これは何の展覧会なのか? という戸惑いから始まる青木淳教授の退任記念展
本稿は、東京藝術大学(以下、東京藝大と略)陳列館にて12月3日まで開催されている、同学大学院教授の任期を来年3月末で終了する建築家の青木 淳氏の退任記念展「雲と息つぎ―テンポラリーなリノベーションとしての展覧会 番外編―」のレポートである。
11月18日に開幕して以降、会場を観覧した建築家がこぞって感想などをSNSに投稿しており、今年最も注目される建築展の1つに数えられる。
「テンポラリーなリノベーションとしての展覧会」は、青木研究室のM1生(修士課程1年)が主体となり、2020年12月に第1回を開催。以降も場所を変え、計3回開催された。本展はその4回目で、”番外編”という位置付けだ。
会場の陳列館は、同学建築科の教授だった岡田信一郎[*1]が設計し、1929年に竣工した歴史的建造物である。本稿1枚目の写真は、1階の本展会場で撮影したもの。青木氏は(どこにでもあるような)青いベンチに座っている。
見てのとおり、展覧会場はほぼ”がらんどう”だ。建築家の退任記念展と聞けば大半の人があると予想するであろう、写真パネルも建築模型もない。1階でまず目に入るのは、段ボールと、なぜか踏み台が用意された消毒液のスタンド。これらは過去の展覧会で使用されたものである。
1階・2階ともに展示室の端から端まで、白い帯が水平方向にピンと張られている。これが、本展で称するところの「雲」である(「雲」は2階にも設置されている)。1階の「雲」は既存窓の下端付近で固定されており、床面からの高さは1,500mm。よって、1階を移動する際には、中腰になって白い帯を潜り、頭を出す行為を繰り返す。まるで、雲海から顔を突き出し、息継ぎをするように。この所作が、謎かけのような本展タイトルの由来となっている。
2階の展示室の入り口付近には、大きな「ホワイトキューブ」が設置されている。内部の単管パイプで組まれた階段を昇り、気づけばここでも「雲」の上に顔を出している。
このように、強制的にではなく、ふだんとは異なる視点を来場者に体験させることが、本展の狙いの1つとなっている。コンセプチュアル・アートの展覧会のような会場を何周かするうちに、来場者は主催者の目論見に気づかされるだろう。
[*1] 岡田信一郎(1883-1932):東京帝国大学(現在の東京大学)建築学科出身。1907年から東京美術学校(現在の東京藝術大学)の講師を務め、1923年に建築科主任教授に就任。代表作に〈大阪市公会堂〉基本設計(実施設計は辰野金吾+片岡 安)、鳩山一郎邸(現在の鳩山会館)、黒田記念館、明治生命館などがある
『TECTURE MAG』では、本展の会場にて青木氏にインタビューを行った。その際、青木氏に「ここに腰掛けてやりましょうか」と言われて初めて、会場の入り口に置かれ、折り畳まれた青いパーカーが端に置かれている青いベンチに座ってもいいことに気づく(この曖昧さは本展を象徴している)。
インタビューでは、通算4回目となるこの展覧会がどのような経緯で始まり、継続されてきたのかを振り返っていただいた。「仮の」あるいは「一時的な」という意味がある「テンポラリー」と「リノベーション」という2つのワードを掛けあわせた展覧会タイトルの背景にある青木氏の建築思想や、教育者として学生たちに何を伝えようとしてきたのかも浮かび上がった。
なお、『TECTURE MAG』では、隣接する正木記念館にて2020年12月に開催された、青木研究室によるテンポラリー・リノベーション展「シン・マサキキネンカン」を取材、レポートを掲載しているので、こちらもあわせてご覧いただきたい。
INDEX
#これは何の展覧会なのか? という戸惑いから始まる青木淳教授の退任記念展
#昨年で最終回を迎えるはずだった「テンポラリーなリノベーションとしての展覧会」
#それ自体が建築的であるような展覧会を
#共通タイトルの「テンポラリーなリノベーションとしての展覧会」に青木氏が込めたもの
#マルタン・マルジェラによる店舗デザインの衝撃
#難産だった初回の「シン・マサキキネンテン」
#2回目からは”街へ出よう”
#「テンポラリーなリノベーションとしての展覧会」をやり切った先に見えるもの
#「番外編」の会場デザインについて
#3人のコラボレーター
#中村竜治作品はどこに?
#中村竜治寄稿「巾木の彫刻」
#会場は進化し続け、人も泳ぎ続ける
#リノベーションの流儀
昨年で最終回を迎えるはずだった「テンポラリーなリノベーションとしての展覧会」
『TECTURE MAG』編集部(以下、編集部)
まず、本展のタイトルの「番外編」とは? 過去3回の企画展とどこが違うのでしょうか。
青木淳教授(以下、青木)
この企画展シリーズは、計3回、去年で終わるはずでした。なぜかというと、僕は2019年4月1日に大学院の教授として着任しましたが、大学院の入試は9月に行われるので、最初の年は修士学生がおらず、2年目になって、最初の修士学生が入ってきたからです。だから、校内で隣接する正木記念館で最初のテンポラリー・リノベーション展「シン・マサキキネンカン」を開催できたのは、2020年の12月となりました。翌年に渋谷のまちなかで「鳥は泳ぎつづける」を、去年は有楽町で「HAPPY TURN」と題して、計3回の企画展を開催しました。
青木
「HAPPY TURN」の後は、青木研究室が2024年の3月末でなくなるので、今年の4月に新しく学生が入ってきても僕は最後まで教えられない。だから当初は、任期の最終年度に新規で学生をとらないつもりでした。
でも、僕が退任したあとで、ほかの研究室に学生が移れる態勢をとってもらえて、当の学生たちもそれでいいと言うので、予定を変更してM1生を受け入れたのです。この展覧会は、その学生たちと一緒につくりました。設営では大勢に参加してもらっています。
僕自身の退任記念展なので、学生を主体としながらも深く関わり、3人のコラボレーター(展覧会協力者)を外部から招いたりしています。それで「番外編」と名付けました。
それ自体が建築的であるような展覧会を
編集部
M1の成果展であれば、ほかの表現、形態も可能性としてあったと思いますが、なぜ「テンポラリーなリノベーションとしての展覧会」だったのでしょうか。
青木
たしかに、カリキュラムの成果を模型や写真を並べて見せるとか、1冊の本にまとめるとか、いろいろ方法はあったけど、僕はそういったことには興味がなくて。なにかそれ自体が建築的であるような展覧会をやりたかったのです。
ここの建築科の学生は、まず学部の4年間でいろいろと勉強して、能力を上げてから大学院に入ってきます。でも、チームをつくって共同で1つ何かをつくるという作業、環境にはあまり慣れていない。卒業制作を後輩に手伝ってもらっていれば、そこである程度は経験しているだろうけど、うまくやれない学生も中にはいる。
建築って、基本的に1人ではつくれないじゃないですか。だから彼らが社会に出る前に、チームでのものづくりを体験させたかったのです。
研究室には毎年、4-5人が入ってきます。僕と教育研究助手(初年度は澤田 航氏、2年度以降は笹田侑志氏)が指導したのですが、僕らからは一切、展示案は出しません。学生が考えて、僕らにプレゼンをして、良し悪しのジャッジだけして、進めていく。
次の年に青木研究室に入ってくるM1生は、その様子を見ていて、展覧会の手伝いもして、展示の感想を上と下の代で共有してもらっていました。そうやって3年続けたことで、次の代への橋渡しはうまくいったのではないかと思っています。
共通タイトルの「テンポラリーなリノベーションとしての展覧会」に青木氏が込めたもの
編集部
「テンポラリーなリノベーションとしての展覧会」という、やや難解なタイトルの意味を改めて教えてください。
青木
テンポラリーとリノベーション、この2つについて考えるきっかけとなったのは、1つには、2011年に青森県立美術館の開館5周年記念として、約3カ月の会期で僕の個展[*2]をやらないかという打診があり、その準備段階で、一緒にやることになっていた、現代美術家の杉戸 洋 さんとの対話があります。いろいろと準備をしていたのですが、設営の直前に東日本大震災が発生して、中止になってしまった。
杉戸さんとは何度もディスカッションして、展覧会とは何かを2人で一緒に考えました。例えば、通常の展覧会はテンポラリー(一時的)なんだけど、展示のために壁を立てたり塗り直したりしますよね。でも会期が終わったらそれらを全部とっちゃう。パーマネントでもそういうことをやれたらいいよねとか、いろいろなやりとりがありました。
そのときに僕が思ったのが、展覧会とは、空間に何かはたらきかけて、もう少し居心地のよい場所にすることではないかということ。作品がぴたっとはまった空間は、とても気持ち良い。その状況をひっくりかえして表現すると、設営され、作品が置かれることで、空間が居心地良くなっている、とも言えると思います。つまり、展覧会は一種のリノベーションと捉えることができる。
それまでも、それからもずっと、建築とは何かを思考し続けている中で、建築そのものもリノベーションのようなものではないかと。その僕の考えをここの学生たちにも実感してもらうには、展覧会という形態が適していると考えました。
編集部
青森での準備段階から数えると、構想10年におよぶ展覧会だったのですね。
青木
そうなりますね。青森では東日本大震災の前の年から準備していたので。だから「テンポラリー」と「リノベーション」の2つをつないだタイトルは、僕の中ではかなり前から決まっていました。
[*2] 青森県立美術館開館5周年記念展「はっぱとはらっぱ 青木淳×杉戸洋展」2011年4月23日から6月12日まで開催を予定していたが、同年3月11日に発生した東日本大震災の影響により、開催そのものが中止となった。
https://www.aomori-museum.jp/schedule/3250/
マルタン・マルジェラによる店舗デザインの衝撃
編集部
「建築そのものがリノベーションのようなもの」という考えについて、もう少し詳しくうかがいます。例えば、それを新築に置き換えるとどのような解釈になりますか。
青木
建築は竣工をもって完成すると思われていますが、空間は、家具を少し動かしたり、常に何かが変わり続ける。それは部屋を少しでも居心地良くするために行うわけで、いつまでも終わりません。ずっとアップデートし続け、リノベーションし続けているのが建築だと僕は捉えています。しかも建物それじたいも、いつかは壊れたり、変わっていきます。
編集部
青木さんが薫陶を受けた上の世代の建築家は、リノベーションに対して、やや懐疑的ではなかったでしょうか。新築に比べて評価が低かったり。
それともう1つ、これはその時々の社会のあり方が背景にあり、今日では珍しくもないことですが、建築を学ぶ大学においてリノベーションを課題に出すことに、当初は批判もあったと実際に教育現場にいた建築家から聞いたことがあります。それについて、青木さんはどのようにお考えでしょうか。
青木
どうなんでしょうね。僕はそういった疑いをもったことはないです。
僕がリノベーションを意識して考え始めるようになったのは、ファッションデザイナーのマルタン・マルジェラ[*3]が、東京・恵比寿に2000年9月にオープンさせたブティックを目にした、そのときの体験があります。
今は移転して、その店もなくなったのですが。ありふれた建売住宅のような既存建物をフラッグシップストアに改装していて、だから厳密にはコンバージョン(用途変更)なんだけど、彼は、壁などは変えずに、かつて台所だった空間や窓ガラスもなにもかも、ただひたすら「白く塗る」というリノベーションをやったんです。その空間がもっていた記憶を消去するような、暴力的とも言えるその空間を僕はたまたま見ていて、衝撃を受けました。その時に考えたことを『白く塗れ』というタイトルで専門誌に寄稿しています[*4]。
マルジェラが恵比寿にオープンさせた店舗をみて、彼の服じたいも一種のリノベーションだと気づきました。それ以前の日本のファッションは、僕から見ると、何もない、ゼロからから衣服のかたちを改めてつくっていこうとしていたように思うんです。それはそれで素晴らしいんだけど、僕は当時なんとなく、そういうものづくりに違和感を感じ始めていました。そのタイミングで、マルタン・マルジェラのようなデザイナーが世の中に出てきた。服を構成しているパーツとかベースは従来と同じなんだけど、一部を巨大につくったり、プロポーションを変えた服を提示していた。加えて、彼は古着のリノベーションもやっていました。
僕はそれまで実は、リノベーションについてあまり意識して考えてこなかったんだけれども、マルジェラの店を見て、ああそうか、これからの時代は「タブラ‐ラサ[*5]」からは始まらないんだと思いました。ゼロから発明してつくり始めるのではなく、今まであったものをどう変えてつくるのかというリノベーションの概念を持ち込むことで、かえって、最も新しいことが建築でもできるかもしれないと、その時に強く思ったのです。
[*3] マルタン・マルジェラ(Maison Martin Margiela)1957年生まれ、ベルギー出身のファッションデザイナー。2000年9月に東京・恵比寿に〈Maison Martin Margiela Tokyo(メゾンマルタンマルジェラトウキョウ)〉をオープンした。2008年に業界を引退、現在のブランド名はメゾン・マルジェラ(Maison Margiela)に改称、デザイナーのジョン・ガリアーノ(John Galliano)が率いる
[*4] 『新建築2001年3月号』掲載:青木 淳「白く塗れ──メゾン・マルタン・マルジェラの恵比寿のショップ 美しく、恐ろしいこと」。ローリング・ストーンズが1966年に発表した『Paint It Black(黒く塗れ)』からタイトルを本歌取りしている(青木氏談)
[*5] タブラ‐ラサ(tabula rasa)ラテン語で“何も書かれていない書板”の意。生まれながらの人間の心には白紙のように生得観念はないという主張のたとえ。音楽ではロックの認識論の中でも使用される
難産だった初回の「シン・マサキキネンテン」
編集部
そういった深い、青木さんのリノベーションに対する考え方を、当時の学生たちはどこまで理解できていたのでしょうか。
青木
いわゆるふつうのリノベーションと捉えていたかもしれませんね。今の時代は建物だけでなくまちの改修といったさまざまなプロジェクトを目にすることが多いけれども、僕が積み重ねてきた思考とは文脈も違いますから。
正木記念館で展覧会をやった2020年の学生たちが最初に出してきたプレゼンは、いわゆるインスタレーションでした。2階の畳敷の空間に銀色のシートを敷いて、海のような空間にするとか、インスタレーションとリノベーションとの区別がついていなかった。
編集部
2020年12月に実際の展示空間を拝見していますので、それは意外なエピソードです。初回はやはり苦労されたのですね。
青木
初回はどうしてもそうなりますよね。彼らは会場空間を自分たちなりの空間に全て変えようとしていましたから。それはいわゆるインスタレーションであって、リノベーションではない。
学生たちには、いったい何のためにリノベーションをするのかを考えてほしかった。その場所を今よりももっと気持ちのいい場所にするためなんだと、何かちょっとでも変えれば空間も変わる。それを必要最小限の手数でやるのがいちばん良いんだと何度も説明して、試行錯誤を繰り返してできたのが、2020年の「シン・マサキキネン展」でした。
2回目からは"街へ出よう"
青木
2021年の第2回は、学校の外で開催することを試みました。校内でやると、どうしても展示という枠組が保証されていますから。
会場をあちこちで探して最終的に、渋谷駅に近い既存建物の1階、人の往来も多い、ガラス張りの既存ビルの1階で、テンポラリーなリノベーションとしての展覧会2「鳥は泳ぎつづける」を開催しました。搬入出と設営の様子をガラス越しに公開して、午前と夜とで会場構成も変えていたのが特徴です。
青木
去年の「HAPPY TURN」は、もうすぐ取り壊される新有楽町ビルの地下1階にある、旧理容室を起点として、まずそこに行って、指示を受け取って、最終展示室を目指すという趣向でした。
あの代の学生は、会場のビルと有楽町という街を実際に歩いてみて、ビルの地下には駐車場や業者用の搬出入口が用意されていることに気づいたんですね。外観はタイル張りの建築だけれども、内部には表からはわからない裏動線と空間があり、そういったビルが集まっているのが有楽町というオフィス街なんだと。彼らはそこにおもしろさを感じた。そのことを追体験してもらいたくて、ああいった特殊な展覧会になりました。
編集部
私は最後まで辿りつけず、前半で脱落しました。謎かけのような指示はとてもおもしろかったのですが。
青木
ゴールできたのは4割ほどと聞いています。
「テンポラリーなリノベーションとしての展覧会」をやり切った先に見えるもの
編集部
青木さんが考えるリノベーションと、学生のそれが違ったとき、方向性を同じくするのに苦労されたとのこと。その差はやはり経験値でしょうか。
青木
学生は、まだものを見る目ができていなくて、すでにそこにあるものに対する感覚がまだまだ鈍感かもしれません。
編集部
既存空間の文脈や場所の歴史、地霊(ゲニウス・ロキ)を読み取るような感覚でしょうか。
青木
ある程度は知識も要りますね。第1回の会場の正木記念館の内部は、コンクリート造の外見から想像できない「和」の空間になっています。なぜそうなっているのか、何を目的にこの空間がつくられたのか、結論から言うと、日本画や工芸を展示するためなんだけれども、そういった建物の歴史から知らないと、この空間が前提としていることがわからない。これは、建築を設計するときの準備と何ら変わりません。
編集部
リノベーションはもちろん、新築で設計する際にも必要となりそうですね。
青木
そう、やってることはどちらも同じです。ただし、リノベーションは、新築と比べて、関わってくる法規や予算も違ってくるし、物理的に空間そのものが既存としてつくりこまれているから、設計者がやれる範囲もケースバイケースになるけれども。
新築も、さきほども話したように、空間の内部も周辺環境も、竣工後も変わっていきますよね。だから、今ある周辺環境そのものはさほど重要ではない。その場所が持っている方向性といったことも敷地条件に入ってくるけれども、コンテクスト(文脈)に従って設計すればいいわけではない。だからやはり、建築とは、流動的な状況を対象にしているのではないか。
そのことを、展覧会をやりきることで、学生たちに体験として学んでほしかった。「テンポラリーなリノベーションとしての展覧会」の開催目的は、そこにあります。
「番外編」の会場デザインについて
編集部
それではいよいよ、本展の会場構成、展示デザインについて話をうかがいます。
会場の受付からまず驚かされたのですが、通常と違い、建物の外側につくったデッキの上をL字に歩かせて、正木記念館側の裏手から入場させるという動線でした。この陳列館では私は初めての体験でした。
青木
展覧会において、どこから入場させて、どういった動線を歩かせるかはとても重要です。
2011年に予定していた青森での展示[*2 既出]では実現できなかったけど、アプローチについては杉戸さんと当時、いろいろと案を練っていました。2013年の「あいちトリエンナーレ」に杉戸さんと出品した〈赤と青の線〉[*6]のときも、2人で考え抜いた動線になっています。
[*6] 2013年「愛知トリエンナーレ」参加作品:青木淳+杉戸洋(スパイダース)〈赤と青の線〉の会場写真
Website『10+1』PHOTO ARCHIVES
https://www.10plus1.jp/photo-archives/156/album.php?c=21&i=0
編集部
そして会場に入ると、過去3回の企画展のパネル展示かと思えば、ほぼ何もない。よくある挨拶文の掲示もない。ある意味、マルタン・マルジェラの店のように暴力的です。でも、場内を進んでいくと、その途中で「あっ、前の展覧会で見たことあるのが置いてある」と気づく。これはおそらく、来場者が能動的にならないと気づかない。
青木
そうです。最初の1週間は、例えば1階の展示室に去年の「HAPPY TURN」展で使ったものだけを置いていた。階段空間にも気づかないくらい小さなものを置いています。
受付で配布しているハンドアウトにだけ、どれが何であるか、ナンバリングして説明しています。といったように、この展覧会は、ハンドアウトを読まないとわからないことがいっぱいあります。例えば、外部から参加した協力者の作品はどれかとか。ここに来てくれた人は、ここでいったい何をやっているのか、最初のうちはまずわかりません(笑)。
青木
僕は西澤徹夫さんと設計共同体を組んで、京都市美術館(現通称:京都市京セラ美術館)の大規模改修[*7]を担当したのですが、1933年(昭和8)に京都で建てられた美術館と、岡田信一郎[*1 既出]の設計で1929(昭和4年)に建てられたこの陳列館との間に類似点があることが気になっていました。
それと、この建物は塔屋があって、外周にあけられた縦長の窓の配置から考えると、1階と2階でそれぞれ2層、あわせて4層構造になっている。でも、1階の層の境目は曖昧で、2階の上層で回っているコーニス(軒蛇腹)[*8]も、層の下に属するのか上に属するのかわかりにくく、第3の領域として存在していました。僕たちが設置した白い「雲」は、これらの層を視覚化したものです。
編集部
それらも来場者が能動的に情報をとりにいかないとわからない。
菊地敦己作品の存在にも途中で気づきました。1枚のパネルで文章が完結していないので、これは連続した文章だとわかり、1階に戻って最初から読み直しました。
[*7] 2015年(平成27)3月に京都市が「京都市美術館再整備基本計画」を策定、美術館の耐震改修やアメニティ機能の拡張など再整備の方針を決定。2015年「京都市美術館再整備工事基本設計業務委託に係る公募型プロポーザル」を4月30日に公告。応募者19組の中から、同年8月に青木淳・西澤徹夫設計共同体を基本設計作成者として1位選出、受託候補者に選定した。同共同体は建物(本館)の大規模改修と新館(東山キューブ)の新築設計を担当し、2019年11月16日に竣工。その後、COVID-19(新型コロナウイルス感染症)予防・拡散防止のため、開館延期を2020年3月13日に発表、条件付きで同年5月26日に開館した。
同プロジェクトの詳細は、2023年6月に掲載した『TECTURE MAG』京都市京セラ美術館 館長・青木 淳氏インタビュー[前編]を参照
[*8] コーニス:洋風建築の軒と壁の頂部に帯状に取り巻く装飾
3人のコラボレーター
青木
今回の展覧会は、退任記念展として、僕がこの4年半、東京藝大でやってきたことを振り返り、提示することが前提としてあります。でも、単に展示して終わるのではなく、今後に引き継がれていくものにしたかった。それは、僕だけでは難しくて、学生たちに参加してもらうのはもちろんなんだけど、より開くためにも、大学の外にいる人にも参加してもらおうと、グラフィックデザイナーの菊地敦己さん、現代美術家の小金沢健人さん、建築家の中村竜治さんに声をかけました。
菊地敦己さんとは、青森県立美術館のサイン計画とVIデザインをはじめ、幾つかのプロジェクトで協働しています。彼が今年、東京・銀座でやった個展[*9]がとてもおもしろかったんです。キャプションを作品として昇華させていた。それを見て、菊地さんには言わばキャプションとは何かを一緒に考える相手として参加してもらいました。
会場を訪れた人は、おそらくここで何をやっているのかわからないから、空間の文脈とかこの展覧会を読み解いていくための文章を僕が書いて、「番外編」という展覧会を1つの作品と見立てたキャプションを、1階と2階の壁にあわせて8枚、配置しています。
この会場で、会期中にパフォーマンスもやりたいねと菊地さんにも相談して、12月3日の最終日に小金沢健人さんにも参加してもらいます。本展の空間とのコラボレーションを期待していてください。
[*9] 第783回デザインギャラリー1953企画展「菊地敦己 起点のように見えるアイデアは大抵作業の後半で発見される」(会期:2023年4月20日〜6月12日)
https://designcommittee.jp/gallery/2023/04/dg783.html
中村竜治作品はどこに?
編集部
動線を考えて設置したとばかり思っていた、1階と2階の床に四角くぐるりと回された木製の枠(わく)が、実は中村竜治作品であるとハンドアウトを読んでわかり、びっくりしました。(※デザインコンセプトは、中村氏から寄稿されたテキスト・後述を参照)。
青木
中村竜治さんは1階と2階にまわっている既存の巾木に着目して、それを各階でそっくりディプリケイト(複写)して、縮尺70%のボリュームで会場に配置してくれました。内側と外側を鏡面反転したデザインになっていて、階段室の脇にある小展示室にも、壁を突き抜けたかのようにして設置されています。これも一種のリノベーションだと僕は思います。
青木
中村さんは東京藝大大学院を出たあと、僕の事務所に5年間在籍しました。その頃から空間に対してなにかひとつ手を加えることを得意としていた。彼には、この「雲」や、場内に過去の展示物を点在させることがある程度決まった段階で、声をかけました。何かプラスアルファでつくってくれないかと。あとで聞いたら「これまででいちばん難しいミッションだった」と言ってました。でも、菊地さんの作品と同じで、この展覧会でいちばん作品らしい作品に仕上がっている。僕がやった仕事ではないところがいい(笑)。
編集部
はい。そういったところに今回の「番外編」らしさが滲み出ていると感じました。
「巾木の彫刻」
青木さんから話をいただいたとき既に展示構成の大枠はできていて、そこに菊地敦己さん、小金沢健人さんらと一緒に何らかの方法で参加して欲しいという依頼でした。
興味を持つと同時にとても難しそうな仕事だと思いました。実際に今まで経験してきた展示とは全く異なる種類の難しさがあり、案を考えるのにいつになく長い時間を要すことになりました。
最初、既存の空間に新しい一手がまさに打たれようとているところに、他の誰か(異分野ならまだしも同じ建築家として)が何かをさらに加えるということは一体どういうことなのか? 来場者はどう感じるのか? 混乱するのではないか? といったさまざまな疑問や不安が湧いてきました。
また、その第一手の意図や効果を計画段階で理解しきることは難しいし、そもそも理解に正解があるようなものでもないはずなので、いくら綿密に計画を練ったところで不安定な地盤の上に建物を建てるようなもので、そもそも無理があるのではないかとも思いました。しかし、そういうさまざまな人の意図が入り込むという複雑さや困難さは、この展覧会の趣旨に建築というものの本質として謳われていることでもあるので、思い切ってそこに飛び込んでみることにしました。青木さんは西澤徹夫さんと改修を手がけた大礼記念京都美術館(現称・京都市京セラ美術館)との類似性から陳列館の窓のあり方に着目し、窓によって生まれる高さ方向の4つの層(2階建の建物の各階に対し窓の無い下の層と窓のある上の層)があることを説明してくれました。そして、その境界面に水平な部材が連続して並ぶような展示を考えていました。そこで、見出された4つの層に追従するように巾木の層を加えることを考えました。
巾木は、1階は背が高く装飾的な断面をしていているのに対し、2階は背が低く単純な四角い断面をしていて、1、2階で大きさやかたちが異なっていたので、窓のあり方が1、2階で異なっていることとも呼応していておもしろいなと思ったのがきっかけです。各階で明るさの異なる透明な2つの厚い層の下に、沈殿物のような不透明な薄い層が1層ある感じ、と言ったらよいでしょうか。方法としては、その形状が魅力的だったこともあり、既存の巾木を複製した部材で彫刻のようなものをつくることにしました。陳列館に対するリノベーションでもあり、青木さんらがリノベーションした空間に置かれた展示物でもあるという両義性をもたせることで、当初の疑問や不安に対する答えが出せるのではないかという期待からです。
具体的には、複製した巾木の背面同士を張り合わせて裏の無い巾木を作り、それを四角い輪っか状にして床に置くのですが、両義性という意味で空間とも彫刻ともつかない大きさや配置が必要だと思い、陳列館の外形(部屋ではなく)を70%縮小したものを部屋の真ん中に置いています。1階では既存ではあるが後からつくられたと思われる小さな部屋を貫通し、2階では今回つくられた箱にぶつかることなく外側を回って行くような大きさや配置でもあります。実際に設計を進めてみると、過去に改変や補修がなされていて巾木の形状や色が必ずしも一様ではなかったりと、唯一安定した手がかりであると思われていた建物自体も曖昧であることに気づかされます。そんなふうに「巾木の彫刻」を定規のように基準にしながらこの空間を改めて観察してもらうと、さまざまな物や時間やそれらの関係が見えてくるのではないかと思います。(中村竜治)
会場は進化し続け、人も泳ぎ続ける
青木
ちなみに、配布しているハンドアウトの最初のストックが無くなったら、展示物の配置を変える予定です。ハンドアウトは手書きで直します。だからこの展覧会は、実は誰ひとりとして、完全に全てを見切ることはできない。
編集部
さきほど、何かをちょっと変えることで空間は変わるのだというお話がありましたが、そういったリノベーションの一環でしょうか。
青木
そうですね。配置替えをする意図としてはもう1つあって、僕は京都市京セラ美術館でディレクター(館長)を務めていて、常々思うのですが、大きな美術館の設営は、開幕日から逆算してプロの業者がきっちり全部をつくり込み、完成したものを来場者に見てもらっている。それが最も確実なのかもしれないけど、それでは展覧会というよりも、商品と消費者みたいな関係になってしまっている。僕が思うに、展覧会とはつくっていく過程も含まれているのではないか。完全に完成しきった状態を見てもらうのではなくて、その途中を見てもらってもいいと僕は考えています。
編集部
今年5月に京都市京セラ美術館で青木さんにインタビューした際も、同じ趣旨の発言をされていました(『TECTURE MAG』特集記事「京都市京セラ美術館館長・青木 淳氏インタビュー[後編] 特別展『跳躍するつくり手たち』を読み解く」の終盤の段落を参照)。
青木
そうですね。設営段階を見せるとか、公共の美術館ではなかなか難しいんだけど、要所で提案しています。
ここは大学という教育の場なので、いろいろとチャレンジングなこともやらせてもらえました。
リノベーションの流儀
編集部
リノベーションについて、インタビュー冒頭のマルタン・マルジェラの話に立ち返ると、彼は当時、「衣服の解体・再構築」ということを提案していたと記憶しています。建築のリノベーションの場合も、既存の建物を要素分解しながら解釈し、再構築していて、今回はそれを展覧会というプレゼンテーションに昇華させていると感じました。
青木
ありがとうございます。
編集部
その空間の文脈を解釈し再構築する際に、建物の歴史はもちろんですが、青木さんはふだんどういった点に注力しているのでしょうか。
青木
それはケースバイケースですね。例えば、京都市京セラ美術館で今年5月に受けた『TECTURE MAG』インタビューでも触れたけど、大改修にあたって建物の歴史を調べていくと、だんだんと最初の設計者である前田健二郎(1892-1975)がやろうとした、デザインの流儀みたいなものが見えてくるんです。彼が残した、既存のものから見えてくる。彼と同じ流儀を僕らが感覚としてもつことができれば、新しい・古いの境目を極力なくしたデザインができる。
青木
例えば、京都市京セラ美術館では、第一陳列室として使われていた時代には存在しなかった現代の機能、エレベーターシャフトや螺旋階段を、中央ホールとなった大空間に新設しています(上の画)。あまり新しい要素が多すぎてもいけなくて、バランスも重要になります。
編集部
京都市京セラ美術館の現在の大ホールでは、後から設置したものがあたかも元からあったような佇まいになっていると感じました。
青木
今回の展覧会でも、後付けで新しいことを付加しているけれども、なんとなく前から存在してもおかしくない、そんな空間を目指しました。12月3日の最終日まで、そうあり続ければといいなと願っています。
[了]
Interview & Photographs by Naoko Endo & Yusuke Ozawa
text by Naoko Endo
青木淳退任記念展「雲と息つぎ ―テンポラリーなリノベーションとしての展覧会 番外編―」開催概要
会期:2023年11月18日(土)〜12月3日(日)※会期中無休
開館時間:10:00-17:00(入館は16:30まで)
※最終日12月3日は16:00まで(16:00からは小金沢健人によるパフォーマンス開催)
会場:東京藝術大学大学美術館 陳列館1、2階
所在地:東京都台東区上野公園11-8(Google Map)
観覧料:無料
主催:東京藝術大学美術学部、東京藝術大学美術館
企画:東京藝術大学大学院美術研究科建築専攻青木淳研究室(青木 淳、笹田侑志、秋山真緩、大岩樹生、佐野桃子、三輪和誠)
協力:菊地敦己、小金沢健人、中村竜治
会場設営指導:studio arche(甲斐貴大)
巾木製作:伊藤 優
グラフィックデザイン:小原七海本展概要 / 東京藝術大学大学美術館ウェブサイト
https://museum.geidai.ac.jp/exhibit/2023/11/clouds-and-breaths.html本展公式ウェブサイト
https://aoki-lab.tumblr.com/