フィンランドの国民的建築家 エリエル・サーリネンの大回顧展
2021年8月19日初掲、8月31日「読者プレゼント」応募方法を追記(9月5日締切)
19世紀から20世紀半ばにかけて活躍した建築家、エリエル・サーリネン(1873-1950)の回顧展が、東京・汐留のパナソニック汐留美術館で9月20日まで開催されています。
エリエル・サーリネンという名前を聞いて、彼が、フィンランドにおける建築・デザインのモダニズムの基礎を築き、同国では知らぬ者はいない建築家であると知っている人は、日本ではまだ少ないのではないでしょうか。
エリエルの息子、エーロ・サーリネン(1910-1961)のほうが、米国ミッドセンチュリーの歴史に名を残したデザイナーで、〈JFK国際空港TWAフライトセンター〉の設計者としてもよく知られています。
本展は、エリエルがフィンランドで名をあげ、1923年に渡米するまでの仕事にスポットをあて、紹介するもの。日本国内では初の本格的な回顧展となります。当時の設計図面や写真、現存する家具やインテリアの実物展示など、貴重な資料を通して、エリエル・サーリネンの活動の軌跡を辿るとともに、展示終盤では、彼の子、その孫へと受け継がれていく創造の精神を追っていきます。
『TECTURE MAG』では、開催前に行われたプレス発表会を取材。会場の様子と展覧会の見どころをお伝えします(会場撮影:team TECTURE MAG)。
本展の観覧券を読者にプレゼント!
2021年8月31日(火)告知!
『TECTURE MAG』への感想など、アンケートにお答えいただいた方に、本展の観覧券を各1枚・計10名さまにプレゼントします!
募集期間:2021年8月31日(火)〜9月5日(日)※終了しました
応募者多数の場合は抽選
フィンランドの歴史と重なる活動の軌跡
フィンランドが国家として独立を果たしたのは1917年12月。1873年生まれのエリエル・サーリネンの活動の軌跡は、母国が歩んだ近代化の歴史と重なります。
エリエルと同時代を生きた芸術家が、作曲家のジャン・シベリウス(1865-1957)です。彼が1900年に作曲を手がけた歴史劇「カレワラ」の最終章に流れる交響詩「フィンランディア」は、当時のフィンランドを治めていた帝政ロシアからの独立を願い、人々に訴えるものでした[*2]。
*2.当時の帝政ロシアは、1900年初演のこの曲を演奏禁止処分にしている
「サーリネンとフィンランドの美しい建築展」展を見るにあたっては、これら歴史的背景を踏まえておくと、展示を見る目が変わってきます。本展では、会場入り口付近から、シベリウスの楽曲が流れてくるため、展覧会の世界への旅を後押ししてくれます。
展示構成
プロローグ サーリネンの建築理念を育んだ森と湖の国、フィンランド
第1章 フィンランド独立運動期―ナショナル・ロマンティシズムの旗手として
第2章 ヴィトレスクでの共同制作―理想の芸術家コミュニティの創造
第3章 住宅建築―生活デザインの洗練
第4章 大規模公共プロジェクト―フィランド・モダニズムの黎明
エピローグ 新天地、アメリカ―サーリネンが繋いだもの
国際デビューはパリ万博
エリエル・サーリネンは1893年にヘルシンキ工科大学建築学部に入学。そこで出会ったヘルマン・ゲセリウスとアルマス・リンドグレンと3人で、1896年に設計事務所を設立。1898年に実施された、2年後にフランスで開催される「パリ万国博覧会のフィンランド館設計競技」で1等を獲得、一気に国際舞台へと踊り出ます。
この頃の彼らの作風は、当時世界的に流行していたアール・ヌーヴォーの影響とともに、前述のシベリウスの楽曲に代表されるように、独立機運が高まっていた当時のフィンランドの芸術全般に見られた、民族の独自の文化的ルーツを表現した「ナショナル・ロマンティシズム」も色濃く、サーリネンらの建築はフィンランドの人々に強く支持され、人気を博しました。
会場構成は久保都島建築設計事務所が担当
ここで、本展の会場構成について説明しておきましょう。
久保秀朗氏と都島有美氏による建築家ユニット・久保都島建築設計事務所が、会場構成を担当しており、北欧を意識した展示デザインが本展の見どころの1つです。
設計コンセプトについては、同事務所からの寄稿テキストにわかりやすくまとめられています。
久保秀朗氏(左)と都島有美氏
プロフィール(久保都島建築設計事務所Webサイト):https://kbtsm.com/about/
ヴィトレスク湖を想起させる柔らかい曲線と光の空間
フィンランドのモダニズムの原点を築いた建築家エリエル・サーリネンの展覧会の会場構成を行った。本展は、エリエルサーリネンが49歳で渡米するまでのフィンランド時代にスポットをあて、図面や写真、家具や生活のデザインといった作品資料の展示を行っている。
サーリネンが仲間のリンドグレン、ゲセリウスと共に、1896年に設計事務所を設立した6年後、静かに仕事に専念できる環境を求め、住宅兼アトリエを建設したヴィトレスク湖畔。ヘルシンキ西方にあるこの美しい湖は、「光があたると⽩く染まる」という伝説をもつ。
本展の会場デザインは、ヴィトレスク湖を想起させるようなやわらかい曲線と光の空間を全体のテーマとし、白く光沢感のある床仕上げで湖の水面を、グレーの経師紙と布でつくった島状の展示台で湖畔の森を抽象的に表現した。展示台の縁にLEDのライン照明をほんのりと添(沿)わせることで、水面の光の反射のような現象を生み出している。フィンランド時代のサーリネン建築は、フィンランド建国を後押ししたナショナリズム、民族叙事詩『カレワラ』にインスピレーションをうけた装飾が一際目を惹く。そこで、多様な形状、装飾が施されたサーリネンの開⼝部のデザインを、展⽰室の間仕切りに再現することで、各展示室への入り口がその世界観への入り口となるようなデザインを試みた[*1]。*1.会場グラフィック:顧 知香
例えば、入口を入ってすぐの展示室では、サーリネンが一躍脚光を浴びることとなった、1900年のパリ万博博覧会のフィンランド館の「イーリスの間」で展示された、フィンランド自然をモチーフとした装飾を施した家具や食器などの手工芸品が展示されているが、この展示室の開口部は、パリ万博フィンランド館のエントランスのドーム型の開口の形状デザインとし、神話をモチーフとする装飾のグラフィックデザインを施している。サーリネンが家族と共にアメリカに移住すると、息子エーロ・サーリネンら20世紀のモダニズムを担う建築家やデザイナーを教育した「クランブルック美術アカデミー」の学校施設の設計に注力する。本展覧会は、フィンランドで事務所を設立した初期の時代から始まり、息子エーロ・サーリネンのモダニズム家具の展示で幕を下ろす。エリエル・サーリネンの生涯から、彼がつないだものを、フィンランドの光かがやく水面の湖畔の風景を感じながら、時系列に巡ることができる展覧会となっている。(久保都島建築設計事務所)
民族主義からモダニズムへ
サーリネンらは、パリ万博会直後の1902年から1907年にかけて、ヘルシンキの西方にあるヴィトレスク湖畔にスタジオ兼住居を建て、共同生活を送ります。
ヴィトレスクは、自然のなかの暮らしの理想を体現したもので、建築だけでなく暮らしのデザインも含めた総合的な芸術作品でした。
この間、1902年に「フィンランド国立博物館設計競技」で1等を獲得、1904年にはサーリネンが個人として応募した「ヘルシンキ中央駅設計競技(駅舎と事務所)」で1等を獲得するなど、躍進を続けます。
その一方で、〈ヘルシンキ中央駅〉は、ナショナル・ロマンティシズムの外観が若手建築家から批判を浴び、デザイン論争が巻き起こったため、完成までに10年以上を要しています。
この論争は結果的に、フィンランドにおける建築・デザインの流れがモダニズムへと傾く契機となり、サーリネン自身にとっても大きな転換期となりました。
この間、リンドグレンが1905年1月に事務所を退所。1907年にはゲセリウスともパートナーシップを解消します。ヴィトレスクに住み続けたのはサーリネン一家のみで、一家がフィンランドを離れるまで約20年間、増改築を重ねていくヴィラが彼の自邸兼アトリエでした。一家で渡米した後もほぼ毎年、サーリネンはヴィトレスクを訪れており、彼にとってデザインの原点ともいえる場所です。
本展では、サーリネンがデザインし、メインルームや寝室で用いられていた家具を展示するほか、ダイニングルーム空間を展示で再現。ヴィトレスクでの日々を追想します。
新天地アメリカへ
サーリネンは、1922年に米国で実施された国際コンペ「シカゴ・トリビューン本社ビル設計競技」で2等を獲得。活動初期に見られた有機的なデザインは鳴りを潜め、垂直のラインを強調した伝統的なゴシックの手法に、近代モダニズムの要素を取り入れた、新たなデザインへの志向が見て取れます。
この国際コンペの翌年、サーリネン一家は、独立後の政情不安だった母国を離れ、米国へと移住します(市民権獲得は1945年)。
最後の展示室で見られる〈サーリネンハウス〉のパネルは、米国デトロイト市近郊にて、”アメリカ版バウハウス”を目指し、エリエルが設計を手掛けて建設された〈クランブルック美術アカデミー〉の施設内に、1929年にサーリネンが建てた自宅兼スタジオです。エリエル・サーリネンはここで後進の指導にあたり、同美術学校の校長も務めました。薫陶を受けた弟子には、のちに米国ミッドセンチュリーの旗手となる息子のエーロもいたことでしょう。
父子はのちに、1942年にインディアナ州の小さな町コロンバスに建てられたファースト・クリスチャン教会を共同で設計。エリエルがクランブルックの自宅で76歳で没するまでの間、二人は何度かコラボレーションしています。
コロンバスには、その後もエーロが設計した公共施設や、I.M.ペイ(1917-2019)が設計した〈クレオ・ロジャース記念図書館〉などが次々と建てられ、地方都市ながら、米国における”モダニズム建築の宝庫”となっていきます。
紙幣のデザインも!
万博のパビリオンに始まり、住宅やヴィラ、家具、駅舎や博物館などの公共建築、さらには都市計画まで手がけたエリエル・サーリネン。彼の仕事は、今日の北欧デザインを代表する人物となっているアルヴァ・アアルト(1898-1976)ら、後進のデザイナー・建築家らにも大きな影響を与えました。
エリエル・サーリネンの幅広いキャリアを総覧する本展。その中でも他に類を見ない仕事が、会場出口付近(第4章)に展示されています。1909年から1945年にかけて数回にわたり手がけた、母国フィンランドの紙幣のデザインです。
展示台に書かれた解説を読むと、エリエルは、帝政ロシア時代最後の紙幣のデザインと、フィンランド独立後に初めて発行された紙幣、どちらのデザインも手がけていることがわかります。
激動の世紀を生きたエリエル・サーリネンの人生を象徴するようであり、活動の軌跡を辿る本展のラストとしてふさわしい展示ではないでしょうか。
高画質4Kの映像資料は必見
本展会期中の8月20日は、奇しくもエリエルと息子エーロの誕生日。会場では、8月16日(月)から20日(金)までの間、期間限定で、エーロがデザインしたチューリップチェアなどを展示した一角が特別に撮影可能エリアとなります(ハッシュタグ投稿イベントも同時開催)。
さらに、会場の外では、美しいらせん階段を有する〈ポホヨラ保険会社ビルディング〉ほか、エリエル・サーリネンが手がけた建築作品や、彼の孫(エーロの息子)、建築家のフランク・ゲーリーらにインタビューした映像資料が、パナソニックの高画質4K・大画面モニターにて上映されていますので、こちらもお見逃しなく!(en)
「サーリネンとフィンランドの美しい建築展」
会期:2021年7月3日(土)~9月20日(月)
会場:パナソニック汐留美術館
所在地:東京都港区東新橋1丁目5-1 パナソニック東京汐留ビル4階(Google Map)
開館時間:10:00-18:00(入館は17:30まで)
休館日:水曜
入館料:一般 800円、65歳以上 700円、大学生 600円、中・高校生 400円、小学生以下無料
※障がい者手帳の提示で付添者1名まで無料
会場構成:久保都島建築設計事務所(久保秀朗+都島有美)
主催:パナソニック汐留美術館
※COVID-19(新型コロナウイルス感染症)拡大状況などにより、スケジュールが変更される場合あり
※緊急事態宣言発令下の開館状況など最新の情報は、下記・会場Webサイトを参照
パナソニック汐留美術館 公式Webサイト
https://panasonic.co.jp/ls/museum/
本展の観覧券を読者にプレゼント!
2021年8月31日(火)告知!
『TECTURE MAG』への感想など、アンケートにお答えいただいた方の中から、本展の観覧券を各1枚・計10名さまにプレゼントします!
希望する方は、上の応募バナーをクリックして、送信を完了してください!
受付期間(予定):2021年8月31日(火)〜9月5日(日)※終了しました
※応募者多数の場合は抽選
※結果発表:チケットの発送をもって了
※チケット発送完了時に公式Twitterで報告(個々の問合せには対応しませんのでご了承ください)
※発送完了後、都道府県を除く住所情報は削除し、データとして保有しません