第2次世界⼤戦期を挟んで活動した建築家、しかも”ブルータリズム”で一世を風靡した過去をもつ男が主人公の映画『ブルータリスト』が2月21日より公開されています。
映画『ブルータリスト』ポスター(左から、ガイ・ピアーズ、エイドリアン・ブロディ、フェリシティ・ジョーンズ)
“THE BRUTALIST” 2024 © DOYLESTOWN DESIGNS LIMITED 2024. ALL RIGHTS RESERVES © Universal Pictures
ブルータリズムとは、1950年代から60年代にかけて、日本を含めた世界各地で巻き起こった建築潮流です。世界大戦で荒廃した欧州では、廉価で工期も短い建築物の需要が高く、そして当時は最先端の建材でもあったコンクリート造で、公共建築や集合住宅が建設されました。ル・コルビュジエの設計で知られる〈ユニテ・ダビタシオン〉(フランス・マルセイユ、1952)も、ブルータリズム建築の1つに挙げられます。装飾性を排したミニマムな外観だったため、建設当時から醜美の点で賛否があるのがブルータリズム建築です。
参考リンク
『TECTURE MAG』では、映画『ブルータリスト』のマスコミ試写会に参加。本作の概要と見どころについてレポートします(本稿では、プレス資料の「プロダクションノート」などを参照した)。
注.以下に掲載するテキストおよび劇中カットは、いわゆる「ネタばれ」を含みます
米国・ニューヨークのエリス島にあった施設で入国審査を待つ移民たち
“THE BRUTALIST” 2024 © DOYLESTOWN DESIGNS LIMITED 2024. ALL RIGHTS RESERVES © Universal Pictures
入国審査をパスした主人公は、高速バスで向かったフィラデルフィアで、米国での事業を軌道に乗せ、カトリック教徒と結婚して暮らす従兄弟のアッティラ(左の人物)と再会、彼の職場兼自宅に身を寄せる
“THE BRUTALIST” 2024 © DOYLESTOWN DESIGNS LIMITED 2024. ALL RIGHTS RESERVES © Universal Pictures
映画『ブルータリスト』ストーリー
才能にあふれるハンガリー系ユダヤ人建築家のラースロー・トート(エイドリアン・ブロディ)は、第二次世界大戦下のホロコーストから生き延びたものの、妻のエルジェーベト(フェリシティ・ジョーンズ)、姪のジョーフィア(ラフィー・キャシディ)と強制的に引き離されてしまう。家族と新しい生活を始めるため、アメリカ・ペンシルベニアで小さなインテリアショップを営む従兄弟を頼り、単身移住したラースローは、そこで裕福で著名な実業家ハリソン(ガイ・ピアース)と出会う。建築家ラースロー・トートのハンガリーでの輝かしい実績を知ったハリソンは、ラースローの才能を認め、彼の家族の早期アメリカ移住と引き換えに、あらゆる設備を備えた”礼拝堂”(インスティテュート)の建築設計をラースローに依頼する。しかし、母国とは文化もルールも異なるアメリカでの設計作業には、多くの障害が立ちはだかる。ラースローが希望を抱いたアメリカンドリームとはうらはらに、彼を待ち受けたのは大きな困難と代償だった──。
本作は、ホロコーストを⽣き延び、米国へと渡った男の30年にわたる数奇な半⽣を描いた⼈間ドラマです。インターミッション(休憩)を挟んで215分のストーリーでは、主人公およびその家族がハンガリー系ユダヤ⼈であるバックボーンが、何度も暗い影を落とします。本作のクライマックスにて、ユダヤ系移民として過ごした米国での30年の蓄積から、自分たちにとって「アメリカンドリーム」とはなんだったのかを叫ぶ主人公のラースロー・トートが、『戦場のピアニスト』(2002年)でユダヤ系ポーランド人のピアニストを演じた(同作で第74回アカデミー賞®主演男優賞を獲得した)エイドリアン・ブロディであることは、偶然とはいえ、鑑賞時の陰影に付加されます。
主人公一家とは対照的な、絵に描いたような「アメリカンドリーム」の体現者であり、主人公のパトロンとなる⼤富豪のハリソンを演じるのは、『LA コンフィデンシャル』(1997)、『メメント』(2000年)などへの出演で知られる、ガイ・ピアース。映画の後半で登場する、英国留学経験もあり高い知能を自負する妻を、『博⼠と彼⼥のセオリー』(2014年)で第87回アカデミー賞®主演⼥優賞にノミネートされたフェリシティ・ジョーンズが演じています。監督・脚本は、36歳の気鋭、ブラディ・コーベット。
本稿では、劇中のカット(配給元提供)から、時系列で本作のあらすじを追っていきます。
富豪一家からの依頼を受け、ぶ厚いカーテンで太陽光を遮った書斎で、改修設計案に考えをめぐらせる主人公(右端の人物)
“THE BRUTALIST” 2024 © DOYLESTOWN DESIGNS LIMITED 2024. ALL RIGHTS RESERVES © Universal Pictures
富豪邸 書斎の見上げ
“THE BRUTALIST” 2024 © DOYLESTOWN DESIGNS LIMITED 2024. ALL RIGHTS RESERVES © Universal Pictures
リノベーション後の書斎
“THE BRUTALIST” 2024 © DOYLESTOWN DESIGNS LIMITED 2024. ALL RIGHTS RESERVES © Universal Pictures
自身には非はないトラブルから、主人公は危険も伴う建設現場で労働者として働かざるをえなくなる
“THE BRUTALIST” 2024 © DOYLESTOWN DESIGNS LIMITED 2024. ALL RIGHTS RESERVES © Universal Pictures
富豪のハリソンは、探していたトートと建設現場で再会、改めて自邸に招待する
“THE BRUTALIST” 2024 © DOYLESTOWN DESIGNS LIMITED 2024. ALL RIGHTS RESERVES © Universal Pictures
館の主のハリソンは、上流階級の知人らを招き、米国の雑誌でも紹介された自慢の書斎を披露
“THE BRUTALIST” 2024 © DOYLESTOWN DESIGNS LIMITED 2024. ALL RIGHTS RESERVES © Universal Pictures
富豪のハリソンは亡き母親のための礼拝堂の建設を切望し、その計画地でトートに設計を依頼する
“THE BRUTALIST” 2024 © DOYLESTOWN DESIGNS LIMITED 2024. ALL RIGHTS RESERVES © Universal Pictures
礼拝堂のデザインイメージを木炭でスケッチするトート
“THE BRUTALIST” 2024 © DOYLESTOWN DESIGNS LIMITED 2024. ALL RIGHTS RESERVES © Universal Pictures
主人公のラースロー・トートはかつて、彼が第一線で活躍していた当時はまだ建築潮流の”はしり”であったろう、ミニマムなコンクリート造の建築デザインで名を馳せ、欧州のインテリア雑誌で作品が取り上げられていたという輝かしい実績をもっています(そのことがわかるカットは数秒なのでお見逃しなく)。しかしながら、ハンガリー系ユダヤ⼈であった彼は、戦争で財産も職も失い、戦禍で離れ離れになった妻と姪を欧州に残し、血縁者を頼ってひとり、米国に船で渡航します。本作の冒頭は、主人公を含む欧州からの避難民を乗せた船が、米国に到着したシーンから始まります。自由を象徴する女神像を見上げるアングルは臨場感に溢れ、移民たちの境遇に一気に感情移入させる効果をあげています。
米国で暮らしをたて、妻と姪を呼び寄せんとする主人公が最初に身を寄せたのは、ペンシルバニアで従兄弟が営んでいた小さなインテリアショップ。当時の流行だという家具が並んだ店内を見渡し、感想を求められた主人公が吐いたセリフには、気鋭の建築家としての気概が滲み、1階の物置を間借りした主人公がデザインして店のウィンドーに展示された家具は、地元の売れ筋の逆をいくような、モダンなパイプ椅子。その佇まいからはナチス政権によって閉校に追い込まれたバウハウスのデザイン哲学の影響がみとれます。
これら、主人公がデザインした家具などのプロダクトはもちろん既製品ではなく、建築空間も本作のために用意されたものです。本作では美術監督としてクレジットされている、プロダクションデザイナーのジュディ・ベッカーがデザインを担当。当時の資料や関係者へのインタビューなどをもとにしているとのこと。中でも圧巻は、主人公のパトロンとなるハリソン邸の書斎の改修(リノベーション)が完成した直後のシーン。今日でも通用する機能美をもった美しいキャビネットと空間が誕生しています。
この仕事でハリソンに気に入られた主人公は、富豪が所有する丘の上に巨大な礼拝堂(インスティテュート)を設計することに。市民らへのプレゼンテーションでは建築模型が登場。このとき、主人公は語っていませんが、第2次世界大戦中の強制収容所をイメージしたデザインが製作側の意図として採用されています。建築関係者であれば、太陽の光を効果的に取り込んだ内部空間など、ジュディ・ベッカーらが参照したであろう近現代の有名建築をいくつか心のうちに思い浮かべることでしょう。この礼拝堂(インスティテュート)での撮影では、あたかも実際に建てられたかのように見えるよう、腐心したとのこと。
礼拝堂の建設が始まったが、保守的な地元住民から”景観論争”が巻き起こる
“THE BRUTALIST” 2024 © DOYLESTOWN DESIGNS LIMITED 2024. ALL RIGHTS RESERVES © Universal Pictures
難題続きの現場では、建築家(主人公)と施工会社、施工会社の意を密かに受けて参画している設計業者らとの間で激しい応酬が繰り広げられる
“THE BRUTALIST” 2024 © DOYLESTOWN DESIGNS LIMITED 2024. ALL RIGHTS RESERVES © Universal Pictures
映画の終盤、イタリア・カラーラ採石場でのシーンは、ローマ帝国時代から産地として名高い大理石(ビアンコ・カララ)の美しさと、そのことに感嘆する富豪(ガイ・ピアーズ)の名演に目を奪われがちですが、荒々しい採掘場の鳥瞰から入る冒頭のカットに、登場人物それぞれの内面と、資本主義が大地につけた大きな爪痕について伝えるための映像表現であると知れば、建築という巨大構造物がもたらす功と罪をつい考えてしまいます。
映画『ブルータリスト』は、昨年の第81回ヴェネチア国際映画祭でプレミア上映されると評判を呼び、銀獅⼦賞を受賞。先ごろ発表された第82回ゴールデングローブ賞では、作品賞(ドラマ部門)、監督賞、主演男優賞を受賞しています。間もなく開催される第97回アカデミー賞®では、作品賞、監督賞、主演男優賞など計10部門にノミネートされており、賞レースの行方も注目されます。
建築図面を読み解き、その高い空間性を理解して夫を支えようとする妻・エルジェベートも、米国社会では厳しい洗礼”をうける
“THE BRUTALIST” 2024 © DOYLESTOWN DESIGNS LIMITED 2024. ALL RIGHTS RESERVES © Universal Pictures
2024年 / 215分(カラー) / アメリカ、イギリス、ハンガリー / 英語、ハンガリー語、イタリア語、ヘブライ語、イディッシュ語 / 5.1ch
出演:エイドリアン・ブロディ、フェリシティ・ジョーンズ、ガイ・ピアース、ジョー・アルウィン、ラフィー・キャシディほか
監督・共同脚本・製作:ブラディ・コーベット
共同脚本:モナ・ファストヴォールド
撮影監督:ロル・クロウリー
美術監督:ジュディ・ベッカー
音楽:ダニエル・ブルンバーグ
衣装:ケイト・フォーブス
日本語字幕翻訳:松浦美奈
配給:パルコ ユニバーサル映画
© DOYLESTOWN DESIGNS LIMITED 2024. ALL RIGHTS RESERVES © Universal Pictures
Text by Naoko Endo