48年間、資生堂の美意識を体現し続けた〈資生堂アートハウス〉が2026年6月27日をもって閉館し、その歴史的役割にひとつの区切りを迎えることとなりました。
建築家・谷口吉生氏の初期の傑作であり、彼の代名詞となるミュージアム建築の原点となったこの建築は、静岡県掛川市の、東海道新幹線がすぐ目の前を走り、凄まじい轟音とスピードが交錯する敷地に建っています。
日本建築学会賞を受賞したこの建築は、なぜ建築史における傑作と評価されたのでしょうか。不利な敷地条件を豊かな建築体験へと変換した谷口氏の設計思想を、「東京建築祭」実行委員長を務める倉方俊輔氏(建築史家・大阪公立大学教授)が読み解きます。

※この記事は、2026年4月22日に開催された「東京建築祭」によるクラウドファンディング協賛者向けの特別見学会における解説をもとに作成しています
谷口吉生(たにぐち よしお)
1937年生まれ。1960年に慶應義塾大学工学部を卒業後、ハーバード大学大学院で建築を学び、1965年から1972年まで丹下健三都市・建築設計研究所および東京大学都市工学科丹下研究室に所属した後、1975年に独立。〈資生堂アートハウス〉の後、〈丸亀市猪熊弦一郎現代美術館(MIMOCA)〉、〈豊田市美術館〉、〈東京国立博物館 法隆寺宝物館〉、〈ニューヨーク近代美術館(MoMA)〉改修や〈京都国立博物館 平成知新館〉など、国内外で数多くの美術館・博物館建築を手がける。精緻なディテールと静謐な空間構成を特徴とし、『美術館とは、作品と出会う感動を求めてたどる旅のための装置である』※という言葉に象徴されるように、鑑賞体験そのものを設計する建築家として高く評価されている。※ 1995年に開館した豊田市美術館の設計思想を表現した言葉として、同館の公式ウェブサイトに掲載
■谷口吉生氏の美術館建築は、ここから始まった
—— 谷口氏にとって、〈資生堂アートハウス〉はどのような建物なのでしょうか。
倉方俊輔氏(以下、倉方):「〈資生堂アートハウス〉は、谷口吉生さんの初期を代表する作品で、建築家としての評価を決定づけた重要な一作といえます。1977年から78年にかけて建設され、その後、1980年に日本建築学会賞を受賞しています。谷口さんは後に、美術館やミュージアムの設計で良く知られる建築家になりますが、そうした評価の出発点にあたるのが、この〈資生堂アートハウス〉です。」

エントランスホール先にある円弧の曲線が美しい階段
倉方:「谷口さんは、父である谷口吉郎さんの世代のような近代主義の建築家とは異なる思想で、モダニズムの形態言語を使いながらも、それを外側から見て、美学的に再編成している点が特徴です。モダニズムの中にいるのではなく、モダニズムを操作して、新しい体験をつくろうとした建築家です。
〈資生堂アートハウス〉には、その姿勢がとてもよく表れています。白い柱や横連窓といったモダニズムの語彙は使われていますが、建築単体の明快な造形を見せるというより、周囲の環境や反射、移動によって変わる視覚体験を取り込んでいます。図面や写真だけでは分からない、歩くことで変化していく建築体験を拡張している点が、この建築の大きな特徴です。」

モダニズムを感じさせる白い柱と横連窓
■不利な条件への建築的アプローチ方法
—— 建物のすぐ近くを東海道新幹線が走っています。谷口氏はどのように解釈して設計へアプローチしたのでしょうか。
倉方:「この敷地を初めて訪れたとき、谷口さん自身も「新幹線のスピードに、まず驚かされた」と雑誌発表時に語っています。本来、美術館というのは静かに作品と向き合う場所ですから、敷地のすぐ目の前、わずか数十メートルの場所を新幹線が轟音を立てて通過し、常に動くものが視界に入ってくるという環境は、かなり不利な条件だったはずです。
しかし、谷口さんは、その条件を無視して閉じるのではなく、外部環境をそのまま引き込んで建築の文脈に取り込み、新たな体験へと転換するアプローチを取りました。
それが、正面ファサードを覆う「ミラーガラス」の採用です。ミラーガラスを使うことで、時速200kmほどで通過する新幹線が、一瞬だけ歪みながら建物に映し出されるようになっています。この鏡面効果によって、来訪者は、実際に走っている新幹線ではなく、建築の表面に映り込んだ「虚像」に変換された新幹線を見ることになり、動く風景という建築体験が提供されています。」

ミラーガラスに映り込む新幹線
倉方:「興味深い点は、建物が新幹線に対応した形をしているわけではない点です。建物の形だけを見ると、幾何学的なものが置かれているだけのようにも見えるのに、どう考えても新幹線の映り込みは偶然とは思えない。意識しているのに意識していないようにも見えるという、どちらとも言い切れない状態が、この建築の軽やかさにつながっています。
また、屋外からは周囲を反射する鏡に見えるミラーガラスは、屋内からは完全に素通しのガラスの壁となっていて、すぐ目の前を走る新幹線や、遠くに佇む林昌二氏設計の〈掛川市庁舎〉のモニュメンタルな姿を、美しく切り取る形で見ることができます。建築のフレームによって環境をアートの背景へと呼び込むという点にも、谷口さんの建築家としての手腕がよく表れていると思います。」

屋内から見える新幹線と林昌二設計の〈掛川市庁舎〉
■曲面形状とランドスケープとしての境界
——「建物」という人工物と「自然」の境界線については、どのように考えられたのでしょうか。
倉方:「この建築は、とてもランドスケープ的です。建築を建てるための敷地は、本来は平らだった場所ですが、〈資生堂アートハウス〉ではあえて芝生の丘を作り、その盛り上がった芝生の面と建物の曲面外壁の境界線が有機的に連続するように設計されています。」

ランドスケープと一体化するアートハウス
倉方:「現代では、再開発や大規模開発などでは特に、足元の環境や芝生のある空間が重要視されるようになっていて、建築とランドスケープを一体的に考えることは珍しくありません。しかし、〈資生堂アートハウス〉がつくられた1970年代後半の日本では、“ランドスケープ”という考え方は一般的ではなく、“外構”という、建築をつくった後に周囲に木を植えるという考え方が主流でした。
また、この建築では外部も内部も回遊するように設計されていて、芝生の小道を歩きながら建物の周囲をめぐり、内部でも一筆書きのように展示空間を歩いていく動線になっています。内部も外部も、建築と環境が一体化した公園のような美術館であり、今の時代に新しい作品として建てられても不思議ではない感覚を、約半世紀前に形にしていたことになります。
当時のアメリカ建築の潮流とも通じる先進性を感じます。谷口さんの作品の中でも、ランドスケープと建築をここまで直接に一体化させた作品は他にないと思います。」

—— 谷口氏の他の作品と比べたとき、〈資生堂アートハウス〉ならではの特徴はありますか。
倉方:「谷口さんの建築では、直線を組み合わせた構成が多く見られます。しかし、〈資生堂アートハウス〉では、積極的に曲面が使われており、これは谷口さんの一連の美術館建築の中でも、特徴的な固有性だと思います。
ただ、この曲面は単に柔らかい形をつくるために採用されたわけではありません。芝生の起伏や地形的な広がりと連続し、建築をランドスケープの中へ溶け込ませるためのものです。四角い建物であれば、どうしても“建物が置かれている”感じが強くなりますが、曲面を使うことで、建築が風景の中に入り込んでいくように見えます。」

風景に溶け込むアートハウス
倉方:「また、土台となる部分にも注目すべき特徴があります。この建物には、地面から垂直に立ち上げるのではなく、斜めの立ち上がりをつくっている部分があります。機能的には必ずしも必要ではないかもしれませんが、建物と地面のあいだに、つなぎとなるような領域がつくられています。地面と建築が互いに貫通しているような感覚は、こうした微妙な判断が積み重なって生まれています。」

斜めに立ち上がる土台
倉方:「その結果、この建築はスケール感を掴みにくいオブジェのようにも見えますし、自然の地形の一部のようにも見えます。このような、ヒューマンスケールが単純には把握できないという曖昧さも、曲面の採用によって発生しています。」
—— 谷口建築らしさは、ディテールにも表れているのでしょうか。
倉方:「谷口さんらしさは、材料の継ぎ目や寸法の揃え方によく表れています。「明確な等間隔のグリッド」によって厳密に制御され、タイルの割り付け、サッシの目地、ガラスのフレームの繋ぎ目やパネルの位置にいたるまで、すべての寸法が徹底的に計算され美しく揃えられることで、端正な印象が生み出されています。」

谷口建築を象徴する「明確な等間隔のグリッド」が美しい外観
倉方:「これは、〈法隆寺宝物館〉など、谷口さんの他の作品にも共通する特徴です。前川國男さんや、父である谷口吉郎さんの世代の、一般的な近代のモダニズム建築では、柱や梁など構造の成り立ちを強調することが多く、建築がどのように成立しているかが明快に示されていました。
一方で、谷口さんの建築は、どこが構造でどこが表層なのかをあまり意識させません。構造材や仕上げ材といった要素を重さとして見せるのではなく、表面が美しく整えられた軽やかな状態の中に溶け込ませています。精密に揃えられた寸法や継ぎ目など、あらゆる要素が関係しながら美しい整合性をつくり出し、建築全体に独特の「軽み」を生み出しています。」

西側から見たアートハウス
倉方:「〈資生堂アートハウス〉では、外壁に光沢のあるタイルやミラーガラスが採用されていますが、これは、新幹線のスピード感に対応するように選択されました。また、横連窓や徹底的に揃えられた目地は周囲の風景に溶け込みながら、軽快な印象をつくっています。このような「軽み」こそが、伝統的なモダニズムとは一線を画す谷口建築らしさであり、精度や品格を感じさせるものです。」
■外部を取り込む、広がりのある展示空間体験
—— 建物内の空間では、どのような体験がつくられているのでしょうか。
倉方:「美術館の中では、屋外から見た建築と屋内から見た建築が入れ子になっているような感覚を体験する場面があります。屋外から見るとミラーガラスは周囲を反射して映し出していますが、中から見ると普通のガラス窓として外が見えるようになっています。」

建物内から見た、展示作品〈Relatum(頂)〉
倉方:「そのため、長い空間や横連窓によって外部の風景が常に入り込んでくるため、屋内にいるのに、建物の外側を歩いているような感覚を覚えることがあります。特に、順路の途中に外部の庭(芝生)が建物の内側へと深く食い込んでいるエリアでは、建物の中に居ながらにして屋外から建物の外観を見ているかのような、内と外が入れ子になった奇妙な感覚に包まれます。」

建物外から見た、展示作品〈Relatum(頂)〉
倉方:「この、建築の内外を行き来しながら感じられる“どちらを見ているのか分からない”状態が、建築体験を豊かにしています。谷口さんは、単に外の景色を美しく見せるのではなく、外部と内部の関係を曖昧にしながら、視覚の体験を重層化しているのだと思います。」

展示Ⅰから展示室Ⅱにつながる横連窓
倉方:「こうした体験は、図面や写真ではなかなか伝わりません。実際に建築の中を歩き、移動するにつれて見え方が変わっていくことで初めて分かるものです。その意味で、〈資生堂アートハウス〉は、歩くほどに方向感覚と空間の知覚を揺さぶる、“歩くことで見え方が変わり続ける建築”として重要な存在だと思います。」

展示室Ⅱ(西側)
—— 重要な要素となっている動線計画の特徴を教えてください。
倉方:「この建築の内部は「一筆書きの回遊動線」が組まれています。正面の広い階段を上がって二階へのスロープを進み、展示室の先にある階段から一階へ下りる。そして、再びガラスの壁面に沿って回り込みながら最後の展示室へ進み、スロープから再び元のエントランスへと戻るという「S字型」の動線です。上下移動を含めながら、空間をゆっくりと巡ることができる設計になっています。」

資生堂アートハウス平面図(左)1階(右)2階 (パンフレットよりTECTURE MAG作成)
倉方:「平面図で見れば、それほど複雑な形ではないかもしれません。しかし、実際に展示空間を歩いてみると、途中で方向感覚が少し揺さぶられます。人間は上下移動が入ると、今どこにいるのかを把握しづらくなるのですが、谷口さんはその感覚を利用し、コンパクトな延べ床面積のなかに実際の床面積を超える奥行きと豊かな空間体験を生み出しているのです。」

スロープから臨む、展示室Ⅰの入れ子構造
倉方:「〈資生堂アートハウス〉では、「展示を見る」ことと、「建築を歩くこと」が切り離されていません。展示室の構成、階段、スロープ、外部風景、横連窓の長さが一体となり、移動そのものが空間体験になっています。」
—— 展示空間としての設計には、どのような工夫がありますか。
倉方:「〈資生堂アートハウス〉は、展示空間の機能も非常によく考えられています。天井を見ると、照明を設置するための線が縦横に設えられていて、作品に合わせてフレキシブルにライティングできるようになっています。整然とした照明の配置は、空間の美しさを引き立てる要素にもなっています。
また、天井に使われている木目板のような素材も、小学校などで使用されていたような、ありふれた素材なのですが、きちんと納め、全体の寸法や線を整えることで、品格のある空間になっています。ここでも、素材そのものよりも、ディテールの整え方、扱い方の重要性が見えてきます。」

展示ごとに、細やかな配置調整を叶える照明
倉方:「さらに、この建築では小さな作品を展示することも多いため、空間はダイナミックでありながら、作品に集中できるような工夫がなされています。床の高さや壁の配置に変化をつけることで、展示空間が単調にならず、作品のスケールにも対応できるようになっています。」

展示室Ⅰ・2階(東側)
倉方:「2階部分にあたる展示空間の下には収蔵庫が設けられており、その構成を空間の切り替えに活かしている点も興味深い点です。展示室を上下に配置する手法は、〈資生堂アートハウス〉以後の美術館建築でも展開されますが、この建築はその出発点でもあるのです。」

展示室Ⅰ・1階(東側)
最後の展覧会が示した、〈資生堂アートハウス〉の思想
2026年6月27日の閉館を前に、最後の展覧会として、「小村雪岱 -江戸を夢見る-」展と「工藝を我らにセレクション 2026 -美しく暮らす、四季のしつらえ-」展が同時開催されました。小村雪岱は、資生堂書体や和風ロゴタイプの基礎をつくった人物の一人で、資生堂の美意識に深く関わった作家です。資生堂の文化的な記憶をたどる上でふさわしい内容でした。また、「工藝を我らにセレクション 2026 -美しく暮らす、四季のしつらえ-」展は、工芸を美術館で鑑賞するだけのものではなく、生活の中で使われ、暮らしの質を高めるものとして捉え直す展示で、季節や生活の場面を設定し、工芸品を組み合わせながら見せる構成となっていました。
〈資生堂アートハウス〉もまた、芸術だけを切り離して見せる空間ではありません。風景や自然、人の動き、時間の流れを取り込みながら、日常と芸術の境界をゆるやかに接続してきた建築です。だからこそ、資生堂の美意識と日々の暮らしに根ざした工芸を扱う2つの展覧会は、この建築の最後を飾る象徴的な組み合わせでした。谷口氏の美術館建築の出発点でありながら、不利な敷地条件を豊かな建築体験へと変換していく、意欲的な展示空間となっている建築でした。

南側から見たアートハウス
〈資生堂アートハウス〉施設概要
所在地:静岡県掛川市下俣1104(Google Maps)
竣工:1978年
構造:鉄筋コンクリート造、一部S造
主要用途:資料館・美術館
設計:谷口吉生・高宮真介の共同設計(設計・計画工房)
取材協力:東京建築祭 実行委員会 / 資生堂アートハウス
空間構成の特徴:ミラーガラスによる新幹線の写し込み、芝生の丘と一体化したランドスケープ、一筆書きの回遊動線
Photo: TEAM TECTURE MAG