「EXPO 2025 大阪・関西万博」開催まで約1年となった4月11日、万博をテーマにしたシンポジウム「山本理顕 × 藤本壮介 万博と建築 ──なにをなすべきか」が、ゲンロンカフェで開催された。
https://genron-cafe.jp/event/20240411/
藤本氏は会場デザインプロデューサーを務め、会場のシンボルとして位置づけられる木造建築物〈大屋根リング〉をデザイン。先日プリツカー賞を受賞した山本氏は、大阪・関西万博に対して疑問を呈していたことが主にSNS上で顕在化していたため、このたびの公開シンポジウムは大きな注目を集めた。
シンポジウムは、主催者であるゲンロン創業者の東 浩紀氏とともに、建築史家であり建築批評家の五十嵐太郎氏がモデレーターを務め、第1部はYouTubeでの無料中継(YouTube アーカイブ)、第2部は「ゲンロン完全中継チャンネル」シラスでの有料放送として配信された(シラス アーカイブ[#ゲンロン240411、放送終了後から半年間アーカイブ])。
TECTURE MAGでは、大阪・関西万博の開催概要を随時更新するとともに、各国の主要パビリオンの動向を伝えているものの、建築業界では万博に関連する議論は意外なほど盛り上がっていない。若手建築家が関わる休憩所やトイレについての情報があまり公開されていなかったことも、背景にはある。
今回開催されたシンポジウムを受けて、TECTURE MAGでは五十嵐氏にインタビュー。シンポジウムで論点となった内容を振り返っていただくとともに、建築家の役割と万博建築の可能性がどこにあるかについて、万博の歴史をふまえながら話を聞いた。このページは、全4回のうち初回となる。
五十嵐太郎 | Taro Igarashi
1967年パリ生まれ。建築史・建築批評家。1992年東京大学大学院修士課程修了。博士(工学)。現在、東北大学大学院教授。あいちトリエンナーレ2013芸術監督、第11回ヴェネチア・ビエンナーレ建築展日本館コミッショナーを務める。芸術選奨新人賞。『日本建築入門』(筑摩書房)、『被災地を歩きながら考えたこと』(みすず書房)、 『モダニズム崩壊後の建築』(青土社)、『現代建築宣言文集』(共編著、彰国社)ほか著書多数。
トップ画像=「2025年大阪・関西万博」会場 夢洲 鳥瞰イメージ 夕景(2022年7月13日時点)提供:2025年日本国際博覧会協会
INDEX
- シンポジウムでの論点を振り返る
- プロデューサーの立場でできること
- 今だったら炎上必至の設計発注!?
シンポジウムでの論点を振り返る
── 先日のゲンロンの内容を振り返っての感想から、お願いします。
五十嵐:
まず、藤本壮介さんが木造のリングについて考えていることを、まとまった時間をとって、誰もが聞ける状況で説明する機会ができたのはよかったと思います。実は僕も初めて知った内容がいろいろとありました。
ゲンロンでは以前、東京オリンピック開催前にザハ・ハディドの設計した〈新国立競技場〉の案に関する議論をしたことがありましたが、案がキャンセルされてからのことでした。一般のメディアから激しく批判されていたときは、設計JVチームに守秘義務があったのかもしれないのですが、とにかく説明がなかった。結局、ネガティブ・キャンペーンだけが高まって白紙撤回になり、その後にようやくザハ事務所がオンラインで25分ほどの動画で説明しましたが、時すでに遅しでした。
今回のシンポジウムは、もともと今年の2月ごろにゲンロンから「藤本さんと山本理顕さんを呼んで万博をめぐる対談を企画したいので、モデレーターをしてもらいたい」という打診が僕のところに来ていました。ただ、すでにメールのやりとりだけでなく、藤本さんと理顕さんは直接会って話をしていたこと、またあまり話が噛み合ってなかったことを、理顕さんが連載枠で「建築ジャーナル」の1月号に書かれていたので、そのことを伝えました。ゲンロンでこれを取り寄せ、その内容を東浩紀さんがX(旧Twitter)で触れたところ、理顕さんが書いた内容には事実誤認のところもあると藤本さんが指摘し、X上のやりとりを通じ、ゲンロンカフェで議論しましょうという話になり、企画が実現しました。
設計者が誰かという点については理顕さんが「建築ジャーナル」の文でもこだわっていた点なのですが、もう1つ彼が提案していた「大阪万博2025御堂筋案」の話はゲンロンでは封印していたのが印象的です。これは「別会場の御堂筋で万博をやったらいいんじゃないか」という内容でしたが、Xでの評判もあまり良くなかったためなのか、ほとんど語られませんでした。あとは、横浜にIR(カジノを含む特定複合観光施設)が来る時もすごく反対されていましたし、今回の万博も間違いなくIRを意識したプロジェクトなので、その開発批判をされるのかなと思ったら、その話はあまり展開しませんでした。一応、僕からもその話は振ったのですが、ゲンロンでは設計者の責任がメインのテーマになりました。
やはり理顕さんは「建築家はどうあるべきか」という点を重視していました。ゲンロンカフェでのシンポジウムを開催するにあたって、木造リングの設計者選定のコンペで落選した川口健一さん(川口衞構造設計事務所)から「なぜあのような点数が付けられて落ちたのか納得がいかない」という意見が理顕さんのもとにメールが届いたことを受けて、その内容を読み上げられ、前半はその話が大きな論点になりました。
僕も正直、設計コンペがあったこと自体知りませんでした。審査員の構成を見たときに建築家は藤本さんだけで、あとは都市計画や景観の人が2人入って、もう1人は建築ではない人で、確かにちょっとバランスが悪いなと思いました。審査員をどのように決めたかわかりませんが、構造や構法の専門家はやはり最低1人を入れておいたほうが納得感は高かっただろうなと思います。
五十嵐:
理顕さんは「誰がどう決めたんだ」と追求されていましたが、他の博覧会も外からはよくわからないケースが多かったと思います。2005年の愛知万博は会場が変更となり、若手の建築家が退場して、いつの間にか菊竹清訓さんがグローバル・ループを担当していました。2027年に横浜で開催される国際園芸博覧会も隈 研吾さんがマスターアーキテクトになっていますけど、こうした経緯もあまり公開されていないように思います。
1989年に開催された横浜博覧会の時にはなぜ理顕さんが高島町ゲート周辺施設の設計者に選ばれたのかということは明記されていなかったように思います。
また1996年に開催される予定だった世界都市博覧会では、理顕さん(有明地区会場計画、水道橋、東ゲートを担当)や伊東豊雄さん、妹島和世さんといった今後の活躍がさらに期待される建築家が選ばれました。プロデューサーの泉 慎也さんの選定かもしれませんが、僕は結果しか知りません。
プロデューサーの立場でできること
── 藤本さんはデザインプロデューサーという大役を任命され、その中で最大限の説明をされているのではないかと思います。
五十嵐:
ゲンロンの第2部では、プロデューサーが自分に発注することができるかという話題が出ました。藤本さんが自分で設計者とはならなかったというのは仕方ないと思います。そのうえで、可能な限り設計監理はすると。「そんなことで責任を取れるのか」という理顕さんの意見も、もっともなのですが。
今の社会ではどんなに素晴らしい提案であっても、プロデューサーが自分の事務所に発注するようなことがあれば問題になると思うんですよ。不幸なことに、建築家の正義と社会のコンプライアンスが一致していない。例えば昔、といっても近代ですが、コンペで審査員が1等を決めない、あるいは1等を決めても「私のほうがいいものをつくれる」と言って、審査員が設計してしまうこともありました。今同じことがあったら大炎上だと思いますけど。
第2部のときに僕は理顕さんに「もし名古屋造形大学の学長になってから自分を校舎の設計者に選んだらちょっとまずいんじゃないですか」(注:実際の順番は逆で、山本理顕氏は校舎の設計者に選ばれた後に学長になった)と聞くと、「それでもまったくまずくない」と言われていました。「素晴らしい案だったらみんなが賛成するはずだ」ということです。
彼の姿勢が一貫していることには感心しましたが、名古屋造形大学は私立大学の話です。国の税金を使うときに、自分が空間プロデューサーで「自分の案が素晴らしいから設計します」となれば、大きな額の設計料が入るわけですから、それだけで今批判されているレベルをはるかに超えた大炎上が起こるでしょう。おそらく、今の世の中では許されないと僕は思います。
今だったら炎上必至の設計発注!?
── いわゆる“昭和的な話”として聞こえます。
五十嵐:
ゲンロンの第2部では世代や時代の話も出ましたが、確かに状況が大きく変化しました。昔は公共の建築でもコンペなどをせずに、市長や知事が特命で「この建築家にお願いしたい」と言ったら発注できたんですよね。弘前市では前川國男、鳴門市では増田友也、直島町では石井和絋の建築が次々と実現しましたし、香川県の金子知事は、丹下健三ほか、さまざまな建築家に発注して街をつくったことで、毎日芸術賞まで表彰されています。それが1990年代ごろからだんだんできなくなりました。
僕の印象に残っているのは、80年代に毛綱毅曠さんが自分の故郷の北海道釧路で学校や博物館などをたくさん設計していたときに、釧路市長が「新建築」に寄稿していた文章です。「使い勝手が悪いと言われるかもしれないけど、素晴らしい建築家にお願いしている良い建築なんだ」ということを書いているのですね。今同じようなことをどこかの市長が言ったら、確実にバッシングされるでしょう。
ところで、中国ではプリツカー賞を受賞した建築家ならば、コンペをやらなくても、公共のプロジェクトの設計を特命で依頼していいそうです。ブランド価値もあるのでしょうが、それだけ建築家の重要性が信頼されているといえます。
(2/5に続く)