京都市京セラ美術館 概要
京都・岡崎にある京都市京セラ美術館[*1]は、昭和初期に建設された帝冠様式の歴史的建造物[*2]である。2017年以降に耐震補強などが施され、建物として再生されただけでなく、青木淳・西澤徹夫設計共同体によるリノベーション[*3]により、新たな魅力と機能が付加され、現代にふさわしい美術館として、2020年春にリニューアルオープンした。新館長には、設計を手がけた建築家の青木 淳氏が就任している。
*1.正式名称:京都市美術館(京都市京セラ美術館は通称、京セラ株式会社との間に50年間のネーミングライツ契約を締結したことによる)
*2.京都市美術館の本館をはじめとする7施設が、2020年8月(令和2)に国登録有形文化財となっている
*3.2015年(平成27)3月に京都市が「京都市美術館再整備基本計画」を策定、美術館の耐震改修やアメニティ機能の拡張など再整備の方針を決定。2015年「京都市美術館再整備工事基本設計業務委託に係る公募型プロポーザル」を4月30日に公告。応募者19組の中から、同年8月に青木淳・西澤徹夫設計共同体を基本設計作成者として1位選出、受託候補者に選定した。美術館は2017年4月より休館し、建物の大規模改修工事と新館(東山キューブ)の建設を行い、2019年11月16日に竣工式が執り行われた。2020年3月21日の開館を予定していたが、COVID-19(新型コロナウイルス感染症)予防・拡散防止のため、開館延期を3月13日に発表、条件付きで同年5月26日に開館した。
京都市京セラ美術館の新館「東山キューブ」では、2023年3月9日から6月4日にかけて、特別展「跳躍するつくり手たち:人と自然の未来を見つめるアート、デザイン、テクノロジー」が開催された。佐野文彦氏が会場デザインを手掛け、石塚源太、井上隆夫ら現代美術作家のほか、建築・空間デザイン領域でも活躍するTAKT PROJECT、GO ONほか20名(組)が出展し、話題となった展覧会である。
『TECTURE MAG』では、この特別展を取材。あわせて、館長の青木氏にもインタビューを行なう機会を得た。2021年に日本建築学会賞(作品)を受賞するなど、高く評価されている京都市京セラ美術館の大規模改修のポイント、本稿掲載時点では閉幕している特別展の開催の背景や狙い、さらに今後の展望についても大いに語っていただいた。
本稿は『TECTURE MAG』による独占インタビューである。
前編INDEX
・京都市京セラ美術館 概要
・館長就任の経緯
・築85年の美術館改修で求められたこと
・新館東山キューブはニュートラルな「原っぱ」
・建物の”前”につくられた「ガラス・リボン」
・旧大陳列室はハブとなるホールに
・建物の流儀に沿う
・あざとくなく、馴染ませる
館長就任の経緯
——まずは、館長就任の経緯について教えてください。発表当時、大きな話題となりました。
青木 淳氏(以下、青木館長)
オファーをいただいたのが2019年の3月、開館の1年前でした。2018年に着工していた大規模改修の真っ最中で、まさかそんな打診がくるなんて思いもよらず、もちろん最初は辞退したのですが、運営というソフトの部分も一種の保存再生と同じですよと京都市に言われ、引き受けてみたら、やはり大変な仕事で(笑)。
でもやってみて良かったのは、1つには、自分がつくった建物が実際にどう使われるのかを運営する立場からみることができたこと。もちろん、そのあたりは想定してつくっているつもりなんだけど、いざ、運営する立場になってみるとぜんぜん違う。建築に対する考え方も変わりましたね。世界が広がり、引き受けてよかったと思ってます。ただ、引き受けた瞬間から僕は建築主の側になったので、設計の会議に出席できなくなっちゃいました。
築85年の美術館改修で求められたこと
——リニューアルを担当した設計者の目線で、改修の特徴を教えてください。
青木館長
設計者にはプロポーザルで選ばれました。
京都市の募集要項には、人々が「ゆったり滞在し、ゆっくり楽しめる美術館」など4つの方向性のもと、新棟の建設を検討すること、カフェ・レトランやミュージアムショップを整備することなどが記されていました。1933年竣工のこの美術館は、国内で現存する公立の美術館としては最も古く、アメニティ施設がほぼなかったんですね。ロビー空間もなかったから、集客数が大きい展覧会をやった場合の来館者の動線にも課題がありました。建物の外にテントを張って、夏でも冬でもそこに並んでもらっていました。
現代のニーズに対応できる空間として提案することとあわせて、老朽化した建物の耐震補強といった保存・補修を含めてぜんぶやる、というプロジェクトでした。
新棟(新館)については、今回の特別展とも関係があることなんだけど、現代美術のための、より自由に使える空間を持ちたいという要望がありました。京都は美大が多くて、若いアーティストも大勢いるのに、現在進行形で動いてる今の美術の状況を自由にみせられる大きな空間が、この美術館にはなかったんです。
新館・東山キューブはニュートラルな「原っぱ」
青木館長
新館「東山キューブ」の床面積は、約1,000平米あります。ニュートラルなホワイトキューブ、と言ってしまうと無色透明のイメージがありますけど、そうではなく、その日の天気とか、来場者数によって、中の空間も変わる、変わり幅が大きい状態をつくることができていたらいいなと思っています。
——青木さんが著作でも言われている「原っぱ」のような空間でしょうか。
青木館長
どういうふうにもなるけれども、なにかしらの「とっかかり」はある、そういうイメージですね。
ただ茫漠と大きな空間で、あとはどうぞご自由にとやっても、言われたほうは戸惑いますよね。とっかかりは要るんです。真ん中にある2本の柱だったり、展示空間を囲っている可動式の壁であったり。
聞くところによると、武道の世界で名人と呼ばれている人は、どんな攻撃を受けても、その瞬間に全方位にパッと動ける状態を保てるらしい。東山キューブも、機敏にリアクションできる、そういう空間にしたつもりです。理想をいえば、そこにおく作品ごとに、そのための空間にならないといけない。
だから、前回の「森村泰昌:ワタシの迷宮劇場」では、空間をうまく使ってくれていて、僕にとって嬉しい展覧会でしたね。出入り口が1つか2つあればいいところを、5つの「門」を設けて、しかもどこからでも出入りできたりしていて。
建物の”前”につくられた「ガラス・リボン」
——アメニティ施設は、西側のエントランスの右と左につくられました。「ガラス・リボン」と呼ばれる部分です。
青木館長
僕としては、この古い建物をなるべく壊したくなくて。それはたまたま、このプロポーザルが告知される前、2015年の「パラソフィア」[*4]を見ていて、 使い方次第では現代アートに対応できる、このままの空間で全く問題ないとわかっていたから。あえてこの美術館の空間そのものに手を加える必要性を感じていなかったんですね。
だから、アメニティ施設も建物の「前に」つくった。
——建物の前に、とはどういう意味ですか?
青木館長
あの「ガラス・リボン」は、本館の下に潜り込ませてつくったと思っている人が多いんだけど、実際には本館の建物の前につくっているんです。地下にあるからそうは見えないんだけど、ひと皮ぶんだけ前に出したというか。
——言われてみれば、おっしゃるとおりです。建物の前に張り出してつくったのですね。
青木館長
そうなんです。美術館を訪れた人はすり鉢状のスロープを下がってきて、美術館の新しい「顔」となる「ガラス・リボン」から館内に入る。ならば、このメインエントランス付近に、必要となるアメニティ空間を用意するのがいちばん素直だろうなと考えました。
2015年「PARASOPHIA」参考動画
1933年の開館以来、前例のない「全館展示」となった2015年「PARASOPHIA」開催時の様子が、YouTubeで公開されている。改修前の京都市美術館(当時名称)の外観や、中央ホールに改修される前の大陳列室などが写っている貴重な動画をシェアする。
「Promotional video clip for Parasophia: Kyoto International Festival of Contemporary Culture 2015」(2015/04/16)
*4..パラソフィア:PARASOPHIA(京都国際現代芸術祭2015、会期:2015年3月7日〜5月10日)
http://www.parasophia.jp/archives/
旧大陳列室はハブとなるホールに
青木館長
2015年の「パラソフィア」では、全ての展示室が会場として使われていたので、僕は初めてこの美術館全体を見てまわることができた。大戦後に米軍に接収された時代に靴磨きの場になっていた、通常は閉じているところも。改修によってチケットカウンターに変えた地下の空間は、昭和初期は「下足室」といい、今でいうクロークだった。そういう今まで見たことのないような空間がここには実はあるんだとわかった。同時に、それが空間としてとてもおもしろかったんですよね。
だから、その体験の直後にこの美術館を改修するという計画を聞いた時には、いったいどこに手をいれる必要があるんだろうかと不思議に思ったくらいで。
でも、プロポーザルの要項を読んでみると、さっき言ったようなアメニティの問題があり、僕個人もこの美術館に対して暗いイメージをもっていた。その要因の1つが、1933年の開館時に用意された東側の扉が長らく閉じられていたこと。ここがうまく機能していなかったんですね。
——たしかに、以前は暗いイメージがありました。
青木館長
なので、プロポーザルでは、西から入ってきて、東に抜けていく、東西を貫通させるプランを提案しました。イタリアのシエナのカンポ広場みたいな、まぁあれほどの勾配はないけど、スロープを下りてきて、西側の地下から入って、階段をあがって、東側へと抜けていく。その途中にある大陳列室は、天井高を生かしたホールへと改装しました。このホールを中心に、東西南北、各展示室や新館に行くことができる。
後で聞いたところによると、東西をつないだ提案は僕たちだけで、そこが評価された1つかと思います。他の組はみんな、西側の広場にはなにか新しい建物をつくるという案で、地下空間もいかにも地下のままだったらしい。
——大階段の脇にある螺旋階段は、あたかも元からあったように見えて、実は新たにつくったと聞いて驚きました。
青木館長
螺旋階段と、中央ホールの上の左右の通路も、改修でつけ足した部分です。これによって、2階も東西をつないで、1階と2階の動線処理として必要なエレベーターもあわせて設置しています。
この大きな中央ホールに関しては、元の空間から大きく変えざるをえなかったので、僕らが設計者として参画してからも相当、悩みました(編集部註. 意匠デザインでどのように馴染ませていったのかについては、中央ホール2階ブリッジ写真のキャプションを参照)。
青木館長
西から東に抜けていって、そこで視界がパーッと開けるのはかなり気分がいいと思うんですよね。僕は「パラソフィア」でも実際に目にしていたので、その良さはわかっていました。
本館の東側には、「ガラス・リボン」と同じように庭園側にせり出した「東エントランスロビー」をつくり、こちらからも入館できるようにしています。新館の2階に設けた「東山キューブテラス」もパブリックなスペースで、開館時間中は自由に行き来ができます。
美術館の中に自由通路のようなものをつくることは、この改修計画における僕たちの大きな狙いの1つでした。コロナ禍のときは閉じざるをえなかったんだけど、最近になってやっと、僕たちが意図した東西の動線になりました。
建物の流儀に沿う
——プロポーザルには、青木事務所出身の西澤徹夫さんと設計共同体を組んで挑まれました。
青木館長
西澤さんは2007年にうちの事務所から独立したあと、東京国立近代美術館のコレクションギャラリースペースのリニューアルや、展覧会の会場構成もたくさん手掛けていて、最近だと、2021年11月にオープンした〈八戸市美術館〉の共同設計者でもあります。
中央ホールの改修について、西澤さんとは何度もいろいろな議論をしていて、最終的に、ここの美術館が元々持ってた流儀、デザインの流儀というのを、新しくつくる際にも同じ流儀でやるべきなんじゃないかという結論に至りました。
つまり、古いものに対して、新しいものでこんなことやりました、こういうふうに意味を変えてみましたというほうが、デザインの手法としては簡単なんだけれども、ここでは逆効果なんじゃないか、それは我々、建築家の自己満足でしかないだろうと。そうではなくて、この美術館が元から持っている流儀で、新しい部分をつくってみるのがいいのではないかと。
ブリッジや階段の手すりの部分に新たに木材を用いたのも、これと同じ導き出しによるデザインです。
——建物の流儀というのは、昔の設計図などを読み込んでいく中で浮かび上がって見えてくるものなのでしょうか。
青木館長
そこは感覚的に、ですね。なかなかこれについてうまく記述することはできなくて。どうやったら新旧で違和感がなくなるのか、馴染むのか、いろんな案を考えて、試行錯誤しながら進めていきました。
だからそういう意味では、この美術館の改修は、通常の歴史的建造物の修復、保存再生とは違っていて、なにかしらレシピは残せるかもしれないけれども、マニュアルにはなり得ないとのではないかと思っています。
音楽のジャズで例えると、米国でジャズが生まれて展開していく初期の段階は、コード進行とか、実はとても論理的にできていますね。こういう方法論があり、こう崩すとこれが生まれるといったふうに。それが次第にモードになって、どんどん追求していくと、最終的にはパヒューム(香水)の調合としか言いようがない感覚的な方法しか残らなくなる。ちょっとしたニュアンスでグルーヴが生まれたり、その後の展開が大きく変わっていく。今回の改修はそんな感覚で進んでいきました。
あざとくなく、馴染ませる
青木館長
西側につくった「ガラス・リボン」も、実は、やっていることはあざといんです。あれだけ横に長いガラスを、建物の前面に、それもメインエントランスに付加するなんて。
——そうですね、ややもすればそこだけ悪目立ちしてしまいます。
青木館長
それが、あ、大丈夫かなと思えたのは、元々の建物の見た目が「頭でっかち」だったから。俗に言う帝冠様式、西洋の古典主義的な建築の上に、アジア的な屋根を載せた和洋折衷様式です。
青木館長
同時代の建築を挙げると、東京・上野の国立博物館、東京の旧九段会館、名古屋の愛知県庁などがあります。これらを見ていくとよくわかるんだけれども、基壇のところをかなり高くつくってある。そうしないと、瓦屋根の帽子を被せた上の部分とのバランスがとれないんです。例えるなら基壇は袴みたいなもので、足元になにかを履かせないと、頭でっかちになってプロポーションとしておかしくなってくる。
だから、今回の改修では、地下を掘って、建物の足元に基壇としてガラスの袴を履かせたことになるわけ。これでプロポーションが良くなった。やっと落ち着いたというか、 結果的に「馴染ませるデザイン」になったのだと思います。
青木館長
興味深いのは、この美術館は、同時代の帝冠様式の建物に比べて基壇部分が低く抑えられていたんですね。これは意図的だったと僕は考えています。
逆に基壇を高くすると何がおきるかというと、必然的に玄関に大階段をつくって昇らせるという動線になってしまう。とても権威的で、入りにくい。文字どおり敷居が高い建築になるんですね。
この美術館が建てられたとき、京都の人たちがお金を出している。このことが影響していたのではないか。人々が入りやすい美術館のあり方を当時から目指していた。民主的な美術館たらんとするこの市民精神は、現代の我々の運営にも受け継がれています。
この続きは後編で!
インタビュー前編はここまで。後編では、好評を博しながら6月4日に閉幕した、新館・東山キューブでの特別展「跳躍するつくり手たち:人と自然の未来を見つめるアート、デザイン、テクノロジー」について、同展を監修した川上典李子氏(武蔵野美術大学客員教授、21_21 DESIGN SIGHT アソシエイトディレクター)も参加して、詳しく話を聞きます。
音楽や現代アートにも造詣の深い建築家・青木 淳氏は、話題を集めた特別展をどのような目でみたのか?
さらには、これから館長としてやっていきたいこと、京都市京セラ美術館の展望などが開襟されます。
インタビュー後編INDEX
特別展「跳躍するつくり手たち」開催の背景
・京都でさまざまなつくり手たちを紹介する意義
・領域を定めないことで生まれたグラデーション
・来館者数が裏付けるリニューアルの成功
・これからの美術館に求められること
・市内の文化施設との連携も視野に
・建築家が美術館の館長になるということ
Interview by Jun Kato
Text by Naoko Endo
Photograph: Naoko Endo & Jun Kato
Recording date:May 9, 2023
at Kyoto Kyocera Museum of Art Conference Room