東京・乃木坂にあるTOTOギャラリー・間にて、バングラデシュ人建築家のマリーナ・タバサム氏(Marina Tabassum)が率いる建築設計事務所、マリーナ・タバサム・アーキテクツ(MTA)について紹介する展覧会が11月21日より開催されています。
『TECTURE MAG』では、11月28日に開催されたギャラリーツアーを取材。TOTOギャラリー・間のディレクターを務める筏 久美子氏の解説をもとに、本展についてレポートします。

3階 GALLERY 1 会場風景 Photo: Nacása & Partners
マリーナ・タバサム氏(以下、マリーナ氏と略)は、1968年にバングラデシュの首都ダッカの生まれ。ダッカでは、バングラデシュ独立の父と呼ばれる人物と建国を称える独立記念博物館(ミュージアム・オブ・インディペンデンス)を共同設計。建築作品の特徴としては、欧米の建築教育をベースにベンガルの伝統文化を取り入れる設計手法がみられます。2012年には、彼女の祖母から「貧しい人々のための施設を建ててほしい」と引き継いだ土地に、設計のほか資金調達も行なったモスクを建てた業績などにより、イスラム文化圏では大変な栄誉とされるアガ・カーン建築賞を受賞しています(2016年)。その後も彼女は多領域にわたる活動(後述)により、2024年にTIME誌の「世界で最も影響力のある100人」に選出されたほか、2025年には史上初となる2度目のアガ・カーン建築賞を受賞。イスラム教徒が大半を占め、女性の社会進出そのもののハードルが高いバングラデシュにおいて、女性建築家は存在そのものが極めて稀です。
マリーナ・タバサム プロフィール
Portrait of Marina Tabassum © Asif Salman
バングラデシュ出身の建築家・教育者。2005年、ダッカに自身の建築設計事務所「マリーナ・タバサム・アーキテクツ( Marina Tabassum Architects)」を設立。現在オランダ・デルフト工科大学で教授を務めるほか、イェール大学建築学部、ハーバード大学デザイン大学院、ベンガル・インスティテュートなどで教鞭を執る。ドイツ・ミュンヘン工科大学より名誉博士号を授与。
これまでの受賞に、アガ・カーン建築賞、ジャミール賞、アメリカ芸術文学アカデミーによるアーノルド・ブルンナー記念賞、フランス建築アカデミーの金賞、イギリスのソーン建築賞など多数。建築と地域の公平性を支援する団体「F.A.C.E(Foundation for Architecture and Community Equity)」およびフェアトレード団体「Prokritee」代表。2017年から2022年まで、アガ・カーン建築賞の運営委員を歴任。英国王立芸術協会(RSA)フェロー。

〈独立記念博物館(ミュージアム・オブ・インディペンデンス)〉(バングラデシュ ダッカ、2006年)
設計:URBANA(K.チョウドリーとの共同設計)Ⓒ City Syntax

4階 GALLERY 2 展示より〈独立記念博物館〉模型 Photo: Nacása & Partners
会場を巡る前に、バングラデシュという国を地政学的に俯瞰しておくと、本展への理解が深まります。展覧会タイトルの「People Place Poiesis(ピープル プレイス ポイエーシス)」を成す3つのワード、人々(People)、場所(Place)、創造的な行為 (Poiesis)がどのように絡み合い、彼女の近年の活動につながっているのか、その背景が浮かび上がってきます。
バングラデシュはパキスタンとの独立戦争を経て1971年に建国。ベンガル・デルタと称される、三毛作も可能な肥沃な土地に恵まれている一方で、そこでの生活は、ヒマラヤからの雪解け水などで発生する洪水という大水害と表裏一体であり、定住がままなりません。家屋を流されるたびに人々は親戚・知人宅を頼って住まいを転々とし、やむなく離れ離れとなる家族も多いとのこと。
首都ダッカとて、生活に困窮した人々が流入、人口密度は世界第2位(出典:国際連合発表内容)、スラム街の治安は良いとはいえません。富裕層との格差もひらくばかり。
これらの諸問題を好転させるには、デルタの治水もさることながら、人々に安全で廉価な定住を保証することが最優先課題に。マリーナ氏と彼女が率いるMTAは近年、この解決に真っ向から取り組んでいます。

中庭に展示されている、バングラデシュのデルタ地帯をビジュアル化したインスタレーション Photo: TEAM TECTURE MAG
MTAでは、砂州(さす)での居住を前提に、可動式住宅〈クディ・バリ〉を考案。高床式で、洪水時の浸水を防ぐことが可能です。建て方は、現地で手に入る竹を用いて、MTAが設計したジョイントをシステマチックに組み合わせてトラス構造を構築、トタン屋根をかけるという流れ。大人数名の手で施工できます。集会所などに使われているほか、隣国のミャンマーから流れてきた人々が集中しているロヒンギャ難民キャンプでも効力を発揮しています。
3階・GALLERY 1での展示は、この〈クディ・バリ〉を軸としたMTAの活動について伝えています。

GALLERY 1 会場風景 Photo: Nacása & Partners

Photo: TEAM TECTURE MAG
黒い鉄のフレームでベンガル・デルタにおける中庭を中心とした住まいを模したインスタレーション「ウィズダム・オブ・ザ・ランド」(初披露は2018年ヴェネチア・ビエンナーレにて)

〈クディ・バリ〉連結の構造模型 Photo: Nacása & Partners
マリーナ氏とMATの業績は、〈クディ・バリ〉の開発・設計だけでなく、今なお現地に足を運び、将来にわたって使われ続けるためのさまざまな実践を行なっていること。財団F.A.C.E(The Foundation for Architecture and Community Equity)も設立したほか、資金面でもスイスなど各国からの援助をとりつけています。

地域住民が〈クディ・バリ〉の構造を理解しながら建設に参画している様子 © Asif Salman
マリーナ氏が自国の社会問題と向き合うきっかけとなったのは、2018年、同国西部・ジョシュールでのリゾート開発でした。クライアントからホテルの設計を依頼されたマリーナ氏は、計画地およびその周辺の実地調査を行い、現地の暮らしぶりを肌で知り、大きな学びを得たといいます。

パニグラム・エコ・リゾート・アンド・スパ(バングラデシュ ジョシュール、2018年) © MTA
熱帯モンスーン気候ならではの雨風を凌ぎ、景観に溶け込むような建築を提案、実現させた
前述・GALLERY 1での家のかたちを模したインスタレーションには、マリーナ氏が彼らと一緒につくり、実際に生活の場でも使われている品々が展示されています。マリーナ氏はこの協働でモノをつくるPoiesis(ポイエーシス)をとても大事にしており、かつ、つくった人が利益をあげられるところまで考えているのが特筆点です。
例えば、〈パニグラム・エコ・リゾート・アンド・スパ〉においては、豊かなエコツーリズムを体験できるリゾートをつくることで開発事業者とオーナーだけが利益を得るのではなく、敷地内に残して点在させている農村で生活する人々が、リゾートを訪れた人々に自分たちでつくった土産物や日用品を販売できるようにしています。

GALLERY 1 のインスタレーションの塗り壁と床は、左官職人の経験がある本展協力者の森田一弥氏が仕上げたもの Photo: Nacása & Partners

GALLERY 1 会場風景 Photo: TEAM TECTURE MAG
このインスタレーションは2018年のベネチアビエンナーレで初披露。2023年にドイツ・ミュンヘン工科大学でのMTA大規模展に再登場、ポルトガル・リスボン、オランダ・デルフトの各会場を巡回して本会場へ。これがアジアでは初の展示となる

GALLERY 1に展示された3連のタペストリーは、洪水で家を失っても、〈クディ・バリ〉を建てることでそのまま暮らし続け、やがて繁栄を築くまでを絵物語で表したもので、ベンガルのアーティストにMTAが発注して制作された。2つめのタペストリーは本展のポスター・フライヤーにも使われている Ptoho: TEAM TECTURE MAG
高床式可動式住宅〈クディ・バリ〉の実物は、中庭の展示で見ることができます。バングラデシュから運ばれ、ここで組み立てられたものです。

Photo: Nacása & Partners

Photo: TEAM TECTURE MAG

Photo: Nacása & Partners
〈クディ・バリ〉1基の材料費は日本円で約7.5万円(そのうち材料費が約3万円)。村の住民たちにどのように使っていくかを話し合って決めてもらっているとのこと。ここでもマリーナ氏が重視しているのが、「建てて」「あげる」のではなく「ともに」「つくる」こと。自分たちの共有財産であることを作り手に意識させ、メンテナンスも自分たちで行いながら、できる限り長く大事に使ってもらうための施策もさまざまに打ち出しています。
中庭ではこのほかに、同国の大半を占めるベンガル・デルタの地理的特徴が一目でわかるインスタレーションを挟んで、京都・静原(しずはら)で実践的研究を行っている建築家の森田一弥氏(京都府立大学生命環境学部環境デザイン学科准教授)と、同校森田研究室の協力のもと、日本の素材と技術で〈クディ・バリ〉を翻案した”日本版クディ・バリ”が立ち上がっています。

Photo: TEAM TECTURE MAG
”日本版クディ・バリ”の屋根は杉皮葺き、構造部の結束には、京都・祇園祭の山車を組む際に使われている技法を採用している。これを見たマリーナ氏は「ビューティフル!」と絶賛、金具を使わない結束方法に大きな関心を示していたとのこと
4階・GALLERY 2での展示は、主にダッカなど都市部でのプロジェクトについて伝えるものです。最初のアガ・カーン賞を受賞するきっかけとなった〈バイト・ウル・ロゥフ・モスク〉(2012年)の写真や部分模型などを見ることができます。

4階 GALLERY 2 会場風景 Photo: Nacása & Partners

GALLERY 2 会場風景 Photo: Nacása & Partners
マリーナ氏の師はル・コルビジエの弟子のひとりで、バングラデシュにおけるモダニズム建築の第1人者であるとのこと。また、同国の国会議事堂(1982年)の設計者であるルイス・カーンの影響も少なからず見てとれます。
都市部におけるマリーナ建築の特徴としては、南アジアでは古くから使われてきたレンガを多用し、意匠と構造を巧みに融合させて、熱帯モンスーン気候の厳しい暑さと砂埃の影響を緩和させています。
11月20日に行われたプレスカンファレンスにおいて、記者からの質問に応じたマリーナ氏は、いわゆる建築の美学よりも、その建築があることで人々の住環境や周囲の環境によりよい影響を及ぼすことができるかどうかに重きを置いていると答えていたとのこと(筏氏談)。

バイト・ウル・ロゥフ・モスク 内観(バングラデシュ ダッカ、2012年) © Asif Salman
静謐な〈バイト・ウル・ロゥフ・モスク〉内部。1階は男性信者専用、2階に女性信者のための祈りの空間をしつらえている

〈バイト・ウル・ロゥフ・モスク〉部分模型と写真ほか Photo: TEAM TECTURE MAG
レンガ建築の模型は、縮尺にあわせてMTAのスタッフが小さなレンガを手焼きして製作

〈アルファダンガ・モスク〉(バングラデシュ ファリドプル、2022年) © Asif Salman
積層レンガの躯体の中に空気層をつくり、断熱効果をあげているほか、厳しい日射を遮りながら、風は通す。建物内に入り込んだ風は上層へ向かって自然に流れるようになっている

〈アルファダンガ・モスク〉低層部模型 Photo: TEAM TECTURE MAG
平面のイラストは、モスクおよび周辺の広大な敷地を表したもの

サーペンタイン・ギャラリー・パビリオン(イギリス ロンドン、2025年)イメージ © MTA

サーペンタイン・ギャラリー・パピリオン(2025年)模型 Photo: Nacása & Partners
現地の規定でレンガを使えず、木とガラスを材に用いて、ベンガル地方の結婚式でよくみられる大型天幕を模したパピリオンとなっている(終了後は中東・ドーハに移築予定)

GALLERY 2 会場風景(夜間) Photo: Nacása & Partners

会場風景(夜間) Photo: Nacása & Partners
ギャラ間での展覧会実現には、自身の活動の延長で、ベンガル・デルタでのマリーナ氏の取り組みもその目で見ている、建築家の貝島桃代氏の推薦がありました。自国での設計活動のほか、欧米の大学で建築家として教鞭も執るマリーナ氏は、他国の建築家や学生たちらとともにベンガル・デルタに赴き、住民たちと一緒になって考えるワークショップなどを行うことにも熱心だと言います、「自分にやれることは全てやる」というマリーナ氏の仕事ぶりは。国と地域によって建築家という職能に求められること、その影響力が及ぶ範囲は異なることを痛感させられます。
2025年は日本各地で建築家の個展が例年に増して数多く開催されました。そのトリを飾るようにして始まった「マリーナ・タバサム・アーキテクツ展:People Place Poiesis」の会期は2026年2月15日まで。必見の展覧会です。
[了]
Texed by Naoko Endo / TEAM TECTURE MAG
#TOTO GALLERY・MA YouTube: 展覧会ガイド「マリーナ・タバサム・アーキテクツ展:People Place Poiesis(ピープル プレイス ポイエーシス)」(2025/12/12)
会期:2025年11月21日(金)~2026年2月15日(日)
開館時間:11:00-18:00
入場料:無料
休館日:月曜・祝日・年末年始休業期間 / 2025年12月29日(月)~2026年1月7日(水)
会場:TOTOギャラリー・間
所在地:東京都港区南青山1-24-3 TOTO乃木坂ビル3F(Google Map)
主催:TOTOギャラリー・間
企画:TOTOギャラリー・間運営委員会(特別顧問:安藤忠雄、委員:貝島桃代、平田晃久、セン・クアン、田根 剛)
協力:京都府立大学 森田一弥研究室
後援:一般社団法人東京建築士会、一般社団法人東京都建築士事務所協会、公益社団法人日本建築家協会関東甲信越支部、一般社団法人日本建築学会関東支部、公益社団法人日本建築士会連合会

本展詳細 / TOTOギャラリー・間 ウェブサイト
https://info.jp.toto.com/gallerma/ex251121/index.htm
TOTOギャラリー・間「マリーナ・タバサム・アーキテクツ展:People Place Poiesis(ピープル プレイス ポイエーシス)」