群馬県前橋市に2020年12月12日にオープンした〈白井屋ホテル〉は、江戸時代に創業した歴史ある白井屋旅館(後年HOTEL白井屋)を前身とし、建築家の藤本壮介をはじめとする内外のクリエイターによる再生プロジェクトによって、いま日本国内でも最も注目されるデザイナーズホテルの1つに数えられます。
〈白井屋ホテル〉のオーナーは、アイウエアブランド・ジンズ(JINS)の創業者である田中 仁さん。地元・前橋市の出身で、地域活性化のため前橋市と民間企業が協働して2016年に策定したビジョン「めぶく。」の推進役も務めるなど、地域イノベーションに取り組んでいます。
2008年にHOTEL白井屋が廃業、一時は取り壊しの危機にあったところを、地元から相談を持ちかけられた田中さんが土地ごと購入を決め、昨今では珍しい6年という長い時間をかけて、再生プロジェクトを推し進めました。
TECTURE MAGでは、オープン直後に現地を取材。宿泊部の肥留川広平さんと、広報担当の守田美奈子さんの説明を受けながら、ホテルをくまなく案内していただきました。
奇跡のコラボレーション
以下に記すのは、オーナー自らが協力を呼びかけた参加クリエイターのごく一部。他にもさまざまなアーティストがホテルのためにアート作品を制作しており、まさにキラ星のごとく、奇跡のコラボレーションとなっています。
白井屋ホテル 参加クリエイター(敬称略):
旧館のリノベーション(一部客室のデザインを含む)・新館の設計:藤本壮介(建築家)
共有スペース「ラウンジ」アートワーク:レアンドロ・エルリッヒ(現代美術家)
館内アートワーク:杉本博司(現代美術作家)、安東陽子(テキスタイルデザイナー)
スペシャルルームデザイン:ジャスパー・モリソン(プロダクトデザイナー)、ミケーレ・デ・ルッキ(建築家)、レアンドロ・エルリッヒ(現代美術家)、藤本壮介(建築家)
特別個室「真茶亭」設計:新素材研究所(杉本博司+榊田倫之[*注])
レストラン「the RESTAURANT」:甲斐晋介(エスキス 代表取締役)
パティスリー「SHIROIYA the PÂTISSERIE」: TRIPSTER inc.
メインダイニング監修アドバイザー:川手寛康(フレンチレストラン「フロリレージュ」オーナーシェフ)
パティスリー監修アドバイザー:延命寺美也(「EMME」オーナーパティシエ)
注.榊田の榊の漢字は「木ネ申」
特筆すべきは、ジャスパーやミケーレといったビッグネームが無償でこのプロジェクトに参加していること。地域再生に取り組むオーナーの熱意と姿勢に共感しての異例の対応でした[*1]。
*1. NewsPicksのオンラインコンテンツ「WEEKLY OCHIAI 落合陽一xJINS田中」に登壇した田中オーナーの発言より
各クリエイターが手がけた「スペシャルルーム」については、今回見学することができた何室かを後述します。本誌にて昨年11月に掲載した開業ニュースに概要を載せていますので、そちらも参照してください(本稿未掲載の画像も多数)。
新旧の2棟で1つの〈白井屋ホテル〉
〈白井屋ホテル〉は、築約45年の4階建ての既存建物を藤本壮介が大胆に改修した「ヘリテージタワー」と、同じく藤本の設計で、新築した「グリーンタワー」の2棟で構成されます。2つのタワーを合わせて10タイプ・25の客室を有します。
建物の白い壁にカラフルな作品は、アメリカのコンセプチュアルアートの大家、ローレンス・ウィナーが手がけたもの。ホテルのハウスキーパーのユニフォームにもデザインが反映されています(下の画、モデル:白井屋ホテル 肥留川広平さん)。
敷地の高低差を生かした2棟の配置
ホテルの敷地はもとより3mほどの高低差があり、市バスが走る国道50号線側が高く、馬場川が流れる裏手に向けて下がっています。
藤本は、昔は利根川の一部だったという馬場川の歴史性に着目し、河川の「土手」をイメージしてグリーンタワーの敷地を造成。客室は「土手」を模した斜面の中に内包されています(下の3点の図面提供:藤本壮介建築設計事務所)。
冬の残照のなか、馬場川から眺めた〈白井屋ホテル〉が上の画像です。向かって左側、グリーンタワーの斜面に見てとれる四角い孔は、客室のバルコニー部分。本稿の後半で改めて紹介しますが、特別なプライベート感を助長する空間です。
斜面に沿って芝を敷き、樹木も植えられているのも目を引く点で、藤本ならではのデザインです。このランドスケープと一体化させた緩やかなスロープと階段を設け、人々が自由に通り抜けができるようにしています。周囲に対して開かれた、再生・白井屋ホテルのコンセプトがよくあらわれています。
下の3点の画像は、植栽が最も美しい時期に撮影された全景です(画像提供:白井屋ホテル Photo: Shinya Kigure)。
「土手」の上に見える白い小屋は、宿泊客専用のフィンランド式サウナ施設と瞑想ルームです(後述)。
それではいよいよ、ホテル広報の守田さんの案内で、藤本壮介がリノベーションを施したヘリテージタワーを見学します。
Movie & Photographs: toha(特記をのぞく)
# TECTURE YouTube公式チェンネル「SHIROIYA HOTEL」(2021/05/19) 注.限定公開設定中
必見の杉本博司作品
レセプションの背面には、モノクロの写真が飾られています。現代美術作家の杉本博司の作品です。氏の代表的な写真シリーズ「海景」から、湖を写した「ガリラヤ湖、ゴラン」を作家自らがセレクトしました。
大海原を撮影したものではなく、湖の作品を選んだ理由として、杉本は「この作品の撮影が行われた周辺はイエス・キリストの活動の中心地のひとつであり、ガリラヤ湖は、キリストが湖上を歩いた奇蹟の土地として福音書に記されていることから、このホテルが位置する地域に活力をもたらすようにとの願いを込めて、」この作品を選んだとのこと(白井屋ホテル公式ウェブサイトより)。
この〈白井屋ホテル〉には、本稿ではとても全てを紹介しきれないアートの数々が目白押し。訪れる際は、作品の制作背景についても詳しい記載がある、ホテルの公式ウェブサイトにあらかじめ目を通すことをお勧めします。
〈白井屋ホテル〉公式ウェブサイト「アートとデザイン」のページ
https://www.shiroiya.com/art_and_design
4層吹き抜けの大空間
〈白井屋ホテル〉を訪れた人は、ラウンジ&カフェの頭上、大胆にも4層の床を抜いた吹き抜け大空間に圧倒されることでしょう。ホテル経営の常識からいえば、客室数は1つでも多く取るのが鉄則。しかしながら〈白井屋ホテル〉はその逆をいきます。
このスケールの大きな空間で展開されるのが、レアンドロ・エルリッヒのインスタレーション「ライティング・パイプ」です。
記憶を継承するインスタレーション
今回のアート作品を制作するにあたり、エルリッヒは工事中の段階でこの地を訪れています。かつてこの空間を走っていたであろう配管・電線管をイメージし、LED照明を仕込んだ樹脂製パイプを、柱と梁にそって縦横に走らせました。「目に見えない生き物の静脈」を表現した作品です。
この空間を見上げる・または上階から見下ろすとき、私たちはエルリッヒがこの空間に見た「まぼろし」を共有し、追体験することになります。
なお、エルリッヒ作品は、昼と夜とで色温度が変わり、夜更やイベント開催時にも色味を変えることがあるとのこと。
「街のリビング」としてのラウンジ
オールデイダイニングで、カフェ&レストランとしても営業している「the LOUNGE(ラウンジ)」のコンセプトは「街のリビング」。ソファーやスツール、照明などのインテリアにバリエーションがあるのも、ホテルでは珍しい点です。
ざっと見渡しただけでも、アルテック、マルニ木工、アルテミデなどなど。いわゆる名作と呼ばれるプロダクトも配され、最終的に田中オーナーが厳選したものをレイアウトし、シックな雰囲気と上質感を空間に添えています。
こちらの空間のコンセプトは「グリーン&リラックス」。配置された植物は全て手入れが必要なもの。日中は、これらのグリーンに、南面のガラス窓と、さらに天窓からも陽光が差し込みます。4層ある大空間をゆったりと光が落ち、空間に満ち満ちて、まるで南国リゾートにきているかのような錯覚を覚えます。
地元の食材を用いたメインダイニング
メインダイニング「SHIROIYA the RESTAURANT(白井屋 ザ・レストラン)」は、ミシュラン2つ星の「フロリレージュ」オーナー・シェフ、川手寛康が監修。オープンキッチンで腕をふるうのは、地元群馬出身の片山ひろシェフ。地元・上州の食材を活かし、上州の食文化をリスペクトしたメニューと、料理の皿ごとにワインを変えるペアリングもあわせて提供しています。車保有率の高い群馬には最適な、ノンアルコールのドリンクペアリングも。
厨房の設計は、「フロリレージュ」の空間も手がけたエスキスが担当しました。
下の6点の画像は、2021年3月26日よりスタートしている春の新メニューとドリンクのメニューです(画像提供:白井屋ホテル Photo: Shinya Kigure)。
五感で空間を味わう
ラウンジ空間では、1日の時(とき)の流れを想定して環境音楽のプログラムを構成しているので、耳を澄ませてみてください。聴覚に視覚、味覚と嗅覚など、五感を使ってこのホテルを楽しんでほしいという趣向です。
今春からは、世界最高峰のハイレゾリューション自動演奏ピアノである、スタインウェイ&サンズ「SPIRIO|r(スピリオ・アール)」が設置されました。
今回の取材では、ヘリテージタワーにあるスペシャルルームのいくつかを見学することができました。
まずは、藤本壮介ルームがあるフロアへ。吹き抜け空間に渡された階段でも行けるのですが、行きはエレベーターにて。
館内はアートにつぐアート!
エレベーターボックス内にも、デジタルを駆使して画像におきかえ、ライトボックスのように仕立てたアート作品がさりげなく展示されています。こちらもお見逃しなく。ローカルアーティスト、小野田賢三の作品です。
下の画像、廊下の真ん中にある不定形は「水たまり」のように見えますが、実はこれ、前橋市を逆からみたときのシルエットのかたちをしたプレートです。アーティストの廣瀬智央が、ホテルと同じ馬場川通り沿いのすぐ近くにある〈アーツ前橋〉で展覧会を開催した際につくられたもの。
このプレートが此処にあるのは、廣瀬作品が置かれている客室の前だから。そして、その部屋の窓からは、〈アーツ前橋〉でのワークショップで廣瀬が制作した、屋上看板を用いた作品《空のプロジェクト:遠い空、近い空》が臨めるという、このホテルらしい「遊び心」になっています。
全館のコンセプトである「建築を愉しみアートを愛でる、インスピレーションに満ちた宿泊体験」が、見落としがちなこんな足元にも表現されています。
4階からの吹き抜けの見下ろしは、まるで「だまし絵」で知られるエッシャーの絵画のようで、「圧巻!」のひとことに尽きます。
上の画像・1枚目の左端と3枚目に写っている、4層分ある高さの壁面を滝のように流れているアートワークは、テキスタイルデザイナーの安東陽子の手による「Lightfalls(ライトフォールズ)」です。1階のラウンジで作品に近づいてみると、金属が織りこまれたような光沢のあるマテリアルであることがわかります。
スペシャルルームの3室(エルリッヒ、デ・ルッキ、モリソンルーム)を除き、客室のインテリアデザインは、もうひとつのスペシャルルームも含め、藤本壮介建築設計事務所が担当しています。
藤本壮介ルーム
さて、藤本壮介の名前を冠したスペシャルルームは、前橋市のビジョンである「めぶく。」をイメージしたインテリア。花器に挿してあるのはイミテーションではなく、生の植物。種類は、氏が指定したベンジャミンとのこと。
カーペットは特注品で、建物をスケルトンの状態に戻したときにあらわれた、荒々しいコンクリートスラブをイメージしてデザインされました。
世界で1つだけのジャスパー・モリソンの客室
ジャスパー・モリソンが手がけた客室は、ヘリテージタワーの2階にあります。 吹き抜け空間に面した1室で、カーテンを開ければ、エルリッヒ作品の空間と対峙できる特別な立地です。
部屋の備品の鉄瓶やグラスなども、ジャスパーのデザイン。イサム・ノグチの照明作品〈アカリ〉以外の家具や照明器具は、ジャスパーがデザインしたものばかり。
装飾性を排し、壁・床・天井の全方向に木を張った内装は、水まわり空間の出入り口までも木製にこだわり、開口部を全て閉じたとき、一気にプライベート感が増します。アート作品を運搬する梱包用の木箱の中に居るような感覚=箱の中の大切な中身は宿泊者自身という、ジャスパーからのメッセージを受け取る瞬間です。
スペシャルルームは本稿で紹介したジャスパー・モリソン ルームと藤本壮介ルームのほかに、レアンドロ・エルリッヒ ルームとミケーレ・デ・ルッキ ルームもあります(下の画像2点提供:白井屋ホテル Photo: Shinya Kigure)。
日没を合図に始まる演出
日没を過ぎた館内。4層吹き抜けの大空間では、縦横無尽に走るエルリッヒ作品の光のパイプが存在感を増していきます。ディナータイムになる頃には、落ち着いた色温度に調整されるとのこと。
ヘリテージタワーを見てまわり、隣接するグリーンタワーを見学する頃には、すっかり日が落ちてしまいました。
グリーンタワーもアートが凝縮
グリーンタワーのデラックスルームとスーペリアルームにも、部屋ごとに異なるアート作品が展示されています。空きがあれば指定もできるそうですが、どのアートに巡り会うのか、ドアを開けるまでわからないという「出会い」も一興です。
新素材研究所が手がけた空間
グリーンタワーには、新素材研究所の杉本博司と榊田倫之が内装を手がけた特別個室「真茶亭(まっちゃてい)」があります。素材や職人技にこだわりぬいた空間で、特別な個室として、プライベートの会食や催事などに使われる予定です。
宿泊者しか体験できない特別な部屋
グリーンタワーの斜面に沿った階段を昇った先にある2つの小屋は、宿泊者専用の施設で、フィンランド式サウナと、宮島達男の作品で、通称「瞑想ルーム」と呼ばれている空間です。この日は特別に見学させてもらいました。
ソフト面にも力を入れている〈白井屋ホテル〉
館内を見学中、ホテルのハウスキーピングのスタッフに何度もすれ違いました。ホテル側の説明によれば、〈白井屋ホテル〉は清掃にもかなり力を入れており、徹底した研修を受けた専門スタッフが常駐。COVID-19(新型コロナウイルス感染症)への対処が従来以上に必要という理由だけでなく、文字通り「チリ1つ落ちていない」完璧なハウスキーピングを行なっているとのこと。さまざまな部門のスタッフも群馬県出身者が多く、前橋の地に確かな雇用を生み出しています。
ここでしか味わえない体験を
見学時には工事中でしたが、馬場川通り側の路面店として、前橋初の本格的フルーツタルトの専門店「SHIROIYA the PÂTISSERIE(白井屋 ザ・パティスリー)」がオープンしています(外観画像提供:白井屋ホテル Photo: Shinya Kigure)。
地元の果物や旬の素材を使って、店内で焼き上げたタルトや焼き菓子は大人気。連日行列が絶えないとのこと。
なお、パティスリーの隣には、店舗が入る空間が2つあり、これからの展開が楽しみです。
〈白井屋ホテル〉がある前橋は、新幹線や車を使えば東京から1時間半でアクセスできることから、首都圏からの宿泊客が多いだろうというのが、開業前のホテル側の予測でした。いざ、蓋を開けてみると、地元および近隣市からの宿泊予約も多かったとのこと。地元密着型のホテルとして「嬉しい誤算だった」と言います。
旧白井屋旅館時代から続くホテルの再生は、地元でも注目度の高いプロジェクトでした。昨年12月の開業後、かつてここで結婚式を挙げたという老婦人が訪れたり、泊まらずとも「街のリビング」のように使って欲しいという願いの通りに、地元の人々がふらりと訪れ、ランチをとる姿が毎日のように見られたりと、着実な歩みを続けています。
首都圏や都内まで足を運ばずとも、極上の体験が、それもアート付きで味わうことができる。それが、この〈白井屋ホテル〉です。(en)
〈白井屋ホテル〉施設概要
所在地:群馬県前橋市本町2-2-15(Google Map)
アクセス:JR前橋駅より徒歩約15分
TEL:027-231-4618
客室数:25室(ヘリテージタワー:17室 / グリーンタワー:8室)
客室面積:25m²〜
客室料金:27,500円〜(サービス料別)
構造:RC構造4階建 (ヘリテージタワー、グリーンタワー共に)
延床面積:2,565.46m²(ヘリテージタワー:1,744.52m² グリーンタワー:820.94m²)
施設:
ヘリテージタワー:フロント、「the RESTAURANT」、「the LOUNGE」
グリーンタワー:フィンランド式サウナ、ミストサウナ、更衣室、茶室、真茶亭、白井屋 「the PÂTISSERIE」
運営会社:白井屋ホテル株式会社
開業日:2020年12月12日(土)
白井屋ホテル(SHIROIYA HOTEL)公式ウェブサイト
www.shiroiya.com/
白井屋ホテル 公式動画
# SHIROIYA HOTEL YouTube公式チャンネル「建築家 藤本壮介氏が語る・白井屋ホテル」(2021/01/27)
# SHIROIYA HOTEL YouTube公式チャンネル「杉本博司氏が語る・白井屋ホテル」(2021/01/27)