誰もが快適に利用できる公共トイレを渋谷区17カ所に設置する「THE TOKYO TOILET」プロジェクト。『TECTURE MAG』では、著名な建築家やデザイナーが設計した「THE TOKYO TOILET」プロジェクトのトイレ建築をレポート形式でほぼすべて紹介してきました。
今回はその総括として、プロジェクトを推進してきた日本財団・笹川順平常務理事にインタビューを実施。トイレ建築がつくられていく過程を振り返っていただきながら、公共建築のあり方やクリエイティブの力、さらに小さな建築がもつ大きな可能性について伺いました。
(特記以外の写真:八木元春 | Motoharu Yagi)
INDEX
- クリエイティブと公共性を組み合わせる
- 地域で暮らす人のことも考える
- 変わりゆく社会とトイレへの見方
- 世界と未来へとつながるトイレプロジェクト
- メンテナンスも“おもてなし”として財産になる
クリエイティブと公共性を組み合わせる
── THE TOKYO TOILETプロジェクト(以降、TTTプロジェクト)を企画された背景、その狙いを教えてください。
笹川:きっかけは柳井康治さん(※)のお話からでした。「屋外に設置されているトイレの多くは、障害者向けに設計されていません。だから障害者の人々は積極的に外に出られない。その結果、活躍の機会が奪われているんです。そこで多種多様な建築家やクリエイターに声を掛けてトイレを改装し、あらゆる人に開かれた、『誰もが使ってみたくなる公共トイレ』をつくってみたいのだけど、どうでしょう?」という内容でした。
そのお話にピンと来ました。日本財団は渋谷区と2017年に包括連携協定を結び、ソーシャルイノベーションによって社会課題の解決を図る先駆的な事業を連携して取り組んできました。渋谷は発信力の高い街ですので、その取り組みの一環として進めていったほうが注目も集めやすい。そこで柳井さんが本プロジェクトの事業発案と資金提供を行い、日本財団が連携して進めていくこととなりました。
トイレの選定については、渋谷区と協議をしながらインクルーシブな社会の実現をより広く知っていただく目的から、多くの人の目に触れる場所を選定しました。そしてクリエイターごとに、マッチする場所を選んでいきました。
※ TTTプロジェクトの事業発案・資金提供者。株式会社 ファーストリテイリング 取締役兼グループ上席執行役員
── 参加されているクリエイターは年代も、普段手掛けられているプロダクトのジャンルも幅広いと思います。クリエイターたちには、どんな期待をされていましたか?
笹川:当時、公共トイレの抱える課題は明確でした。1つ目は「清潔さの欠如」。見た目はもちろん、臭いも含めて、誰もが使いやすいトイレではありませんでした。2つ目は「安全性の欠如」。落書きなどのイタズラや、事件が起きる場所として、多くの人から使用を敬遠されていました。あまり使用されていないということはつまり、公益性に欠けているということです。これら2つの課題を、クリエイティブの力で解決できないか。クリエイターの方々に、その課題解決をお願いしたといえるかと思います。
排泄は本来、人間にとって食事と同じくらい重要な行為です。だから公共トイレとは誰もが駆け込める場所であるべきだと思います。しかも何十年という長い期間、住民の方々に使用してもらえるものでないといけない。優れたアート作品や、話題性のあるものができればいいというわけではありません。
柳井さんはクリエイティブの力を信じていて、日本財団は公共性に対する理解が高い。クリエイティブに関するアドバイスを柳井さんからいただいて、デザイン性と実用性のバランスをすり合わせながら、進めていきました。公共と、クリエイティブに強い民間が組んだからこそ、今回のプロジェクトは成功をおさめられたのだと思います。
地域で暮らす人のことも考える
── TTTプロジェクトを実現させるうえで、大変な側面、熟慮が必要だったポイントはありましたか?
笹川:各トイレを設置する地域とのつながりですね。トイレが設置された場所には、それぞれの土地柄・地域性があるからです。建築家と地主では、プロダクトに求めるものが異なります。自分のお金で購入した、自分の土地につくるのであればどんな建築物でも意見は言わないでしょう。しかし公共トイレの場合、その周辺で生きる人々、さらに将来、そこで過ごすことになる人々の暮らしも考慮に入れなければいけません。プロダクトをつくる人、使用する人、その場所で暮らす人、という三者全員がハッピーにならなくてはいけません。
例えば安藤忠雄さんのトイレを設置した神宮通公園には、大きな桜の木があります。地域の人々には、その桜を大切にしてほしいという思いがありました。そうした地域の人々の思いを考慮に入れたうえで、安藤さんは設計をしてくださいました。
さらに言うと、地域の住民から賛同いただけても、その土地を掘ってみたら地下からケーブルが出てきたところもありました。それは国立競技場までつながるケーブルで、切断してはいけないものだった。そこで工事を一時ストップさせて、場所からまた考え直すなんてこともありました。そうしたやむにやまれぬ事情で、クリエイターの中には、何度も設計の変更をしてくださった方もいました。でもどなたも途中で投げ出さずに最後まで付き合ってくださった。それは、TTTプロジェクトに対して共感いただいたからだと思っています。
変わりゆく社会とトイレへの見方
── トイレに対する社会の意識は、数年前と比べても大きく変わってきていると感じます。TTTプロジェクトにはジェンダーレストイレなどの設置もありますが、そうした意識の変化が反映されているのでしょうか?
笹川:プロジェクトの開始当初は、意識できていなかったですね。渋谷の公共トイレを実際に見て回っているうちに、意識が変化していきました。現場に足を運んでまず理解できたことは、ほとんど使用されていないということです。利用者は、タクシーの運転手さんばかりでした。小さな子どもと一緒に公園に来る母親は多いのに、ほとんど使用されない。そうした方々はコンビニのトイレをよく使用しているんですね。その光景を見ているうちに、「女性が安心して使用できるようなトイレにするべきだ」と感じたのです。子連れの女性が、広い空間で安心して子どもの着替えもさせられるような空間が公共には必要だと思いました。
特に田村奈穂さんの担当された〈東三丁目公衆トイレ〉は、タクシー運転手がよく利用するトイレで、タバコの吸い殻まみれで汚かったんです。それでは女性は利用しづらいですよね。田村さんは、真っ赤なデザインに一新してくださいました。建て替えの後、ちょうど私がいたときに女性が友人同士でトイレ前を待ち合わせ場所にしてくれていたときは、嬉しかったですね。
TTTプロジェクトを通じて建て替えたトイレの中には、女性の使用率が7倍にも増えているトイレもあります。女性にだけターゲットを限定したわけではありませんが、「誰にでも気持ちよく使ってほしい」と考えた結果、自然と女性も安心して使用できるようになりました。
ちなみに田村さんは本来、建築家ではなくプロダクトデザイナーです。一流の建築家の先生たちに混じって、まったく遜色ないトイレをつくってくださいました。今回、そもそもの目的とは異なりますが、クリエイターの方々がお互いに刺激を受け合ってくれたのも1つの大きな収穫です。例えば坂茂さんは佐藤可士和さんがデザインされた〈恵比寿駅西口公衆トイレ〉から刺激を受けたようです。「かつてのように設計図とにらめっこするよりも、空間を見つめてプロダクトを検討する建築家がいてもいいのかもしれない」というようなことを仰っていました。
安藤さんも「クリエイターたちがそれぞれがんばったところがこのプロジェクトの収穫。各自が自分のアートを注ぎ込んだ結果、多様性が生まれた」と仰っていました。コンペのような競争原理ではなく、自分たちを高め合う場所になったのだと思います。勝ち負けよりも、楽しんで制作物を発表しあおうとする姿勢は、幼少期の運動会のような楽しさがありますよね。それは制作物がトイレに絞られていたから、という理由も大きいのかなと感じています。一般の建築物だったら、コンペに似た雰囲気になっていたかもしれません。
世界と未来へとつながるトイレプロジェクト
── そのほか、特に印象に残っているトイレはありますか?
笹川:坂さんの「透明トイレ」(〈はるのおがわコミュニティパークトイレ〉、代々木深町小公園に設置)ですね。提案の時点で「まさか!」でした。透明にすれば誰もいないことが確かにわかります。「安全性」という課題に対して、これほど真正面から解決方法を提示したプロダクトはなかなかありませんよね。例えて言うなら「165キロの直球ストレートで何が悪いんだ?」という坂さんの姿勢が衝撃でした。
透明のトイレは、発表前の段階で、公園にあるのを見つけた人々によってSNSを通じて拡散されました。中国やヨーロッパなど海外でも話題になり、BBCでも取り上げられて。これらの動きが、世界的にTTTプロジェクトが認知されたきっかけです。美術館の中で展示されるアート作品も素晴らしいものですが、公共の場で実際に使用できるものが及ぼす影響力の強さを実感しました。
予期していなかった反響はこれだけではありません。当初は、建築・デザイン系の学生たちが興味を持ってくれると思っていました。しかしそれ以上に、小学校などに通う子どもたちからの反響が大きかったんです。私も講師として小学校に招かれ、特別授業で話しました。公共性、社会課題の解決、クリエイティブといったことに小学生たちが興味を持ってくれていて、これには希望を抱きました。
メンテナンスも“おもてなし”として財産になる
── トイレそのものだけではなく、清掃・メンテナンスも「おもてなし」と結びつけて力を入れられていたのが、本プロジェクトでは印象的でした。
笹川:世界的に見ても、日本はトイレを大切にしてきた国だといえます。だからこそ、「公共性の高いトイレでどう日本人のアイデンティティを導いていくのか」は、TTTプロジェクトにおける1つのチャレンジになりました。海外から訪れる多くの人が感動し、日本の良さを再確認してもらえるものにしたかった。なぜなら、それが結果的に日本の財産になるからです。「日本の良さを再確認してもらえる場所」という視点を考慮に入れると、建物と同じくらいメンテナンスは大切な要素だと思いました。そのためには、常に清潔さが保たれている必要があります。
TTTプロジェクトのトイレを舞台として、2023年12月に公開されるヴィム・ヴェンダース監督による映画『PERFECT DAYS』では、役所広司さん演じる清掃員が主人公になっています。TTTの新たなプロジェクトとして、柳井さんが電通の高崎卓馬さんと共に、ヴィム・ヴェンダース監督宛に「清掃員を主人公にしたショートストーリーを幾つか撮ってもらえないか?」と依頼する手紙を届けたところから、映画へと発展していったと聞いています。
渋谷の公共トイレが映画の舞台に!ヴィム・ヴェンダース監督が次回作を「THE TOKYO TOILET」で撮影、清掃員役で役所広司が主演
監督はTTTを「忙しい東京の中の、静かな場所」と表現してくれたと聞きました。素晴らしい表現だと感じたと同時に、私たちのおもてなしに関する考えは間違っていなかったと実感した瞬間です。
結果的に、TTTプロジェクトは柳井さんやクリエイターの方々、地域の方々など、さまざまなステークホルダーに関わってもらうことで「公共トイレ」という既成概念を壊していくものになりました。そもそも日本財団という団体は、ソーシャルイノベーションを解決するためのハブとしての役割を果たすのが使命です。今回はクリエイティブと市民のあいだのハブという役割を通じて、実際にイノベーションを起こすことができたと自負しています。
#日本財団 YouTube活動紹介:introduction video (English version)
── 日本財団が今後見据えている活動についても、お聞かせください。
笹川:現在、「みらいの福祉施設建築プロジェクト」を進めています。これは高齢者や障がい者の方などための施設を支援するものです。地方の建築家や、若いクリエイターにも優れた方がたくさんいらっしゃいます。福祉施設を、クリエイターの視点で見たらどんなイノベーションを起こせるのか。それを期待して、第2回の2022年には坂さんを委員長に招いてコンペも行いました。これに限らず、今後も日本財団では建築家やクリエイターの力を借りて、社会課題を解決していくプロジェクトを行っていきたいと考えています。
(2023.10.12 日本財団にて)