセクショナリズムが先行し、部署間の交流がほとんどなかったり、同じゴールを目指していながら、一緒に走っている感覚を共有できていなかったり。スペシャリストばかり増えてジェネラリスト不在の時代とも言えます。僕はあんまり分けないほうがいいと思いますね。混ぜないと化学反応が起きなくなるので。

機能優先から少し距離を置いて

やはり浴室も、少し機能優先主義から離れて、空間としての多様性や豊かさを第一に置いてもいいのかもしれません。ユニットバスでもいいし、在来でもいいし、掛け合わせたものでもいい。ユーザーは出来上がったものの魅力や心地よさ、安心感を見ているのであって、どちらがどうということはあまり重要ではないはずです。二者択一ではないのがリアルであって、そこを追求しているのが「aq.」に携わる人たちの目指すところでしょう。

コストの問題というものも、時間とともに解決されていくケースが多いですよね。どんなプロダクトでも出だしは高いものだと思います。初期の開発にはやはり膨大なお金がかかるし、理解が及ばないうちに大量生産はできない。今、世の中に普及している汎用性のあるすべてのもの、車でもテレビでもあらゆるものに言えることだと思いますが、やはり初期は高かったはずです。それが徐々にユーザーが増え、たくさん使われるようになって初めて安くなった。

そういう意味で言うと、よいプロダクトの理解者が増えていくことは非常によいことで、似たような価値観をもつ者同士、500人なら500人、1000人なら1000人集められるのが現代でもあると思います。

バスルームというのは、一生の間に何度も使い、自分をケアするための重要な場所ですから、そのことを念頭に置いて見積もってみてはどうしょうか。といっても、金にモノを言わせた浴室が快適かというと、決してそんなことはない。お金かけなくてもいいものはできます。大理石やヒノキのお風呂にこだわりすぎるより、美しい景色が窓越しに見えるとか、照明が落ち着くというようなことのほうが居心地がよかったりするのは、キャンプでの露天風呂の例をもう一度引き合いに出すまでもありません。

「いいモノはすぐにはつくれない」という文化を養うことも必要だと思います。ほしいときにすぐに手に入らない、少し長く時間を要する、ということをデメリットに感じる方もいるでしょうが、僕らのチームも住宅設計をするときに、「半年でできます」とは言えません。「2年はください」と言っていますが、もしその2年を待てない人は、早くできるところに頼んでもらえばいいと腹をくくっています。

本来、住宅というものは長く使うものですから、何十年も使うものを短い時間軸だけで計って決めるより「多少時間はかかるけど、ライフタイムで考えるとたいした時間ではない」とじっくり考えて、納得のゆく答えを導き出していただけるといいですね。


「aq.」の世界観を表現しているウェブサイトでは、業界の第一線で活躍する建築家や注文住宅設計事務所などのつくり手が考える、今後の展開におけるコンセプトイメージや、理想のバス空間のデザインを公開しています。

谷尻 誠氏のインタビュー「過ごす部屋としてのバスルーム」は、特設サイトでもご覧になれます。

(この記事はaq. 特設サイトでのインタビュー記事をもとに再編集したものです)
text by hiroe nakajima
photograph by yu kawakami

 

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バスルームブランド「aq.(エーキュー)」誕生

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