[建築と経営のあいだ]設計実務の9割をシステム化し、創造の1割を最大化する経営論 乾久美子建築設計事務所・乾久美子 - TECTURE MAG(テクチャーマガジン) | 空間デザイン・建築メディア
[建築と経営のあいだ]設計実務の9割をシステム化し、創造の1割を最大化する経営論 乾久美子建築設計事務所・乾久美子

[建築と経営のあいだ]設計実務の9割をシステム化し、創造の1割を最大化する経営論 乾久美子建築設計事務所・乾久美子

BUSINESS

「建築家の作家性」と「組織としての経営合理性」は対立するものと捉えられがちですが、乾久美子建築設計事務所の活動を紐解くと、このふたつは極めて高い次元で統合されていることがわかります。

2000年の独立から24年。延岡駅周辺整備事業で建築学会賞を受賞し、現在も1112名のスタッフを率いて公共建築から個人住宅まで幅広いプロジェクトを手がけている乾久美子氏。

多様なプロジェクトを少数精鋭の組織で完遂させる背景には、クリエイティブと経営を分離するのではなく、「実務の9割をマニュアル化し、残り1割に純粋な創造力を注ぎ込む」という明快な思想と徹底した経営戦略がありました。

どのようにして設計スキルを組織の共通言語へと変換し、持続可能な事務所経営の基盤を築いているのか。その「設計の設計」とも呼べる乾氏の組織設計術に迫ります。

* この記事は「建築と経営のあいだ研究所(通称:あいだけん)」の動画コンテンツ(2024年収録)を、TECTURE MAGで編集したものになります。


■注目したい4つの組織設計術

1. 組織の共通言語をつくるマネジメントツール
2. 「9割のマニュアル化」が1割の創造性を生む
3. 信頼の土台となるマネジメント力
4. アライアンス型組織とこれからの働き方

乾久美子氏近影

乾 久美子(乾久美子建築設計事務所)

1969年大阪府生まれ。1992年東京藝術大学美術学部建築科卒業、1996年イエール大学大学院建築学部修了。1996~2000年青木淳建築計画事務所勤務を経て、2000年乾久美子建築設計事務所を設立。2000〜2001年東京藝術大学美術学部建築科常勤助手、2011〜2016年東京藝術大学美術学部建築科准教授。2016年より横浜国立大学都市イノベーション学府・研究室 建築都市デザインコース(Y-GSA) 教授。
主な作品に、「延岡駅周辺整備プロジェクト 延岡市駅前複合施設 エンクロス」(2020年日本建築学会賞(作品)など)、「宮島口旅客ターミナル」(2021年第13回JIA中国建築大賞2021一般建築部門奨励賞), 「京都市立芸術大学・京都市立美術工芸高等学校」*(2025年京都府建築士会 第13回京都建築賞 最優秀賞)、「横浜美術館リニューアル(空間およびサイン計画)」*などがある。(*は共同設計)


注目したい4つの組織設計術

1. 組織の共通言語をつくるマネジメントツール

高橋「乾さんは、10年以上ライフワークとして「小さな風景」の撮影活動を続けられています。この活動が個人のリサーチに留まらず、事務所全体の設計スキル向上に直結しているという点が非常に興味深いのですが、どのような目的で始められたのでしょうか?」

「大きく分けると、目的は二つあります。一つ目は、デザインの勉強。生活者が自然に作り出した風景は、まさにデザインの宝庫で、パターンランゲージの一種として、デザインのエッセンスが凝縮されていいます。私は、このような風景を見れば見るほどデザイン力が向上しているという実感があり、スタッフとのデザインの勉強を兼ねて続けています。

もう一つは、記録の保全です。社会が変化していくことで失われていく風景があるように思います。実際に、撮影してきた10年の間に消えてしまった風景もあります。私は、それらを記録すること自体に意義を感じ、活動を続けています。」

『小さな風景からの学び さまざまなサービスの表情』(TOTO出版、2014)編著者=乾久美子+東京藝術大学 乾久美子研究室 ©︎乾久美子+東京藝術大学乾久美子研究室

『小さな風景からの学び さまざまなサービスの表情』(TOTO出版、2014)編著者=乾久美子+東京藝術大学 乾久美子研究室 ©︎乾久美子+東京藝術大学乾久美子研究室

渋谷「「小さな風景」を撮る活動は、チームマネジメントにどうつながるのでしょうか?」

「まず、スタッフとの共通言語をつくることができます。スタッフごとに建築の教育背景や感性はバラバラですが、「小さな風景」に関しては『あそこのあれだよね』という、組織としての言語を共有できる要素となります。事務所では、月に一度、スタッフが撮影してきた写真を持ち寄り、全員でレビューしています。

高橋「レビューを毎月続けていくことで、組織に生まれた変化はありますか?」

「写真の定期的なレビューは、組織としての設計の方向性や価値観などを共有できるツールになっています。全員で『残すべき写真か』『なぜ魅力的なのか』を対話することで、言語化しにくい“乾事務所らしさ”が可視化され、乾事務所なりのパターンランゲージが蓄積されていると実感しています。

同時に、この「小さな風景」という膨大なデータベースの共有は、単体の写真だけでなく、複数の写真を比較し構造的に思考するきっかけにもなっています。「風景」を意識的かつ構造的に捉えることで、デザインについて会話する精度が上がっていくと感じています。」

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Photo: 乾久美子+東京藝術大学乾久美子研究室

2. 「9割のマニュアル化」が1割の創造性を生む

高橋「大規模な公共建築から住宅まで、多岐にわたるプロジェクトを手がけられていますが、少人数のスタッフで回すための実務上の工夫はありますか?」

「昔から一貫しているのは、「便利なものは積極的に共有したい」と考えです。最近は、Googleドキュメントやスプレッドシートを駆使し、プロジェクトごとに議事録や調査内容をリンクさせて、どのプロジェクトも一元管理できる仕組みを整えています。これらのツールがなかった時代は、例えば、面倒な計算が必要になる作業などは、私が自作した計算式入りのExcelシートを使うようにしていました。」

高橋「なるほど、標準化ですね。標準化はマニュアル化と同義かと思いますが、事務所の仕事をマニュアル化することで、クリエイティブ力の育成が難しくなるという懸念はありませんか?」

「その考えは逆かなと思います。実務において、ゼロからクリエイティビティを発揮すべき局面はそれほど多くありません。建築の実務の多くは、考えたことを建設文化の中で通じる図面という言語に翻訳していく作業です。日本特有の文化やルール、マナーに則りながら、ある程度決まったフォーマットに当てはめながら品質を作り込むわけです。」

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「この9割の作業に時間をとられるのは勿体無い。スタッフには、残りの1割にあたる「デザインの密度を上げる時間」を確保してほしいと思っています。だからこそ、業務工程をできるだけマニュアル化しようとしています。知識の共通化も同じ発想で、事務所で必読書には『学』というシールを貼り、参照すべき情報の出処を統一して共通言語を固めています。」

渋谷「必読書の存在は、育成という側面にも繋がりそうですね。スタッフに求めている姿勢はありますか?」

「自己学習のルーティンが持てるかどうかです。建築の実務は、学校で教わることだけでは全く足りません。法規、新材料の特性、複雑な納まりのディテールなどは日々更新されており、知識を自ら学ぶ姿勢を持てないかぎり、実務者としてやっていくことは難しいです。自己学習が実務の基本だと思っています。学生時代に自己学習を定着してきていないスタッフにはある程度のサポートに入りますが、結局は自分でできるようにならないといけない。書籍などのマニュアルをベースに自らの知識を発展させていくような小さな成功体験を積んで、自立的な判断ができるようになってもらいたいと思っています。」

3. 信頼の土台となるマネジメント力

渋谷「建築に携わる経営者として欠かせない能力は何だと思いますか?」

「建築の実務は、マネジメントの割合が多くを占めています。だからこそ、「スケジュール管理」と「コスト管理」の能力はとても大切だと思っています。この二つが欠けていると、クライアントとの間に信頼関係を築くことは難しいと思います。

例えば、私は、意思決定が必要な項目の洗い出しや、その期限、リスク発生のタイミングを可視化したかなり細かい工程表を作成します。細かい工程表はクライアントとも共有しますが、クライアントが負う決定の義務についても認識していただくよう努力します。」

渋谷「設計者の顔から、経営者の顔に切り替わるのはどのような瞬間でしょうか?」

「月1回の会計処理では経営者になりますかね。会計担当の事務スタッフや会計士と一緒に経理的な状況ををチェックするだけでなく、給料の振込みも自分でおこないます。これは、師匠である青木 淳さんがご自身でされていた姿勢を見習っています。また、最低賃金の改定のタイミングなども経営者マインドに切り替わっている気がします。

就業規則も自作し、社労士に確認してもらいながらアップデートを続けています。かつて、スタッフが10人を超えた頃に、労働基準監督署の査察が入り指導を受けた経験があり、いろいろと調べて改善をおこないました。こうした泥臭い管理業務を厭わず即座に対応したことは、結果としてスタッフを守ることや、表現の自由を支える経営基盤づくりに繋がっていると思います。」

高橋「査察の経験が分岐点になったということでしょうか?」

「査察はそこまで厳しいものではなかったのですが、労働基準法を曖昧にしか理解していなかったことを認識しました。会社経営をしていると、一度は世間から叱られるという経験をすると思います。油断していると、必ず報いを受けるようなところがありますよね。大事なのは、叱られた時、そのタイミングですぐに、そして真摯に対応できるかどうか。法令対応もプロジェクト管理も、社会からの是正要求にその場で応えていく積み重ねが会社としての信頼に繋がると思います。」

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4. アライアンス型組織とこれからの働き方

高橋「近年、京都市立芸術大学・京都市立美術工芸高等学校の移転計画のように、複数の事務所が共同体(JV)を組んで大規模案件に挑むケースが増えている印象があります。乾さんはこの複雑な体制での進行を、どのように乗り越えられたのでしょうか?」

「京都のプロジェクトは、5社によるJVという大規模な体制となりました。プロジェクトの成功の鍵は「組織の壁を取り払うこと」にあったと思っています。

5社で協業するということは、スタッフの経験値だけでなく、建築文化や言語が異なるという課題を解消する必要がありました。これらの課題を解消するため、東京の曙橋に専用の作業所を構え、各事務所のスタッフを一つのチームとして完全に一体化させることにしました。所長レベルについては、それぞれ役割を分担をし、私は、実は望んだわけではありませんが、結果として工程管理とコスト管理を主に担当することになりました。このプロジェクトでも表計算ソフトを駆使し、JV全体の工程とコスト管理を一手に引き受けました。」

高橋「スタッフを抱えることが難しくなってきている今の時代、事務所横断のアライアンスは、大規模な社会課題に応えるための現実的な一手になりそうですね。乾さんのJVでのご経験は、これからの組織のあり方として非常に示唆に富んでいると感じます。」


【建築と経営のあいだ研究所について】

建築と経営のあいだ研究所

©︎建築と経営のあいだ研究所

「建築と経営のあいだ研究所(通称:あいだけん)」は、建築士に特化した会員制の動画メディアで、設計力だけでは足りない時代に必要な「経営思考」や「マネジメント」といった知識の学び場です。経営学の論理(建築設計事務所経営論)と、実践的なインタビュー・ショートレクチャーを組み合わせ、インプットとアウトプットのサイクルで習慣化を目指しています。毎月更新のゲスト対談や動画視聴、マーケティング、ブランディング、プロジェクト管理、企業会計など、会員限定セッションを通じた学習コンテンツも充実。月額990円(税込)で、生きた経営スキルの体得が目指せます。

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トップ画像 Photo: 乾久美子+東京藝術大学乾久美子研究室

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