博物館は、小中学校の社会科見学の定番コースだから、行ったことのない人は少ないだろう。
ここで見られる動物の剥製や恐竜の巨大な化石は、収蔵品の一部にすぎない。数多の標本資料のほとんどは収蔵庫に保管されている。学術研究目的で貸し出されたり、企画展や特別展で展示されたり、例外的にテレビ番組で紹介される以外、日の目を見ることは稀だ。なんともったいない!
この膨大かつ貴重な標本群を、博物館の貴重な資源として活用し、地方にも巡回させようというプロジェクトが、東京・上野にある、約480万点もの収蔵品点数を誇る国立科学博物館(以下、カハク)で始まっている。
来場者と展示品(剥製)との新しいコミュニケーションを創出
プロジェクトの第一弾となる「巡回展」が昨年、大分市で開催され、大成功を収めているのだが、これには「デザインの力」が大きく貢献している。
日本デザインセンター(NDC)で三澤デザイン研究室(以下、三澤研と略)を主宰する、デザイナーの三澤 遥氏が、カハクと共同して展示什器を開発。展示する標本のセレクトに始まり、それらをどう収納してどう見せるか、さらには来場者にどんな体験を持ち帰ってもらうかまでを組み立て、什器や空間構成をトータルでデザインした。巡回展キット「WHO ARE WE 観察と発見の生物学」としてリリースしている。
この巡回展キットは、標本資料や什器に加え、サインや解説パネルなど全て一体としてキットに含んでいる、画期的なシステム展示である。
デザイナー プロフィール
三澤 遥(みさわ はるか)
1982年群馬県生まれ。武蔵野美術大学工芸工業デザイン学科卒業後、デザインオフィスnendoを経て、2009年より日本デザインセンター原デザイン研究所に所属。2014年より三澤デザイン研究室として活動開始。
2019年、毎日デザイン賞受賞。主な著書に『waterscape』(出版:X-Knowledge)などがある。三澤デザイン研究室では、ものごとの奥に潜む原理を観察し、そこから引き出した未知の可能性を視覚化する試みを、実験的なアプローチによって続けている。主な仕事に、水中環境をあらたな風景に再構築した「waterscape」、takeo paper show 2018 「precision」への出品作「動紙」、上野動物園の知られざる魅力をビジュアル化した「UENO PLANET」、ロゴの自在な展開性を追求したKITTEやTOKYO BIG SIGHTのVIがある。
2021年7月に島根県隠岐の島に開業したジオホテル「Entô」では、アートディレクションを手掛けている。三澤デザイン研究室
https://misawa.ndc.co.jp/
国立科学博物館×三澤デザイン研究室 共同制作のプロセスを追う
『TECTURE MAG』では、大分で開催された展示とこの「巡回展キット」に注目。デザイナーの三澤氏と、このプロジェクトを担当した、独立行政法人国立科学博物館の久保 匡氏にインタビューを行い、話を聞いた。
昨今では、建築家やインテリアデザイナーが、展覧会の空間デザインや会場構成を担当し、クレジットされることも多いが、三澤氏が今回、踏み込んだのは、これまでは施工会社や博物館の領域だったところのデザインである。
地方の公共美術館で来場者数1万人を突破
上の写真は、2021年7月から9月にかけて、大分県立美術館(OPAM)で開催された企画展「WHO ARE WE 観察と発見の生物学 国立科学博物館収蔵庫コレクション|Vol.01 哺乳類」の会場風景である。
この展覧会は、カハクが収蔵する、世界屈指の動物標本「ヨシモトコレクション」を中心に、選りすぐられた哺乳類の標本を紹介したもので、会期中の入場者数はのべ11,171人を記録した。
この類の展示では、「展覧会が始まる前、観客動員数が1万人超えれば大成功だと話していた」(久保氏談)とのことなので、プロジェクトのお披露目展として上々のスタートを切ったとことになる。
ミッションは膨大な標本資源の活用
——そもそも、どういった経緯で始まったプロジェクトなのでしょうか。(『TECTURE MAG』編集部)
久保:2019年4月に、国立科学博物館の新設部署として、科学系博物館イノベーションセンターが設立されました。約494万点という、博物館が収蔵する標本など、多種多彩な資源を活用していくための組織です。
博物館の役割の一つは、展示を通じて、多くの人々に世界を見る、世界を知るきっかけを提供することだと考えています。普段は博物館に足を運ばない方にも、博物館が持つ資源にふれてもらい、いろんな出会い、邂逅をしてほしい。
そこで、収蔵庫で保管されている標本を活用すること、そのための巡回展をイチから立ち上げることにしました。貸出によって独自の収益を得ること、巡回先の地域活性化へ貢献することも大事な目標でした。
——巡回展を継続して回していく仕組みから、企画してつくったということですね。
久保:はい。さまざまな場所への貸出を考慮してデザインしました。造作物は全て島什器や組み立て式の壁面にして、壁掛けや天吊りといった博物館で一般的に用いられる手法は極力用いないようルールを定めました。展示室の設備に依拠しないように設計することで、博物館以外への貸出が容易になるよう心がけました。
三澤デザイン研究室×国立科学博物館 初のコラボレーションが実現!
久保:これらを改善して、博物館以外の場所へコンスタントに貸出を行うには、標本資料をデザインの視点で編集する必要があると考えました。そこで、2020年5月に、業者向けにコンペティションを実施して、アイデアを公募したのです。三澤さんのチームが応募してくれました。
三澤:巡回展をデザインするという、新しいデザインの可能性を感じました。美術館、博物館に限らず、いろんな場所にカハクの剥製が出向いて展示されるなんて、想像しただけでワクワクしました。
私たち日本デザインセンターが取り組んでいる「ビジュアライズ」の領域でもあると、ぜひ参画したいと思いました。
テーマは「発見」と「観察」
今回のプロジェクトでは、従前の企画展にありがちな、広い会場で物量を展開し、その圧倒的な情報量で満足してもらうのではなく、カハクを根本から支える資料、標本の1つ1つをじっくりと見てもらいたいという、カハク側の意向があらかじめ示されていた。
三澤氏が考え出したのが、標本を最初から「見せない」という、引き出し式の展示什器である。「観察の眼、発見の芽」をテーマに、大小の箱型什器に引き出しをしつらえ、その中に標本を展示する。
この三澤研の案が、カハクの巡回展開発担当だけでなく、担当研究者も審査に加わったコンペで、応募6社の中から最優秀に選出される。その後、カハクと共同で開発されたのが、巡回展キット「WHO ARE WE 観察と発見の生物学」である。
三澤:展覧会タイトル「WHO ARE WE」には、そのものずばりですが、「私たちは 誰なのか。」というメッセージを込めています。
まるで生きているかのような、息を飲むほど美しくよくできた剥製たちを展示で観てもらうだけではない。目の前の剥製は哺乳類で、私たちも同じ哺乳類の仲間です。そう思って、まずは剥製と向き合ってみる。剥製を見ていたはずですが、会場を奥に進むにつれて、徐々に自分自身について考え始めてしまう。「哺乳類とは何なのか。そして、私たちは、誰なのか。」と。生物科学のその先で、哲学的な「問い」を提示するような展示体験にできたらいいなと考えました。
「WHO ARE WE」というタイトルは、チームで話し合いを重ねてきた思想を元に、コピーライターの磯目 健さんに名付けてもらいました。
標本を最初から「見せない」
——木の箱(什器)が点在しているだけの、大分会場の写真をSNSで見たときは驚きました。これまでのカハクの展示とは全然違うぞと。
久保:三澤さんにお願いしたのは、「展示の入口」と「観察の仕組み」のデザインです。これは、会場のエントランスまわりのことではなくて、人々を科学の領域に誘ってくれる世界への「入口」を用意して欲しかった。
そして完成したのが、11の箱什器に計46の引き出しが付いた「巡回展キット」。素晴らしいものができたと思っています。
三澤:引き出しの中に何が入っているかは、開けてみるまでわからない。鑑賞者が、自分で開けるごとに「発見」する。そこにイッカクの2mほどの歯が急に現れたりしたら、思わずドキッとするでしょう? どんなものに出会えるのかなというドキドキ、ワクワク感を大事にしたいなと。次の「観察」するという行為にも移行しやすくなります。
久保:ガラスケースに並べて右から左に見せるのではなく、どの什器のどの引き出しを開けるかを鑑賞者が決めるという能動性が最初に加わったことで、情報の処理、知識の深まりが、従前とは圧倒的に違ってくるのですね。デザインの力ってすごいなと思いました。博物館側からは絶対に出てこない発想です。
そして、この什器なら、ハコごと運んで、博物館以外の会場にも設置できる。かなり深いところまで潜って考えてくれないと、こんなアイデアは出てこない。
三澤:「引き出し」のアイデアは、最初の段階で直感的に浮かんでいたのですが、その後に、複雑なパズルを解くような作業が待っていて、かなり大変でした。結果的に、通常手がけているプロジェクト5本分くらいの膨大な作業量になってしまい(笑)。
しかも、この頃は、日本デザインセンターの自主企画展「VISUALIZE60」の作品の製作準備や、隠岐島に建設中のホテル〈Entô〉のプロジェクトも並行しており、「”いろんな追いかけっこ”がずーっと続いていた」状態だった三澤氏。
それでも、多忙な日々の合間を縫って、スタッフとともに、つくば市にあるカハクの収蔵庫に何度も足を運んだという。
「見ること」に集中させるデザイン
来場者が「観察」に集中するためには、剥製などの留め方は意識が向かないほどにさりげなく、シンプルなほうがいい。だからといって簡素すぎると、引き出しの開け閉めで中の繊細な展示物たちが簡単に破損してしまうし、長距離移動にも耐えられない。
そこで、展示と保存をよく知るエキスパートにチームに参入してもらい、カハクの研究者からの注意点をヒアリングしながら、検討を重ねていった。
標本類の固定では、既存の細い治具の先端に透明のゴムチューブを取り付け、職人が緻密に造作している。
三澤:実際にどのように標本をつくっているのか、やはり実際に知らないとデザインできないので、動物研究部で哺乳類を専門としている川田伸一郎先生に、収蔵された剥製や、実際に解剖する様子を見学させてもらいました。
標本棚の中には所狭しと標本が収納されていて、その膨大な収蔵量に圧倒されました。自分にとっては未知との遭遇の連続。刺激が強く、眼に入る情報を処理することが追いつかず、頭の中が飽和状態でぐったりと帰路についた記憶も。
このほかにも、引き出しを開け閉めした際の負荷や、引き出しを全部開け放った場合の荷重バランス、地震が発生しても絶対に倒壊しない強度、人力で運べる総重量、巡回移動はもちろん10年先まで使える耐久性など、こちらを立てればあちらが出っぱる、みたいなせめぎ合いが、最後まで続きました。
でも、そういう「幸せな苦しみ」を味わえたプロジェクトだったなと思っています。
お披露目は坂茂氏が設計した大分県立美術館(OPAM)にて
カハクと三澤研、そしてさまざまな職人や専門家と総力を結集した「巡回展キット」は、年度内に無事、納品された。
そして、この3カ月半後の2021年7月22日に、大分県立美術館(OPAM)にて、「巡回展キット」の初披露となる企画展「WHO ARE WE 観察と発見の生物学 国立科学博物館収蔵庫コレクション|Vol.01 哺乳類」が初日を迎える。
「観察と発見」の体験をもたらす什器の引き出しは果たして開けられるのか?
そして「見ること」に集中してもらうために、プロジェクトチーム一丸となった空間デザインの奮闘が続く——。
この続きは特集の後編にて!
Interview & Photo by Jun Kato
Interview & Text by Naoko Endo
参考資料
文化庁プレスリリース【国立科学博物館】収蔵庫コレクションを活用した巡回展キットの貸出スタート 地域振興を目的とした新たな巡回展を開発
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000282.000047048.html
「WHO ARE WE 観察と発見の生物学」公式ウェブサイト
https://www.kahaku.go.jp/renkei/whoarewe/