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渋谷区立松濤美術館 開館40周年記念 白井晟一入門

建築家の白井晟一の回顧展が、白井が設計した建築作品である〈渋谷区立松濤美術館〉にて開催されます。

白井は1905年京都の生まれで、1983年に没。京都高等工芸学校(現・京都工芸繊維大学)図案科を卒業後、ドイツに渡り、ハイデルベルク大学で哲学や美術史、神学を学び、休みの時期にはパリやモスクワなどヨーロッパ各地に出かけ、古い町並みや寺院を見て回りました。この時の体験は、後の建築家としての活動において結実します。のちに『放浪記』を執筆する、同世代の作家の林 芙美子らと交流したのも欧州留学期のことです。

〈ドイツ留学時代の白井晟一〉 1928-32年頃 白井晟一研究所蔵

〈ドイツ留学時代の白井晟一〉 1928-32年頃 白井晟一研究所蔵

帰国後は義兄の画家・近藤浩一路の自邸の設計を手がけたことをきっかけに、独学で建築家への道に進みます。

〈河村邸(旧近藤浩一路邸)〉1935-36年 白井晟一研究所

〈河村邸(旧近藤浩一路邸)〉1935-36年 白井晟一研究所

この義兄の家には、暖炉が設けられていたことが、残された写真などから見てとれます。一見して西洋風ですが、中央には東アジア建築に見られる火灯窓のかたちがあしらわれていることがわかります。
当時(1935-36年頃)はモダニズム建築の隆盛期でしたが、白井の建築は、このはじまりの時点で当時の風潮とは異なる道を歩み、モダニズムとも異なる可能性を秘めていました。

〈嶋中山荘(夕顔の家)〉1941年 白井晟一研究所

〈嶋中山荘(夕顔の家)〉1941年 白井晟一研究所

その後、白井のもとには文化人たちから依頼が舞い込むようになります。中央公論社社長の嶋中雄作の山荘〈嶋中山荘(夕顔の家)〉の設計も手がけ、今に続く中公新書の装丁も、のちに白井がデザインしています。

〈渡辺博士邸(試作小住宅)〉1953年 撮影:平山忠治

〈渡辺博士邸(試作小住宅)〉1953年 撮影:平山忠治

戦後の1950~60年代は、ローコスト住宅から公共建築、商業建築まで、幅広く手がけた時期です。

〈秋の宮村役場〉1950-51年 撮影:間世潜 協力:はこだてフォトアーカイブス

〈秋の宮村役場〉1950-51年 撮影:間世潜 協力:はこだてフォトアーカイブス

白井は地方での仕事にも応じ、秋田県湯沢市には、白井の建築作品が数多く現存しています。
前橋の書店・煥乎堂(かんこどう)は、詩人でもあったオーナーの高橋元吉のもとに芸術家が集まり、サロンとしても機能した建物です。白井もそこに集った1人でした

〈煥乎堂〉1953〜54年 撮影:間世潜 協力:はこだてフォトアーカイブス

〈煥乎堂〉1953〜54年 撮影:間世潜 協力:はこだてフォトアーカイブス

1961年には、白井は建築家として初めて高村光太郎賞を受賞して一躍注目され、「⺠衆」や「⺠族」の建築家と呼ばれるなど、徐々に建築家としての存在感を増していきます。建築の在りかたを鋭く問う「伝統論争」の論客でもありました。

〈掃塵〉 白井晟一研究所蔵

〈掃塵〉 白井晟一研究所蔵

〈中央公論社 中公文庫装丁デザイン画〉 白井晟一建築研究所(アトリエNo.5)

〈中央公論社 中公文庫装丁デザイン画〉 白井晟一建築研究所(アトリエNo.5)

建築以外の分野でも才能を発揮した白井は、装丁の仕事のほか、文筆や、書家としても活動し、建築の枠組みを超えて、かたちや空間に対する思索を続けました。そのユニークなスタイルから「哲学の建築家」とも評された人物です。

白井晟一 ポートレイト

〈白井晟一 ポートレイト〉 白井晟一研究所蔵

〈原爆堂〉建築パース 1955年 白井晟一研究所

〈原爆堂〉建築パース 1955年 白井晟一研究所

1954年にビキニ環礁において日本の漁船・第五福⻯丸が被爆する事件が起きた頃、画家の丸木位里・俊夫妻が共作した絵画《原爆の図》を収めるための展示施設〈原爆堂〉の計画があることを知り、自主的に設計に着手します。しかし、実現にはいたりませんでした。本展では、この未完の大作の貴重な資料も展示されます。

〈滴々居〉1951年~ 白井晟一研究所

〈滴々居〉1951年~ 白井晟一研究所

白井晟一の自邸は、建築家としての実験の場となりました。増改築を重ね、1951年から1963年頃まで暮らした〈滴々居(てきてききょ)〉は、未完のまま終わり、雨が降ると、こけら板を簡単に並べただけの屋根から雨漏りがしました。
1967年から晩年まで過ごした〈虚白庵(こはくあん)〉はコンクリート造で、光と闇のコントランストが美しい建築でしたが、近隣住⺠からは「核シェルター」の異名で呼ばれていました。

そのような一般的な評価の一方で、1963年頃に東京支店が竣工した〈親和銀行〉の一連の設計では、白井建築の1つの到達点を⾒ることができます。また、〈虚白庵〉にも見られるような、宗教施設のような静謐な空間が、建築用途に関わらず、そのほかの白井の建築作品でも見られるようになります。

〈親和銀行東京支店〉1962-63年頃 白井晟一研究所

〈親和銀行東京支店〉1962-63年頃 白井晟一研究所

〈懐霄館(親和銀行電算事務センター)〉1973-75 年 撮影:柿沼守利

〈懐霄館(親和銀行電算事務センター)〉1973-75年 撮影:柿沼守利

1970年代から、白井が没する1983年にかけて、白井は塔や美術館などの記念碑的な建築をいくつか手がけています。
静岡の〈芹沢銈介美術館〉と、本展の会場である〈渋谷区立松濤美術館〉は、白井が自ら韓国に出向いて見出した「紅雲石(こううんせき)」の荒々しい石積みや、中央に抱く水源などの意匠が共通しており、どちらも晩年の傑作に挙げられます。

渋谷区立松濤美術館 開館40周年記念 白井晟一入門

〈渋谷区立松濤美術館〉外観 写真:©村井修

本展は、晩年から初期に遡って、白井の建築作品を辿り、彼の多彩で多岐にわたった活動の全体像にふれる、「白井晟一入門編」と言える展覧会です。
会期は2期に分かれ、第1部では白井晟一の設計した展示室でオリジナル図面、建築模型、装丁デザイン画、書などを、白井晟一研究所のアーカイヴを中心に展示します。第2部では、晩年の代表的建築のひとつである〈渋谷区立松濤美術館〉そのものに焦点をあて、関連イベントもあわせて開催されます。

〈渋谷区立松濤美術館〉地下1階展示室 撮影:村井修

〈渋谷区立松濤美術館〉地下1階展示室 写真:©︎村井修

本展ならではの企画として、通常は展示のために設けられている、地下1階展示室の仮設壁を撤去し、白井がイメージした当初の姿に近づけて公開されます。白井が建築空間を構成する要素として重要視し、蒐集していたインテリアや愛用の調度品、美術品などを場内に配置し、インスタレーションとして展示します。

〈燭台風スタンドライト〉 白井晟一研究所

〈燭台風スタンドライト〉 白井晟一研究所

〈ガラス器(赤)〉 白井晟一研究所

〈ガラス器(赤)〉 白井晟一研究所

〈ガラス器(白)〉 白井晟一研究所

〈ガラス器(白)〉 白井晟一研究所

〈水差し〉 白井晟一研究所

〈水差し〉 白井晟一研究所

〈香炉〉 白井晟一研究所

〈香炉〉 白井晟一研究所

さらには、〈渋谷区立松濤美術館〉の内部にある円形の吹き抜けは、ブリッジを渡って展示室に入ることを意図して白井が設計した空間ですが、この計画当初の動線が特別に復活します。
美術館職員が館内の見どころを解説する「建築ツアー」も開催され(各回定員20名、当日受付)、通常は非公開の館長室や茶室も特別に公開される予定です。

〈渋谷区立松濤美術館〉中央吹き抜け 撮影:村井修

〈渋谷区立松濤美術館〉中央吹き抜け 写真:©︎村井修

渋谷区立松濤美術館 開館40周年記念 白井晟一入門

第1部 白井晟一クロニクル
第2部 Back to 1981 建物公開
会期
第1部:2021年10月23日(土)~12月12日(日)
第2部:2022年1月4日(火)~1月30日(日)
会場:渋谷区立松濤美術館
所在地:東京都渋谷区松濤2-14-14(Google Map
休館日(第1・2部共通):月曜(但し、1月10日は開館)、11月4日(木)、12月13日(月)〜2022年1月3日(月)、1月11日(火)
※土・日曜、祝日と、最終週(第1部 12月7日~12月12日、第2部 1月25日~1月30日)は、日時指定制
※会期中に一部展示替えあり
※金曜の夜間開館なし
※会期や開館時間、イベント内容など、今後の状況により変更される場合あり

入館料:一般1,000円、大学生800円、高校生・60歳以上500円、小中学生100円
※渋谷区民は割引あり、金曜は無料
※土・日曜、祝休日は小中学生無料
※障がい者は付添1名まで無料
※リピーター割引あり(観覧日翌日以降の本展会期中、有料の入館券の半券と引き換えに、通常料金から2割引き)

展覧会・イベント詳細、入館予約
https://shoto-museum.jp/exhibitions_current/

渋谷区立松濤美術館Webサイト
https://shoto-museum.jp/

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